「誰も私に知られずにして思考を動かすことはできない」
サイババの言葉が私の頭をいっぱいにする
私達は自分に自由意志があると思っているが
勿論自由意志はあるが、その意思さえも大いなる存在の手の中にある
そう思わされる出来事が次々に起こる
そして人間的な考えではそれは嫌だとか、もがこうとするのだが
神の意思と言われるような大きなものの中にあるのだから
もがきようがない
完全に委ねてしまえばいいのだが
結局人間である以上は、様々な感情と向き合うことになるのだろう
そしてそれすらも生命のプロセスとして完璧なのだと教えられる
大事なことは、何が起こるかではない
起きたことにどう反応するかが大事だ・・・と心理学では言うだろう
そして私もそのように教えるだろう
でもそれだけが正解ではない
それを超えたところに大いなる意思がある
それは常にこう言っている
ここで起きたすべてのこと
それはそれだけですべてOKなのだと・・・
師も言っていた
「どんなマスターの言葉よりも、一人の人生体験は偉大だ」
「正しくある必要性を手放しなさい」
正しいことと間違っていることを追い求める私達のエゴは
真実なのであろうか?
完全なる無から有が生じ、個別化された私達すべての存在が
この地上で戯れる
ある人は自分を責め、ある人は自信をなくし
ある人は靴をはくこともできず、食べるものを探すかもしれない
その現実を人間である以上、見ないふりをすることはできない
幼児虐待を許すことはできないし
日々、罪のない人が殺されている
痛いほど世界は動いている
そして私という人生は死に向かって進んでいく
そういえば、師が以前言っていた
「生命の、すべての真実を知った者は、真実を語るのを止めてしまった
なぜなら、誰も真実を知りたくないということが分かってしまったから
そして誰も耳を傾けなかったから・・・」
人間体験の邪魔をしたくなかったのだと思う
個としての分離を感じるのはいつでも人間体験をしている時・・・
深い孤独が私を襲う
そして静かになる
師は最後にこう言っていた
「すべては幻想です
とてもリアルな幻想ですが・・・
あなたという役割を演じきりなさい」
それがどれほどの意味を持つのか
その時はいつでも分からないものなのかもしれない
まだ未熟だった
世界中のマスターは孤独をどうやって生きてきたのだろう
それ以上の恩寵や真実やワンネス、至福の状態が
常に続いているのか・・・・
空が暗い雨の日には光を求める
夕陽が見たい
そう私の心は叫んでいた
ずっと雨が降る訳ではない
ずっと晴れる訳もない
いつか雨はあがり虹がでる
そしたら、又、いつものように目を細めて
私は光の中に招かれる
それが生きることなのだと思う
今年の夏は沢山遊ぶぞ~
「ばあばに首ったけ」のTシャツは特注!
これは泰三さんが遺した遺品。私は24時間テレビのTシャツを3回忌からずっと着用。困ったものだ
育てているメロン
ゆあちゃんが毎日お水をあげている