自宅から戻りいつもの朝の歩行を開始する。
本心は布団の中でもう少し寝ていたいと思いながら外の気配を伺っている。雨なら寝ていられるがどうも晴れらしいと仕方なげに起き出して支度する。歩き始めると快感なのだ。冷たい風を受けながらいつもの道を歩く。
栗の木や柿の木が何本か植えてあり道路の方まで伸びている。下の道路には毬栗や青柿の小さいのがいっぱい落ちていた。毬栗を踏むと艶ややかな栗が見えた。
今日の収穫栗と大木から出ていた新芽
先日の内視鏡検査の時待ち時間に読んだ本がこれ
10年くらい昔だと思う。仲良し三婆という友が居てそのなかのMさんが水上勉さんの本をいっぱい持っていてお食事に招かれたときもらってきたような気がする。少し読んだが覚えがない。その時はすることがいっぱいあって落ち着いて本を読むことがなかったのだ。本は学生のころから好きだった。自分が経験出来ないいろいろな人生を垣間見ることが出来るから楽しかったのを思い出す。
今回はなにもすることがない時間を過すための読書であるが、読み始めたらはまってしまった。
水上氏は私は「植木鉢の土になりたい」という。わたしは花よりも草に、草よりも球根を育てる土でいいのだ・・・これは作者の家庭環境によるものであろうが どうしたらそういう気持ちになれるのか
という理由が好きだ。遍歴の数が多いこと悪遍歴も善遍歴もあるけれども、たくさんの遍歴を経て、到達した本心だ。それが人が生きるということだと書かれている。
なぜこの文章に心引かれたかというと私は悪遍歴が多すぎるので自分を慰めるためにこの部分を読んだのである。
大腸の内視鏡検査も待ち時間を心慰めながら過すことが出来て良かった。水上氏の書かれた本も映画化されたものもたくさん拝見してきた。この本は彼が84歳の時書かれている。ちょうど私と同じ年頃ということもあって頷きながら読んだ。水上氏は生きて、生きて、生き抜きたい。私は生きていたい。と連呼している。
話は違いますが、このパソコンは文章を途中で直そうとEnterキーを押すと同じ文章が2,3回続けて打たれるので打ち直しが多くて困っています。誰か教えてくださいませ。