2022年、あと少しで今年も終わり
実際は、冬至がシャーマニズムでいうとお正月
今年の私は自然農を学んだ
そして15年以上前からヴィジョンを得ていた
とある世界を創るために動き始めた
足踏み式脱穀機
これは実際収穫したお米 ⇧
4種類のお米を植えたが、収穫の時になって
もち米2種類と混ざり、炊いたらもち米だった
グレープフルーツのような大きさのレモン
巨峰を作ったはずなのに、シャインマスカットのような色
しばらくすると色が変わり、心配無用
やはり巨峰だった
めっちゃ甘い
桃
可愛くて食べたくなかった(#^.^#)
あまーい!
すっかり菜園つくりにはまった年だった
年の瀬に、私は再びあのユニークな天才と話をすることができた
90歳のお爺ちゃん賢者と60代の友人との関わりは
何度となく私の根底にある概念を吹き飛ばしてきた
⇩ ⇩ ⇩これは全回の模様
https://blog.goo.ne.jp/soratom/e/39871f3006e10eefa063f53d23391f64
この会談を賢者会議と私は勝手に名付けているのだが
60代の友人がつい最近仮想空間、メタバースを作り始めたというところから話がスタートした
私の15年以上も前からのヴィジョンは
想像できうるファンタジーを現実的に外に現すという錬金術的なもので
空飛ぶペガサスのような実際にはあり得ないだろうとされるものを
この世界に現して、自分の中のパワーと繋がったり
ヒーリングを起こすという世界である
ヴィジョンを少しづつ現実化させていく動きに
今年は入ったのだが
それと同時期に仮想空間を作り始めたというその世界観を聞いていたら
色々なことがリンクしていることがわかってきた
この世界のすべては同じ時期に同じようなことを
大いなる意識というものなのか、信号というものを
キャッチし、同じ方向に進むという現象が起きる
動物は何の会話もないのに同じ方向に進み
魚の群れも、一斉にターンをして方法を変える
私達には何か目に見えない意思、意識があって
それを受け取っている人はなんとなくと表現するのだろうが
同じような情報を受け取り、それに反応をしているのである
60代の友人の仮想空間の話を聞いていたら
なんと90歳のお爺ちゃん賢者までもが、ニュートリノの話をしだした
まだニュートリノなど名前がなかった頃
物理の計算をしていくと数式が合わないそうだ
そこで仮設をたてて導きだされたものが
素粒子には形となるものと、心というような意識になる部分があると
思ったそうだ
だからすべての存在する物は同じ意識を宿している・・・・と
(ちょっと言葉が違うかもしれないけど・・・間違っていたらごめんなさい)(汗)(;一_一)
最後に放った言葉は、何千年前のお釈迦様は
ニュートリノが解明した世界を全部語っているといった
そして望んでいる死に方は、遺体を動物たちが食べ
草の上で腐り大地に戻る
存在するすべては同じものであり
同じ意識体なんだと語っていた
これは60代の友人も同じことを言っていて
野垂れ死にすることが夢だと語ったが
同じ意味である
アラスカの写真家星野道夫さんが
熊に食べられて死んだのは
最高の死に方なんだろう
インディアンやシャーマンたちも
この世界に、静かに降り立ち
足跡を残さず去っていく
と表現していた
師はこう言っていた
「先人の遺体の上に道はつけられる」
こうした賢者たちの声を聴くことが
どれだけ幸せなことか
大きな権力を持つわけでもなく
カリスマを持って活躍している訳ではない
禅の十牛図でいえば
本当の覚者は、普通の生活をし
誰にも知られずにして自然の中に溶けていく
それに出会えたことがどれほど神の恩寵か分からないだろう
そしてすべての存在の中に
その素晴らしいエッセンスは存在している
今年に入り私が私を見つけられなくなった一つは
自分の姿を個体として捉えることができない
というものであった
そのため、この現実的な社会が
私には現実に思えず、幻想で一時的にこの世界に滞在しているとしか思えなかった
この感覚は誰にも説明できず
まるで孫悟空の分身の術のように
あちこちに自分が存在しているのを体験していた
このフィールド内に確かに自分は存在するのだが
主体として存在しているのは
他の領域にいるのである
死とは意識が形を変えて存在し
私達と何ら変わりがないもので
今私が感じているものは、3次元の世界ではない
死と言われる領域さえも同じであり
時間も空間も超越した世界を
あちこち行き来しているとしか思えなかった
この時空の行き来は
時には液体のようでもあり
点でもあり、流れる風のようであった
私は自分の存在自体さえも
捉えることができず
一体何者なのかも分からないでいた
同時にどの時空にも私がいて
すべてがあった
この答えをまんまと簡単に説明したのが60代の天才である
それはもっぱらその辺で解明されている2重スリット実験や
シュレディンガーの猫の話からスタートしたのだが
その解明の仕方が普通ではなく
光の領域にいれば、空間は存在しないのだから
あちこちに存在するのは当然で
量子のもつれも、当たり前の理論だとあまりにも簡単にいうので
目が点になった
この世界に存在していて、当たり前のように目の前に物体がある
空間があると認識しているけれど
この世界は本当は意識の投影にすぎないと
言ったのである
すべては幻想であると言った20年以上前の師の言葉とまったく同じなのだ
その時の私の反応は「なーんだ!そーかー」だった
本気で悩んでいたので笑ってしまった
すべては一つで同じ意識であり
お互いに完全なるコミュニケーション(シンクロニシティ)を遂げながら
存在している
この身体は100兆もの細胞から成り立ち
その数は銀河系全体の星に千個ずつ細胞が存在する計算になるという
受精した卵子がわずか50回分裂を繰り返すだけで
100兆もの細胞ができあがる
それぞれの細胞が他のすべての細胞が果たす役割を知っておかなければならないし
細胞ひとつひとつが同調していなければ、人体として機能することはできないという
これは人間だけでなく、すべての生命体のシステムが
お互いを支えあい、お互いを知っているというプログラムが働いているということを示す
この身体が宇宙や自然と同じように
お互いに影響しあい、創造している
この世界を常に創り上げている創造主は
実はたった一つの存在ではなく
すべての存在の中にある
仮想領域は
可能性の領域、無限の可能性であり
時間も空間も存在しない
すべてである仮想の存在レベルで起きる出来事は
瞬時に因果関係もなく
時間や距離に影響なく発生する
そして瞬時にあらゆる場所に同時に
複数の結果をもたらすことができる
この領域こそが偶然の一致をもたらす場であり
ゼロポイントという人もいるだろう
死とは、こういう意識の場へ到達することなのだと思う
宇宙や地球が変容をもたらしたこの3年間は
多くの人が亡くなり
それは常に自然と連動し
私達の意識はより自由に戯れる時代にはいることだろう
私はきっと魂の旅を続け
すべての存在と地球でダンスを踊りたいのだろう
そして私の魂は地球で一瞬だけこう言われる
「Soul dancing with the earth」(笑)(^^)v
又来年も一緒に戯れましょう
よいお年を(^^)/~~~