2018年はスピリチュアルの枠を外れ
長い時間をかけて構築してきた世界、自分の地位を捨て
自分の存在する場所を離れた
まるで、生まれて初めて世界を見たようだった
様々な領域にいる人たちと触れ合うことで
自分がヒーラーであることや
こういう人間だという定義から自由になり
そこで世界を捉えていくことは
ある意味、新鮮でもあり、そして混乱の連続でもあった
自分の居場所もなく、自己を見つけることができず
すべてのものを失くすという体験を
自らに課すことは
自分の身を守ることなく、大海に掘り込まれて
どう反応するかを楽しんでいるようにも思える
ゼロになること
無になること
これが私の2018年の達成だったのだろう
いや、達成さえもどうでもよく
自分の思うがままに
無限の可能性に広がり続ける大いなる意思の意図のままに
私は自然であり、風の流れの中に
揺れながら
どこに流れつくかも分からない不確定さの中に
身をおいてきた
よく精神が破壊しなかったものだ
いや、何度も破壊したかもしれないし、
破壊寸前で、救われてきたのかもしれない
年々、未来を確定することが不可能になり
何が起きるかが、予測不可能になっている
通常の私達の意識は、
予測することで、備えをし、
自己を確定することで、自我は守られている
成功哲学と世間で呼ばれている思想は
目的を作り、それを達成することで
自己を確認する
これが自我の安定と呼ばれるものだ
この自我の安定ができなくなるような
突拍子もないことが起きていくのが
今後の世界である
世界は不確定さの中で、自我を固定することはできなくなる
子供達はそれをいち早く取り入れている
子供には、自分はこうだという概念も
こうしなければならないという執着もなく
柔軟にすべてを受容し、そこで生きることができるからだ
私の2番目の師にあたる彼女は、私を世界に押し出すときにこう言った
「悪いものを手放そうというのは誰でもそう思し、そうしようと思う。でもよいものも手放しなさい。すべてを手放し今に生きるのです」
大海で起こる出来事をかまえるのではなく、恐れることを恐れず、
完全に今に存在するのです
これが2019年に問われていくことになるだろう
2018年は「禅」で多くの人との交流があった
様々な仕事に関わる人と、ヒーラーとしてではなく
一人の人間として関わり、話をしてきた
色々な人の噂も聞いた
色々な知識を持っている人もいた
でも人はどんなに知識を持っていても
それを生きていなければ、ただの傍観者にすぎない
惹かれるのは、知識ではない
泥臭い、人生体験だ
人間らしい感情
弱さを隠さず、攻撃的でありながら
保守的な部分をそのまま表現する
どんな瞬間も自分のまま
人を傍観して他人を評価する人ではなく
人生を一生懸命に生きている人がいい
私の道を行くのだ
長い時間をかけて構築してきた世界、自分の地位を捨て
自分の存在する場所を離れた
まるで、生まれて初めて世界を見たようだった
様々な領域にいる人たちと触れ合うことで
自分がヒーラーであることや
こういう人間だという定義から自由になり
そこで世界を捉えていくことは
ある意味、新鮮でもあり、そして混乱の連続でもあった
自分の居場所もなく、自己を見つけることができず
すべてのものを失くすという体験を
自らに課すことは
自分の身を守ることなく、大海に掘り込まれて
どう反応するかを楽しんでいるようにも思える
ゼロになること
無になること
これが私の2018年の達成だったのだろう
いや、達成さえもどうでもよく
自分の思うがままに
無限の可能性に広がり続ける大いなる意思の意図のままに
私は自然であり、風の流れの中に
揺れながら
どこに流れつくかも分からない不確定さの中に
身をおいてきた
よく精神が破壊しなかったものだ
いや、何度も破壊したかもしれないし、
破壊寸前で、救われてきたのかもしれない
年々、未来を確定することが不可能になり
何が起きるかが、予測不可能になっている
通常の私達の意識は、
予測することで、備えをし、
自己を確定することで、自我は守られている
成功哲学と世間で呼ばれている思想は
目的を作り、それを達成することで
自己を確認する
これが自我の安定と呼ばれるものだ
この自我の安定ができなくなるような
突拍子もないことが起きていくのが
今後の世界である
世界は不確定さの中で、自我を固定することはできなくなる
子供達はそれをいち早く取り入れている
子供には、自分はこうだという概念も
こうしなければならないという執着もなく
柔軟にすべてを受容し、そこで生きることができるからだ
私の2番目の師にあたる彼女は、私を世界に押し出すときにこう言った
「悪いものを手放そうというのは誰でもそう思し、そうしようと思う。でもよいものも手放しなさい。すべてを手放し今に生きるのです」
大海で起こる出来事をかまえるのではなく、恐れることを恐れず、
完全に今に存在するのです
これが2019年に問われていくことになるだろう
2018年は「禅」で多くの人との交流があった
様々な仕事に関わる人と、ヒーラーとしてではなく
一人の人間として関わり、話をしてきた
色々な人の噂も聞いた
色々な知識を持っている人もいた
でも人はどんなに知識を持っていても
それを生きていなければ、ただの傍観者にすぎない
惹かれるのは、知識ではない
泥臭い、人生体験だ
人間らしい感情
弱さを隠さず、攻撃的でありながら
保守的な部分をそのまま表現する
どんな瞬間も自分のまま
人を傍観して他人を評価する人ではなく
人生を一生懸命に生きている人がいい
私の道を行くのだ