10月9日の夕方、娘の父親が急死した。
彼は脳卒中で、ばりばり働いていた仕事を辞めざるおえない状況になり
身寄りがないため、生活保護をうけながらある施設でお世話になっていた。
意識不明が何日も続き、命は助からないと言われていたのだが
回復し、話ができるようになり、食事も食べることができるまでになっていた。
その後、何度も誤嚥性肺炎で、施設から病院へ入退院を繰り返していた。
病院では、看護士がオムツをかえてくれないと、文句を言っては我侭とみなされ
相手にされなかった。
施設では、とてもよくしてもらっていて、穏やかだった。
最期は、誰もいない一人部屋で、施設の人が見回りにいくと
亡くなっていたそうだ。
前日、娘は、なぜか父親のところに行かなきゃと思っていたと言っていた。
虫の知らせなのだろう。
私は急遽、東京から金沢に帰り、手続きをしてあげなくてはならなかった。
紹介してくれた葬儀社の方は
生活保護の方の亡くなった後のことを、丁寧に教えてくれた。
葬儀はできないし、お坊さんを呼んでお経をあげることもできない。
市で厳しい取り決めがあるそうだ。
彼は生前、日蓮宗で、熱心にお寺に通い、忠実に教えを守り、何かあればお伺いをたてていた。
だから、彼の意思は知っていたし、彼の望む形で見送ってあげたかった。
唯一、85歳の彼のお姉さんが、心配して、戒名とお墓や、お経のことを聞いてきたが
無理なことを伝えるしかなかった。
11日が焼き場で遺体を焼くということは決まった。
死後3日間は、肉体意識が肉体の中に留まるため
焼いてはいけないということは、授業でも伝えていたし
ちゃんとポアして、肉体から意識を抜いてあげるためには
どうしてもお経が必要だった。
11日、彼の遺体を焼き場の火葬炉に入れるために、お棺と共に歩いた。
お棺の中の彼の中には、まだ肉体意識があった。
困ったな~。でもなんとなく、心配いらない気がしていたが
現実にはまだ意識が抜けていない。
火葬炉の前の天上は円形になっていた。
私はもう願うように、彼の肉体から意識が抜けることを祈っていた。
すると、どこからかお経が聞こえてきた。
このお経の声は私にしか聞こえない。
神戸の山の上にあるお寺の、彼がお世話になったお上人の声だった。
ああ~。
よかった~。
85歳のお姉さんが、神戸のお上人にお願いをして、お経をあげてもらったのだと思った。
「お別れの時です」火葬場の人が炉にお棺を入れる前だった。
天上に、すう~と意識が抜けていった。
お迎えがきたのだ。
すごい!
ほんと、よかった。
彼の生前からの意思、「骨を拾ってくれ」
結局そうなるのよね。
初七日まで、毎日、お経を上げてくれるそうだ。
85歳のお姉さんの弟を思う強い意思が
すべてを超えて、彼を救ったのだった。
人生は有限だ。
そしてどの人生も、どの瞬間も神聖な時間であり
一人の存在は、すべての人の中で守られ愛されている。
多くの人の心と手によって、愛され、お世話され
そうやって私達は繋がっている。
感謝のフィーリングが私を包み、娘のねねちゃんが
久しぶりに私にまとわりつき、
なんだか大きなクスクスが私を再び神の元に連れ戻したのだった
彼は脳卒中で、ばりばり働いていた仕事を辞めざるおえない状況になり
身寄りがないため、生活保護をうけながらある施設でお世話になっていた。
意識不明が何日も続き、命は助からないと言われていたのだが
回復し、話ができるようになり、食事も食べることができるまでになっていた。
その後、何度も誤嚥性肺炎で、施設から病院へ入退院を繰り返していた。
病院では、看護士がオムツをかえてくれないと、文句を言っては我侭とみなされ
相手にされなかった。
施設では、とてもよくしてもらっていて、穏やかだった。
最期は、誰もいない一人部屋で、施設の人が見回りにいくと
亡くなっていたそうだ。
前日、娘は、なぜか父親のところに行かなきゃと思っていたと言っていた。
虫の知らせなのだろう。
私は急遽、東京から金沢に帰り、手続きをしてあげなくてはならなかった。
紹介してくれた葬儀社の方は
生活保護の方の亡くなった後のことを、丁寧に教えてくれた。
葬儀はできないし、お坊さんを呼んでお経をあげることもできない。
市で厳しい取り決めがあるそうだ。
彼は生前、日蓮宗で、熱心にお寺に通い、忠実に教えを守り、何かあればお伺いをたてていた。
だから、彼の意思は知っていたし、彼の望む形で見送ってあげたかった。
唯一、85歳の彼のお姉さんが、心配して、戒名とお墓や、お経のことを聞いてきたが
無理なことを伝えるしかなかった。
11日が焼き場で遺体を焼くということは決まった。
死後3日間は、肉体意識が肉体の中に留まるため
焼いてはいけないということは、授業でも伝えていたし
ちゃんとポアして、肉体から意識を抜いてあげるためには
どうしてもお経が必要だった。
11日、彼の遺体を焼き場の火葬炉に入れるために、お棺と共に歩いた。
お棺の中の彼の中には、まだ肉体意識があった。
困ったな~。でもなんとなく、心配いらない気がしていたが
現実にはまだ意識が抜けていない。
火葬炉の前の天上は円形になっていた。
私はもう願うように、彼の肉体から意識が抜けることを祈っていた。
すると、どこからかお経が聞こえてきた。
このお経の声は私にしか聞こえない。
神戸の山の上にあるお寺の、彼がお世話になったお上人の声だった。
ああ~。
よかった~。
85歳のお姉さんが、神戸のお上人にお願いをして、お経をあげてもらったのだと思った。
「お別れの時です」火葬場の人が炉にお棺を入れる前だった。
天上に、すう~と意識が抜けていった。
お迎えがきたのだ。
すごい!
ほんと、よかった。
彼の生前からの意思、「骨を拾ってくれ」
結局そうなるのよね。
初七日まで、毎日、お経を上げてくれるそうだ。
85歳のお姉さんの弟を思う強い意思が
すべてを超えて、彼を救ったのだった。
人生は有限だ。
そしてどの人生も、どの瞬間も神聖な時間であり
一人の存在は、すべての人の中で守られ愛されている。
多くの人の心と手によって、愛され、お世話され
そうやって私達は繋がっている。
感謝のフィーリングが私を包み、娘のねねちゃんが
久しぶりに私にまとわりつき、
なんだか大きなクスクスが私を再び神の元に連れ戻したのだった