もう一つ、今日につながる重要な問題点が指摘されている。危機管理である。
2011年、フジテレビ前で抗議のデモ行進が行われたことがあった。「フジテレビが韓流ドラマを放送しすぎている」という意見に端を発し、「フジテレビは韓流びいきだ」「フジテレビは反日だ」という意見が盛り上がった末の抗議活動だった。
吉野氏によれば、韓流ドラマが多いのは「比較的安く買える上に、視聴率が高い。つまり儲かる」というのが理由だったという。しかし、そうした主張は広まらなかった。当時のことを振り返りつつ、吉野氏はこう分析している。
「私が学生からよく聞かれる質問のひとつに『フジテレビは韓国人の社員が多いんですよね?』というものがある。これも全くのデマだが、こうした誤解がなぜ広まってしまったのだろうか。
その理由のひとつは、フジテレビのキャンペーン商法にある。
例えば、映画やドラマを大々的に広報するために、朝から夜の番組まで主演俳優を出演させるのは、フジテレビならではのPR手法である。韓流コンテンツに関しても、同様のやり方で広報活動をしたため、特にフジテレビが『ゴリ押し』あるいは『ひいき』をしているという印象を残したのだろう。
ネットで発生した、フジテレビに対する“韓流ゴリ押し”“反日テレビ局”というレッテルは拡散され、“嘘も百回繰り返せば真実”とばかりに既成事実化して、繰り返しネット系ニュース・メディアでも取り上げられるようになった。(略)
このような状況に対してフジテレビは、丁寧に説明をして反論することはなかった。その理由は複数考えられる。
『批判は一部のネットの住民が書き込んでいるに過ぎない。リアル世界への影響力は限定的である』
『下手に反論をすると、逆に炎上を招き事態は収まるどころか悪化する』
『“商売だからやっています”という説明は、身もふたもない商業主義を露呈することになるため、公共性を担う放送局としては言いにくい』
とまあ、その言い分はこんなところだろうか。
これまでの危機管理対応の枠組みで考えると、フジテレビが詳細な説明をしないことは間違っていないかもしれないが、新しいネット時代の言論状況において、はたしてそれは適切だったのだろうか。フジ側の『あんなものを相手にするわけにはいかない』という『上から目線』の対応を、ネットの住民は敏感に感じ取って、益々バッシングが強まるという結果を招いてしまったのではないだろうか」
また、次のような分析も興味深い。
「フジテレビがデモの対象となったのは、社会の雰囲気がよりシビアになる中、報道・情報系の番組以外では、相変わらず仲間内で楽しそうにはしゃぎ、長引く不況もどこ吹く風の“高給取り”に対する苛立ちや鬱憤もあったのだろう。日本社会のリアルに寄り添わず、浮世離れしたフジテレビが許せない──ネットユーザーはそんな感情を抱いたのではないだろうか(略)
“韓流ゴリ押し”デモは、誤解に基づいた騒動ではあったが、フジテレビのその後を決定づける分水嶺となったと私は考える。フジテレビが狙われたのはそれなりの理由があったのに、ネットの批判を軽く見て、対処を間違えたのではないか。この件に関するネット世論を異端の言説とするのではなく、世間からの警告と捉え、『なぜここまで叩かれるのか』を徹底的に分析し、その結果を社内で共有して対処していれば、その後の凋落はなかったかもしれない」
この2011年のフジTVデモ無かった事と無視したマスゴミ各社。地上波で報じた所はあったな?
韓国人及びその帰化人は「TBSの方が多そうじゃね 」とのリツイートに座布団3枚。
「学生にもウジは韓国人だらけと思われてるわけね」とのリツイートに座布団1枚。
そもそもTV業界は朝鮮学校出身者のナワバリだそうだ。過去に博報堂の社員が連れていた番組制作会社の人間が食事の席でそう豪語していた。
「TBSはハングルわからないと出世できないとか聞くね」とのリツイートに座布団1枚。安住アナが過去にインタビューでそう応えていた。
在日韓国人が多いではなく、その帰化人も多い。故に「通名が多いが正解」とのリツイートに座布団3枚。
「TBSに在日枠があるって暴露した人いなかったっけ?」とのリツイートに座布団1枚。
フジTVはソチ五輪の閉会式で東北の震災への鎮魂のパフォーマンスの時、キム・ヨナのビデオを流したからね。
これは明らかに反日親韓であり韓国人の意向と思われても仕方が無い。
日本のTV局か?疑問に思う。