今年に入り、急加速で時空をどんどんワープしている
宇宙の渦巻きをどんどん進んでいく
この渦巻きはそれぞれの時代、それぞれの時空間に繋がっていて
すごい速さで進んでいく
どの空間に下りるかは実は決まっていて
回転に振り落とされるかのように
自分の場所が決定する
これが分化と呼ばれる現象なのだ
今年に入り、身体に小さな地震を何度も感じている
地球の呼吸、大地の活動が活発になっているが
すべての出来事は常に起こるべくして起き
それは神の恩寵なのだ
私は今年に入り、地球と交信をとり始めている
地球のスピリットと、そしてそれをサポートする多くのビーイングたち
これらの存在と、様々な情報を受け取っていくことに
どうもなりそうだ
ここ数日、私は深い瞑想状態に入っている
肉体が感じる感情や思考は、すべて感覚と呼ばれるところから発生し
そこにDNAのパターンと幼少期に得たサバイバル戦略が加わり
反応のループを作っていく
ダライラマの講義の中で
心を動かさないこと
というのがあったが
心とは、感じる感情や思考が「私」というものを形成しているのではない
あちこちに彷徨う心が自己を定義づけているが、これは幻想だ
その奥にある揺るがない静かな領域・・・これを平安、静寂、真我などと色々な呼ばれ方をする
心を動かさないというのは、感情をコントロールすることでも、殺すことでもない
何かを操作し、変更し、直そうとすることは、実は新たな問題を発生させることになる
なぜなら、心の一つ一つの問題には意味があり、それは必要だから起こしているのだ
これについてはここでは詳しくは説明しない
いづれにしても、私達は幻想を抜け、目覚めるには、一つ一つ順番に道をあるく必要がある
ところが、この順番にというのがミソなのだ
ダライラマもよく言っているが、物事の基本を何度も何度も繰り返しマスターすることから
と言っている
スピリチュアルの罠は、この基本をマスターせずに、次の段階に入り
知識だけを頭で理解しようとする
これをすると、全部がその時点で、自分の都合のいい解釈をし
他に指を指し、真実から遠ざかっていく
実は禅では、この基本は何十年にも渡って基本だけを繰り返し
真に分かるまで同じことを繰り返しながら進んでいく
同じことの繰り返しには飽きが来るし、なかなか進まないことに腹を立てるかもしれない
そして焦ることで、歪んだ解釈というのがつけられる
だからマスターの域に入ることができないのだ
自己の位置を確認している時点で、それは罠にはまっていると言えよう
一度この道の扉を開いたならば
後に引き返すことはできない
それは転生のどこかの地点で、私達自身が決め
決意をし、長い転生をかけて生まれ、死に
進化をしながら今に至るという長い物語の今なのだ
引き返すことなどできやしない
流れるというのは、これは生命の宿命
私達は生命の最も進化を遂げた形体
人間なのだ
そしてけして一人で進むことはできない
仏陀が歩いた道を
多くの求道者たちが挑んできた
仏陀が開いた道を又、継ぎの者が行った
先人の遺体の上に道はつけられるとは
そういうことなのだ
だから完全に心を開き、委ね、進む必要がある
身を委ねるとは一体どういうことなのだろう
幼少期に私は何度も試された
身を完全に預けること
素直さ
この試すというのは、マスターたちがよく行うこと
戯れのようなものだが、道に迷いやすい
決意ができない弟子たちに
真まで導くためにある意図のもとで行われるものなのだ
完全なる預け入れができないと、長引くか、
罠の抜け方が分からなくなり
真実を捉えることができなくなる
そして又次の転生に持ち越されることになる
何事もやはり基礎、基本が大事なのだ
素直さは最も早く、そして強い柱となるのだということを
通った者だけが知っている
心を静め、それに変更を加えない
それってどういうこと?と質問が沢山飛び交いそうだが
具体的にどうすればよいのかは、お楽しみに
禅を説く方と、実践の両方をお教えしよう
宇宙の渦巻きをどんどん進んでいく
この渦巻きはそれぞれの時代、それぞれの時空間に繋がっていて
すごい速さで進んでいく
どの空間に下りるかは実は決まっていて
回転に振り落とされるかのように
自分の場所が決定する
これが分化と呼ばれる現象なのだ
今年に入り、身体に小さな地震を何度も感じている
地球の呼吸、大地の活動が活発になっているが
すべての出来事は常に起こるべくして起き
それは神の恩寵なのだ
私は今年に入り、地球と交信をとり始めている
地球のスピリットと、そしてそれをサポートする多くのビーイングたち
これらの存在と、様々な情報を受け取っていくことに
どうもなりそうだ
ここ数日、私は深い瞑想状態に入っている
肉体が感じる感情や思考は、すべて感覚と呼ばれるところから発生し
そこにDNAのパターンと幼少期に得たサバイバル戦略が加わり
反応のループを作っていく
ダライラマの講義の中で
心を動かさないこと
というのがあったが
心とは、感じる感情や思考が「私」というものを形成しているのではない
あちこちに彷徨う心が自己を定義づけているが、これは幻想だ
その奥にある揺るがない静かな領域・・・これを平安、静寂、真我などと色々な呼ばれ方をする
心を動かさないというのは、感情をコントロールすることでも、殺すことでもない
何かを操作し、変更し、直そうとすることは、実は新たな問題を発生させることになる
なぜなら、心の一つ一つの問題には意味があり、それは必要だから起こしているのだ
これについてはここでは詳しくは説明しない
いづれにしても、私達は幻想を抜け、目覚めるには、一つ一つ順番に道をあるく必要がある
ところが、この順番にというのがミソなのだ
ダライラマもよく言っているが、物事の基本を何度も何度も繰り返しマスターすることから
と言っている
スピリチュアルの罠は、この基本をマスターせずに、次の段階に入り
知識だけを頭で理解しようとする
これをすると、全部がその時点で、自分の都合のいい解釈をし
他に指を指し、真実から遠ざかっていく
実は禅では、この基本は何十年にも渡って基本だけを繰り返し
真に分かるまで同じことを繰り返しながら進んでいく
同じことの繰り返しには飽きが来るし、なかなか進まないことに腹を立てるかもしれない
そして焦ることで、歪んだ解釈というのがつけられる
だからマスターの域に入ることができないのだ
自己の位置を確認している時点で、それは罠にはまっていると言えよう
一度この道の扉を開いたならば
後に引き返すことはできない
それは転生のどこかの地点で、私達自身が決め
決意をし、長い転生をかけて生まれ、死に
進化をしながら今に至るという長い物語の今なのだ
引き返すことなどできやしない
流れるというのは、これは生命の宿命
私達は生命の最も進化を遂げた形体
人間なのだ
そしてけして一人で進むことはできない
仏陀が歩いた道を
多くの求道者たちが挑んできた
仏陀が開いた道を又、継ぎの者が行った
先人の遺体の上に道はつけられるとは
そういうことなのだ
だから完全に心を開き、委ね、進む必要がある
身を委ねるとは一体どういうことなのだろう
幼少期に私は何度も試された
身を完全に預けること
素直さ
この試すというのは、マスターたちがよく行うこと
戯れのようなものだが、道に迷いやすい
決意ができない弟子たちに
真まで導くためにある意図のもとで行われるものなのだ
完全なる預け入れができないと、長引くか、
罠の抜け方が分からなくなり
真実を捉えることができなくなる
そして又次の転生に持ち越されることになる
何事もやはり基礎、基本が大事なのだ
素直さは最も早く、そして強い柱となるのだということを
通った者だけが知っている
心を静め、それに変更を加えない
それってどういうこと?と質問が沢山飛び交いそうだが
具体的にどうすればよいのかは、お楽しみに
禅を説く方と、実践の両方をお教えしよう