官僚出身の政治家が政権内で幅を利かせるのは、大正時代からいや明治時代からそうだったようだ。役所の仕事が解る、官僚との人脈がある、などなどである。改めて政治家と官僚との違いは何なのだろうか?選挙の洗礼の有無、国家試験突破の有無、などの声が聞こえてくるが、やはり政治家は「決断力」の有無ではないだろうか。知識は官僚の方が凄いことは、多くの国民が理解している。政治家の存在意義は「決断」にあると私は思う。元寇の御世、幕府の半分と朝廷は、元に返事をしない「YESorNOをハッキリしない」現在の外交方針と似たような道を選ぶ。しかし北条時宗は反攻することを決断する。その結果が歴史の事実だ。この「決断」が政治家の本懐ではないだろうか。太平洋戦争開戦直前の御前会議のように「二年は暴れてみせる」で何の戦略もなく日米開戦に踏み切った政治家の「決断」の質は相当に悪い。その準備が全くできていない。腹も括っていない。山本五十六と言う軍官僚を使いこなす政治家がいなかったということだ。現在も山本五十六に匹敵するような官僚は多数いるが、政治家が使いこなせないのである。なぜか、腹をくくれないからだ。決断ができないからだ。決断した以上その責任を負う。しかし責任は負いたくないので無責任な判断(決断ではない)しかできない。
しかしその政治家を選ぶのは国民である。日頃から政治情勢についてアンテナを張っていなければ解らない。小泉元首相が首相になる前、郵便局の連中は「小泉は絶対ない」と希望的観測のもとに話をしていたが、郵便局の民営化が行われると数年で転職した連中が多い。しかし使いものにならない。JTBがまだ国鉄の時代多くの国鉄職員を受け入れた。顧客とトラブルを起こすのは元国鉄職員だった。このように官僚を頂点とした公務員は、一般社会では生きて行けない連中が多い。その官僚は自分のテリトリーではすばらしい仕事をするが、事「決断」においては全くと言って良いほど後ろ向きの生活を送ってきている。おバカな番組ばかり見ていると決断すべき時さえ分らず流されて行く。
国家の存亡や人命にかかわる事案の決断にはスピードが必要だ。業務のスピードこれは官僚には苦手なものだ。政治家が決断できれば官僚は組織で有効に活動する。民主党はこの「決断」ができなかった。狂牛病対策、米軍基地問題、地震の復興、原発への対応、領土問題。余談だが、特に原発作業者の賃金が間に入った業者に掠め取られている現状。俗に言う従軍慰安婦と同じ状況だ。彼女たちを騙したのは大日本帝国ではない。ヤクザや女衒の連中だ。給与も同様に掠め取られている。
政治家は口だけでなく行動しなければ意味が無い。そしてその評価は実績をもって国民が行う。そのことをわすれて官僚的な政治家がマスコミで取り上げられている。決断ができない政治家など税金の無駄である。