5月8日母の日・・・
私はちょうど東京にいた
3歳の時から母とはその後30年近く離れていたが
33歳の時に探しあて、私たちは再会した
その後10年ちかく、金沢と東京での交流が続いていたが
ここのところ私の中で母と向き合えない時期が続いていた
あまりにも長く離れていた私たちを取り戻すには
私の中にある裏切りという概念を溶かす必要があったが
辛い記憶を完全に封印し、閉じ込めていたものを
出してくるには、長い時間と根気が必要だった
私は凍ってしまっている感情をさらに凍らすことによって
母との関係を保とうとしていた
そしてそんな感情があったことに気づくのに10年もかかっていた
人が一度受けた衝撃は、自己が認識できないくらい深く刻み込まれていく
そしてそれを溶かすには、やはり時間が必要なのだということを改めて再認識していた
妹と母と連絡をとり、私達は品川の新しくできたホテルの側にある
吹き抜けのオープン席があるエスニック料理の店で会うことになった
妹の人生と、母のおくってきた人生、そして私の人生が重なっていった
3人とも久しぶりにお腹を抱えて笑っていた
長い時間の苦労と痛みが溶けていくようだった
母は私に自分が食べたパンを半分に割いて、私に「食べな」と渡した
その瞬間私の意識は3歳前に戻っていた
3歳前に母が私にまったく同じことをした光景がはっきりと蘇ってきた
離乳食を与えるために、母が私の口に食べ物を運んでいる光景と
感覚と匂いだった
まったく私は3歳前の赤ちゃんだった
母にとって私は、まだ3歳前の赤ちゃんのままなのだ
母にとっても時間は止まったままだった
私たちは最後に写真をとった
母と並ぶと母の胸が私の胸と重なった
その瞬間、私と母との止まった時間が流れ始めた気がした
私はまだ母の胸の中で、眠っている赤ちゃんのようだった
母と妹と別れてから、私は母に聞きたいことがあったことを思い出しメールで聞いてみた
「なんだか不思議なんだけど、ママの歌声を初めて聞いた時
自分の中の魂が目覚めた感じがしたんだ
それはまるで懐かしさで魂が震えるといった感じ・・・
私の小学校の時は、音楽と体育が大好きで、この2つだけは
ずば抜けて成績がよかったんだよ
ママとは一緒に住めなかったけどずっと繋がっていたように感じることがある
私が小さい時、歌を歌っていた?」
母の返信はこうだった
「あまり昔のことで分からないけど、何回かは歌ったよ
夜泣かれた時とかね・・・
不思議な気持ちがするのは分かるよ
同じように感じたから
だから私と同じ失敗をするかと思うと心配なんだよ
分かった時じゃ遅いからまず体を大事にして
頼れる人がお前の側にいてほしい
お金の面でも心の面でも・・・
いつまでも若くないし少しずるいくらいがいいんだよ
強く頑張ってね・・・・・・」
母のメールは相変わらず句読点がない
母は小学校6年生の時に母を亡くしている
私が生まれたのは母が16歳の時
その4年後だ
私の師にこう言われたことがある
「君のお母さんは今もまだ歌を歌っている?
それはまるで小鳥のような歌声なんだ
前世、君が幼少の時に亡くなってしまった後お母さんは
歌を歌っていたんだよ」
私の声は母から譲り受けたものだった
母の歌を私の意識は覚えていて
遠い時空を超えて、私の頭の中に、細胞のすべてに、私の魂に刻み込まれていた
私の中を流れる血は、母の悲しみと、母の優しさと強さが刻まれていた
私は母と共に泣き、母の悲しみと共にあり、母の愛と共にあった
それはいつでも、自分の中にあったのだ
東京に流れている空気は、汚れているのかもしれないけれど
少なくとも、その日私たちを駆け抜けた風は新鮮だった
草原の草の匂いが・・・風が私達を運んでいった
ママと・・・
妹と・・・・
私はちょうど東京にいた
3歳の時から母とはその後30年近く離れていたが
33歳の時に探しあて、私たちは再会した
その後10年ちかく、金沢と東京での交流が続いていたが
ここのところ私の中で母と向き合えない時期が続いていた
あまりにも長く離れていた私たちを取り戻すには
私の中にある裏切りという概念を溶かす必要があったが
辛い記憶を完全に封印し、閉じ込めていたものを
出してくるには、長い時間と根気が必要だった
私は凍ってしまっている感情をさらに凍らすことによって
母との関係を保とうとしていた
そしてそんな感情があったことに気づくのに10年もかかっていた
人が一度受けた衝撃は、自己が認識できないくらい深く刻み込まれていく
そしてそれを溶かすには、やはり時間が必要なのだということを改めて再認識していた
妹と母と連絡をとり、私達は品川の新しくできたホテルの側にある
吹き抜けのオープン席があるエスニック料理の店で会うことになった
妹の人生と、母のおくってきた人生、そして私の人生が重なっていった
3人とも久しぶりにお腹を抱えて笑っていた
長い時間の苦労と痛みが溶けていくようだった
母は私に自分が食べたパンを半分に割いて、私に「食べな」と渡した
その瞬間私の意識は3歳前に戻っていた
3歳前に母が私にまったく同じことをした光景がはっきりと蘇ってきた
離乳食を与えるために、母が私の口に食べ物を運んでいる光景と
感覚と匂いだった
まったく私は3歳前の赤ちゃんだった
母にとって私は、まだ3歳前の赤ちゃんのままなのだ
母にとっても時間は止まったままだった
私たちは最後に写真をとった
母と並ぶと母の胸が私の胸と重なった
その瞬間、私と母との止まった時間が流れ始めた気がした
私はまだ母の胸の中で、眠っている赤ちゃんのようだった
母と妹と別れてから、私は母に聞きたいことがあったことを思い出しメールで聞いてみた
「なんだか不思議なんだけど、ママの歌声を初めて聞いた時
自分の中の魂が目覚めた感じがしたんだ
それはまるで懐かしさで魂が震えるといった感じ・・・
私の小学校の時は、音楽と体育が大好きで、この2つだけは
ずば抜けて成績がよかったんだよ
ママとは一緒に住めなかったけどずっと繋がっていたように感じることがある
私が小さい時、歌を歌っていた?」
母の返信はこうだった
「あまり昔のことで分からないけど、何回かは歌ったよ
夜泣かれた時とかね・・・
不思議な気持ちがするのは分かるよ
同じように感じたから
だから私と同じ失敗をするかと思うと心配なんだよ
分かった時じゃ遅いからまず体を大事にして
頼れる人がお前の側にいてほしい
お金の面でも心の面でも・・・
いつまでも若くないし少しずるいくらいがいいんだよ
強く頑張ってね・・・・・・」
母のメールは相変わらず句読点がない
母は小学校6年生の時に母を亡くしている
私が生まれたのは母が16歳の時
その4年後だ
私の師にこう言われたことがある
「君のお母さんは今もまだ歌を歌っている?
それはまるで小鳥のような歌声なんだ
前世、君が幼少の時に亡くなってしまった後お母さんは
歌を歌っていたんだよ」
私の声は母から譲り受けたものだった
母の歌を私の意識は覚えていて
遠い時空を超えて、私の頭の中に、細胞のすべてに、私の魂に刻み込まれていた
私の中を流れる血は、母の悲しみと、母の優しさと強さが刻まれていた
私は母と共に泣き、母の悲しみと共にあり、母の愛と共にあった
それはいつでも、自分の中にあったのだ
東京に流れている空気は、汚れているのかもしれないけれど
少なくとも、その日私たちを駆け抜けた風は新鮮だった
草原の草の匂いが・・・風が私達を運んでいった
ママと・・・
妹と・・・・