THE WAY

インディアンネーム「生命の声を聞く者」のヒーリングブログ

すべては善きことが起きている

2021-03-13 22:58:27 | スピリチュアル

3月13日

孫娘のゆあちゃんの卒園式

 

小学校の卒業式のように、きちんと挨拶をし

証書をもらってお辞儀をしていた

 

園長先生は一人ひとりの首に、マリア様のメダイをかけ

子供達はお辞儀をしてかけてもらっていた

 

 

うちは宗教には入っていないが

ミッション系の保育園に入れたかった

 

ただ子供たちを見ているだけの保育園ではなく

モンテッソーリ教育を取り入れていたからというのもあった

 

 

横に映っているのは娘

金沢はお寺の保育園が多く

娘もお寺の保育園だったが

彼女の卒園式の時は

こんな風に落ち着いていなかった

 

お遊戯会の時も泣いていて、先生を困らせたし

卒園式なんて、悲しくて泣くのではなく

ずっと泣きわめいていた

 

しかも小学校に入り、登校拒否になり

高校は中退

 

私は師のところに駆け寄り

どうして自分の娘が登校拒否になるのかを

問いかけたこともあった

 

娘は18歳の時、未婚でゆあを出産した

出産の後、陣痛促進剤の副作用で

脳の一部が白くなり

意識を失い、入院した

 

彼女には随分泣かされ、心配が尽きなかったが

 

ゆあが授かってから必死で働いていた

 

師が私に言ったように「この子は何でもする子になるよ」の通り

自由に、自分の人生を生きている

 

そして、私が東京に出てしまうと

家の一切を引き受け

兄や妹の世話、引っ越しの金銭面の工面など

嫌がらずに私を助けた

 

そして自分の誕生日になると

「私を生んでくれてありがとう」ってメッセージがくる

 

なんていうか・・・・こちらこそありがとうって感じだ

 

そして今回、嬉しい報告があった

ようやく娘は結婚することになったのだった

 

ゆあを大事にしてくれる人で

穏やかで、仕事もやりての社長さんらしい

 

ゆあと手を繋いで歩いている写真を見た時

涙が出てしまった

 

本当によかった

と思う気持ちと同時に

娘に対する感謝のフィーリングが・・・・

 

この気持ちは、もういつ死んでもいいというような

完了のフィーリングだった

 

この圧倒されたフィーリングに耐えられなくなった私は

眠りにつき

次の日、なぜか具合悪く目を覚ました

 

まるで、まだ逝ってはダメだといわんばかりに

地球にアンカリングされたように感じていた

 

以前にも同じような体験があった

光の体験は2年間続いたのだが

喜びのフィーリングに中に

時々、切なさと悲しみのフィーリングが同時に入ってきて

耐えられなくなったことを思い出していた

 

悲しくないのに、ただ圧倒されるフィーリングに

私のハートが耐えられなくなって

バランスをとっているかのようだった

 

 

すべては完全なタイミングで訪れる

その時、その瞬間に

 

それは自分だけでなく

周りのすべても関わっていて

まるで一緒に合意して物語を作っていて

お互いの人生が完成されるのを

助け合うように出来上がっていく

 

たとえ、それがその時、受け入れられないようなことでも

感情的に嫌な出来事でも

なるようになっている

 

Let it Be

すべてはあるがままに

なるがままに・・・

 

今の子供たちは

ずっと大人で、頭がよく

ゆあちゃんは、2歳のときには

「なぜなら」という理由を説明できる子だった

 

今、転生してきている子供たちは

葛藤をあまり持っていない

いい悪いを判断することなく

そのままシンプルに生きている

 

時代というのは、不思議なもので

その時代のエネルギーの流れのエッセンスに応じた魂が

降りてくるのだと思わずにはおれない

何か目に見えない集合意識が創り出すのか・・・

その時に必要な世界に対する贈り物を持って

地球にやってくるのだと思っている

 

子供だけが持つ素朴で純粋なエネルギーは

独特の周波数を持ち、それが私達大人の周波数と交じり合い

お互いに影響を与え合う

 

地球の交響曲は、世界が交じり合うことで生み出される

 

そしてその音楽は地球の大地にしみわたり

大地は海や大気を通して、地球に住む動物や植物

すべての存在に行き渡る

 

耳を澄ませて、じっとしていれば

その音楽は聞こえてくる

 

沈黙という中に

雑踏の中に

そして喧騒の中にも・・・・

 

このバイブレーションに触れる時

この上ない感謝のフィーリングが訪れる

 

聞こえるのは

 

良きことも

悪しきことも

究極の真実は

すべては完璧な流れの中で

流れているのだということだった

 

完成されたピースが埋まるように

私の心は満たされている