『サングラハ』の今年最初の第139号が出ました。
今回のメイン記事は、意識上の根本煩悩の2です。
一種の共時性でしょうか。今回は、価値観の硬直性の問題・「見取見(けんしゅけん)」についても論じています。一部を以下に引用・紹介させていただきます。
「人類史の中できわめて広く見られる価値観の硬直性という問題は、他者に対しては『疑』というかたちで現われますが、自分自身の中でもある特定の宗教や信仰やイデオロギーや世界観にとことんこだわるというかたちで起こります。そういうものの見方を『見取見』というわけです。
唯識の中にこういう洞察があることを初めて学んだ時、私には驚きでした。ほとんどすべての思想は『私の・この思想は正しい』と主張するのです。おとなしめのところでも『最高に正しい』で、おとなしくないところは『唯一・絶対に正しい』と言いますからね。ところが唯識・仏教では、…『特定のものの見方に執着することそれ自体がまちがいである』と。…
人間が価値判断しながら日々の営みをし集団を形成するにはいちおう特定の世界観を持たざるをえないけれども、それを絶対化してしまったら、それは本末転倒、手段を目的化してしまうことだ、と仏教は自覚している。これはすごい思想ですね。
といっても、仏教と名乗っていても、「信じ込みなさい」という原理主義的な宗教に陥る危険はありますし、また実際しばしば陥ったりしているように見えます。けれども、私の理解するかぎりの本来の仏教は、原理主義ではありえない。…
…思想というものは、個人としても集団としても人間がちゃんと生きていくために、方便としては必要だけれども、それを絶対化したとたんに、他者に対しては「同じことを信じないやつは哀れなやつか、敵だ」ということになるのです。…
二十世紀、日本の天皇制国家神道であれ、あるいはナチズムであれ、あるいはスターリニズムであれ、とにかく特定の考え方を絶対化することによっ人類はさまざまな惨害を引き起こしてきましたし、二十一世紀になってもさまざまな原理主義が惨害を起こしています…」
ではどうすればいいのかということも含めて、詳しくは、このブログの過去の記事をお読みいただき、さらによろしければ本誌をご購読いただいてお読みいただければ幸いです。