私達の世界には必ず相反するものが生じる
これは何かが存在するということは、その存在は単体では生じることがないという
縁起という概念に基づく
これはダライラマ法王が説いている縁起(ことの起こり)について
存在ということについての講義の中に出てくる
ということは、私達の世界はバランスで成り立っているが
このバランスという意味を深く理解するものはいない
以前、私がシャーマニズムの講義を受けていた時に
先生が言っていた
男性性をどちらかが出すならば、もう一方は女性性を出さざるおえなくなる
これがバランスというものなのだ・・と
私達が捉える光と闇、善と悪は、白が善であり光で、黒が悪であり闇なのだと思っているが、それは正しくない
黒魔術を本当に知るものはごくわずかで、黒魔術こそ唯一病気を治し錬金術を行うものであった
それを時代と共に曲がった形で教えてきたことに、何かしらの意味があるのだろう
大体、ジャッジがある以上、そして自分を証明したいという思いがある以上は
このジャッジからの視点でしか、物事を捉えることができない
これこそが偏った見方なのだ
どこを見れば偏っているかを見分けるかについてだが
正しくある必要性を感じていて、他者や自分を秤にかけている場合
でもこの自分を見つけることが一番難しいのだ
そしてもう一つ言おう
他人を見つけることはできない
それはあなたが自分を映した投影にすぎない
究極、見つけることができるのは、自分の問題のみ
そう。なぜなら、私達は自分の世界を生きるために、様々な問題や他者との関係性を作り出すからだ
ではバランスということについてに話を戻そう
自分が体験する問題を創るために、他者が必要になってくることは分かっただろう
そしてそれはパズルになっている
この役を誰かがやってくれて・・・
この役はこの人がやってくれる・・・
それがあるから、自分はその人の役をやらなくて済むのだ
そして大抵、家族やパートナー、友人関係や、コミュニティにおける役割は
暗黙の了解で・・・(無意識下)で行われている
それは意識的ではないから、犠牲者のように感じることもあるだろう
でも大抵の関係性は、お互いの合意のもとで、お互いに贈り物を与え合うために
自分という役割をこなす
それが例え、嫌な役であったとしても・・・
全世界にあなたという存在を通して、何かを放射しているのだ
自分が嫌になった時・・・立ち止まってみてほしい
あなたはあなたという存在のすべてを通して、世界に贈っているのだ
キリスト教というものができた時、天使という存在が生まれ
天使が生まれたということは、悪魔という存在が同時に出来上がる
これがバランスの法則・・・縁起ということであり世界の真実なのだ
そして何かを生み出しているのは、いつでも私達の内側が生み出している
これは何かが存在するということは、その存在は単体では生じることがないという
縁起という概念に基づく
これはダライラマ法王が説いている縁起(ことの起こり)について
存在ということについての講義の中に出てくる
ということは、私達の世界はバランスで成り立っているが
このバランスという意味を深く理解するものはいない
以前、私がシャーマニズムの講義を受けていた時に
先生が言っていた
男性性をどちらかが出すならば、もう一方は女性性を出さざるおえなくなる
これがバランスというものなのだ・・と
私達が捉える光と闇、善と悪は、白が善であり光で、黒が悪であり闇なのだと思っているが、それは正しくない
黒魔術を本当に知るものはごくわずかで、黒魔術こそ唯一病気を治し錬金術を行うものであった
それを時代と共に曲がった形で教えてきたことに、何かしらの意味があるのだろう
大体、ジャッジがある以上、そして自分を証明したいという思いがある以上は
このジャッジからの視点でしか、物事を捉えることができない
これこそが偏った見方なのだ
どこを見れば偏っているかを見分けるかについてだが
正しくある必要性を感じていて、他者や自分を秤にかけている場合
でもこの自分を見つけることが一番難しいのだ
そしてもう一つ言おう
他人を見つけることはできない
それはあなたが自分を映した投影にすぎない
究極、見つけることができるのは、自分の問題のみ
そう。なぜなら、私達は自分の世界を生きるために、様々な問題や他者との関係性を作り出すからだ
ではバランスということについてに話を戻そう
自分が体験する問題を創るために、他者が必要になってくることは分かっただろう
そしてそれはパズルになっている
この役を誰かがやってくれて・・・
この役はこの人がやってくれる・・・
それがあるから、自分はその人の役をやらなくて済むのだ
そして大抵、家族やパートナー、友人関係や、コミュニティにおける役割は
暗黙の了解で・・・(無意識下)で行われている
それは意識的ではないから、犠牲者のように感じることもあるだろう
でも大抵の関係性は、お互いの合意のもとで、お互いに贈り物を与え合うために
自分という役割をこなす
それが例え、嫌な役であったとしても・・・
全世界にあなたという存在を通して、何かを放射しているのだ
自分が嫌になった時・・・立ち止まってみてほしい
あなたはあなたという存在のすべてを通して、世界に贈っているのだ
キリスト教というものができた時、天使という存在が生まれ
天使が生まれたということは、悪魔という存在が同時に出来上がる
これがバランスの法則・・・縁起ということであり世界の真実なのだ
そして何かを生み出しているのは、いつでも私達の内側が生み出している