社会科学上の不満

政治・経済上の不満のハケ口(左翼出入り禁止)
外交と防衛、歴史と現状についての不満のハケ口。(観念論の方は出入り禁止)

政治の季節

2007-06-30 16:56:40 | 社会常識と教育
 最近巷で聞く話題が参議院選挙からみが多くなったように感じます。その話題の殆どが「年金問題」です。しかし、冷静考えてみるとこの年金問題は社会保険庁の職員のチョンボであり、自民党のチョンボではありません。自民党のこの問題でのチョンボは社会保険庁の職員に責任を取らせる法律がないことを放置してきたことにあります。ふりかえって民主党の半数や社民党は、社会保険庁のいや役人の責任を追及する法律作成に、また社会保険庁が進めてきた年金番号の一本化に反対してきた「組合」がその支持母体です。
 国民と行政と議会はジャンケンの関係にあるべきです。それが違法でないことを裁判所がジャッチします。しかし、行政と議会が癒着してはジャンケンは成り立ちません。
 年金問題の本質は、社会保険庁の役人の問題であり引いては政府自民党の責任であるとの意見が、議員内閣制では正しいのでしょう。しかし、その実態は、大臣はお飾りであり長くても2年でいなくなります。そのためその在籍期間中に膨大な省庁の業務を把握できるはずはありません。この状況を打破することに自民党は成功して来ませんでした。むしろ共に癒着し利権をあさった歴史があります。一方民主党も組合問題でもわかるように、ただ「反対」してきただけです。
 戦前の議会は政友会と立憲改正党との2大政党でした。政党が代わると役所の人事まで大きく代わり、政策の一貫性が保つことができませんでした。そして汚職も現在と同様に横行していました。50年以上つづく単独政権ではシガラミや癒着がどうしても出てくるため、2大政党制は必要かもしれませんが、それを使いこなせる民度が国民にあるのでしょうか。
 国民がどれだけ、政府=行政と議会を監視できるかが民主政治の基本です。「どうせ変わらないから」では本当に変わりません。国民が「政治を変えよう」と自ら思わない限り政治は変わりません。おバカな番組やスポーツだけにしか興味がなければ、為政者=政府や議会にそしてマスコミにいいように操作されるだけです。
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中国の歴史感

2007-06-29 18:56:34 | 外交と防衛
四大河文明の1つである「黄河」は、イメージとしては大河で瀬戸内海と同じように向こう岸が見えないという感じがします。しかし現実には、黄河は枯れています。干上がってしまっているのです。沿岸部の工業用水や灌漑農業の影響とされいますが、どうも植林を行なわないで森林伐採や焼畑等を行なってきたためと言われています。前のblogで書きましたように、共産主義や社会主義の国家はとりわけ環境破壊に対し鈍い傾向があります。
 過去に日本が植林事業を勧めた経緯がありますが、農家に収入源の保障もなくやらせても続きません。中国の沿岸部と内陸部との格差は想像を絶するものがあります。中国では携帯電話が盛んですがそれは、電線を引くコストが不用だからです。しかし、内陸部では中継機がなく使用できません。そのような中国の内陸部で保障もなく植林を押し付けても農民は動きません。
  その昔楼蘭が砂漠に埋もれた歴史をもつ中国です。他人には歴史歴史と言う割には自分たちのこととは別なのでしょう。
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世論調査

2007-06-28 21:36:43 | マスコミ批判
 マスコミの世論調査は余程注意しなければなりません。
例としてよくある設問に「大人は何歳からですか?」と言うのがあります。これは、「大人をXとし何歳からをYとするとX+Y=5を求めよ」言う設問と同じです。大人がどういうものか、それにふさわしい年齢は幾つかというのでは何通りもの答がでます。この設問の正しい例は「二十歳は大人すか?」というと問いです。世論調査の目的は統計的なデータの収拾及び分析にあります。分析は数学の公式を利用して行ないます。これでは分析はできません。
 同様に、「在日米軍は賛成ですか?」と言う設問も怪しいものです。これでは反対に、軍隊自身反対と言う意見の方と自国は自らで守るのが当然だあると言う意見の方が混在します。それでは調査の意味がありません。しかし、ベクトルをかけるには都合がよい方法です。
 このようにマスコミの世論調査とその記事には信憑性を疑うものが多数あります。社会調査の専門家谷岡一郎氏がマスコミの社会調査方法に疑問を投げかけています。朝日新聞1999年6月30日の記事の見出しに、『「君が代」法制化、必要47%、不要45%、議論を充分尽くせ66%そして小さなもじで法制化賛成58%』とありました。ここでは他の新聞より優秀で「問い」を記載していて、「今の国会で成立させるのがよい」23%、「議論を尽くすべきだ」66%、「その他・回答がない」、という具合に。しかし、この問いに2つの意味が重なっていたようです。
 世論調査は余程注意しなければなりません。
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その時の風潮

2007-06-27 19:57:14 | マスコミ批判
 二世部隊で、現在の感覚でその当時の出来事を断罪することが好ましくない旨を書いたつもりです。アメリカの下院の委員会で「従軍慰安婦」問題で日本が謝罪するように決まったそうですが、ではGHQ統治下の日本でのアメリカ兵の行状についても謝罪するのだと思われます。ドレスデンやその他多くのドイツの都市や原爆や東京大空襲などの日本の都市への縦断爆撃は、非戦闘員の大虐殺ではないでしょうか。またその後の統治時代にアメリカが行った街娼制度を日本政府に作成させたこと事態、従軍慰安婦問題以上の人権問題ではないでしょうか。同様にベトナムでの韓国の所業も同罪です。しかも昭和33年まで日本は売春は違法ではありませんでした。アメリカも売春が禁止されたのはそう古くはないと記憶しています。他人のことよりまず自分の頭のハエを追っ払った方が良いのではないでしょうか。
 同様に、年金の問題もその当時の社会情勢を無視しての責任論は意味があるのでしょうか。当時は、社会保険事務所に商用などで行きますと「電算化による合理化反対!」「年金番号統一による中央集権体制の打破!」などの垂れ幕が事務所に掲げてありました。そして朝日新聞の論調がこれをバックアップして、社会党の議席が国会の1/3を占めていました。社会の風潮そのものが組合支持の色が強い時代でした。これは私個人の印象ではなく朝日新聞の縮冊版を調べて見れば解ることです。社民党の旧社会党出身の方もこれでは政府を詰め寄ることが難しいのではないでしょうか。
 いずれにしましても、後の風潮や常識でその当時の出来事を非難することは、自分にもハネ返る危険が大きいことを自覚して、発言すべきです。
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教育格差

2007-06-26 18:22:28 | 社会常識と教育
 一昔前まで、丸の内OLと言えば他の女性とは一線を隔した存在でした。現在はそのような空気はなくなりましたが。しかし、地方では今でも公務員や優良企業のOLはこの一昔前のOLと同じようなものです。丸の内企業は世界でもトップにある企業が多く家庭の躾がキチンできている女性を採用するため、このような風潮が生じたものでした。
 「お里がわかる」という皮肉も現在理解できる方が少なくなったように感じます。お箸の握り方やお茶の入れ方、挨拶など学校教育以前の家庭の躾の問題ですが、現在多くの子供ができなくなっています。それどころか親がお箸の握り方やお茶の入れ方、挨拶さえもロクにできないようです。
 有名私立小学校の入学試験で何を見ているのか気になり、偶然某有名私立小学校で試験監をやられていた方のお話を聞く機会がありました。そこで、ずばり聞いて見ました、「6~7歳の児童の何をみているのですか、学力ですか、才能ですか」と。答えは「6~7歳の学力なんて余程のものがなければ解からないし、才能なんて我々が分かるはずがない、見ているのは親の躾の結果としての子供を見ている」そうです。そのため、バナナの食べ方やケーキの食べ方などの躾の結果を見て親を見ているのだそうです。
 公立学校でも、せめて入学半年前ぐらいから三者面接を行ない躾の出来ていない親には改善勧告をおこない、再審査を行なう法的な義務を負わせるべきではないでしょうか。そして入学時まで改善されない児童と父兄は記録を残し、学校と教育委員会は注意して監視するべきではないでしょうか。そうでもしなければ学力格差ばかりではなく、教育そのものの格差が広がっていくのではないでしょうか。
 
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天気は西から

2007-06-25 21:23:56 | 外交と防衛
 天気は西から変わります。つまり西の空気が日本に来るということです。黄砂しかり西から来ています。中国の環境破壊は他人事ではなく、いずれ天気と共に日本を襲うということです。北九州市の光化学スモッグや越前クラゲの発生は中国にその責任があります。黄砂の被害えお食い止めなければ北京は楼蘭と同じ運命をたどるのではないでしょうか。1990年代まで中国は大豆やトウモロコシの輸出国でした。現在、トウモロコシは輸入国になっています。
 ロシアでさえ黒龍江省の水質汚染の苦情を訴えてますが、中国は無視しています。オリンピックや上海万博が近いので面子を守ろうとしているこの時しか「環境問題」に対し真剣に向かうことは共産主義では難しいでしょう。過去のソ連や東欧諸国をみれば一目瞭然です。
 しかし、日本は中国の東側にあります。常に天気は西から変わります。中国の環境問題は日本の環境とも無関係ではないのです。経済的に圧力をかけてでも環境問題を真剣に取組ませねばなりません。
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「中華」

2007-06-24 17:20:56 | 外交と防衛
 「中華人民共和国」や「中華民国」の「中華」とは何ののでしょうか?
中国は歴史が古く「中原」を中心に動いてきました。日本や朝鮮半島、いや東南アジアに大きな影響力を与えてきました。食事に「箸」を使う文化圏であり、漢字を使用する文化圏です。中国が世界の「中心」であり文化の「華」であると自負してきました。しかしアヘン戦争以来西洋諸国に半植民地化されてきました。この時西洋諸国に植民地化されなかったのは日本と日本に併合された朝鮮半島だけです。この事実は中国国民が認識するところですが、反面ナショナリズムたる「中華思想」も湧きあがってきています。また、朝鮮半島は「宦官」の制度まで輸入していた稀な国でもあります。中国に近いことが先進国と長い間思ってきた国です。現在「中華思想」が一番残っている国は自分たちだと思っているのが韓国です。しかし中華人共和国が経済発展すればするだけ、中華思想の後継者たる自負が崩れてきます。まして、中国から自分たちより遠い日本が世界で活躍することなど心情的に許せないのが、中国大陸と朝鮮半島の国の人々の心の根底にあります。
 根底にこの「中華思想」があるため、西洋が作成した国際法は「無視しても構わない」という考えが根強く残っています。しかしオリンピックを前に民衆マナーの悪さや、溢れる海賊版の取締に躍起になっています。オリンピックで訪れる海外からの観光客に暗部を見せられないという面子もあります。しかしこれらの考えは中国のトップの方々だけの考えで、10数億の民衆には根着いていません。3億人近い方しかその様なことを思ってもいないわけです。3億人といってたら現EUと同じ程度の人口ですから凄いものですが、中国では人口の1/4程度といったところです。
 しかし、上海万博まで現在の中国が安定していれば良いと希望します。現在株式市場のバブルが否めない中国で、いつ中国発の世界恐慌が起こるか誰も予測できない状況にあります。多くの識者が、「オリンピックまで」「上海万博」までと予測しています。しかし資本主義の初心者たる中華人民共和国政府がこの中国経済を難着陸させ得る可能性は低いと見るのが一般的のようです。そのため、内政の不備は外に目を向けさせるのが常です。前回のblogで書きました、「劉華精」のドクトリンに沿って台湾併合を行なう可能性が否定できなくなるのです。タイムスケジュールも微妙に重なりますし可能性を否定できません。また、昨年制定された「国家分裂法」で台湾との併合が含まれています。
 例え中国発の世界恐慌になり「中国もやっと世界中心になった」と開き直られても困ります。
 この先中国の動きには要注意です。先日も株式市場の大暴落がありましたがこれが序章とならなければよいと祈るばかりです。

 
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平和の影で

2007-06-23 15:43:17 | マスコミ批判
1985年は世界の大きなターニングポイントでした。経済ではプラザ合議が成りBIS規制が決定します。それまでの預金高でランク付けしてきたムーディーズなどの格付け基準が自己資本率に変更されます。これが日本のバブルを招きバブル崩壊へと進む契機となります。中国では全人代で人民解放軍の司令官「劉華精」がその後の中国の軍事ドクトリンを発表します。「アリューシャンから香港まで中国の内海である」と言う有名発言です。
 日本のマスコミは全く取り上げていません。これは日本や台湾、朝鮮半島は自国のものだと言っているようなものです。やはり日中記者交換協定の影響でしょうか。それともフィナンシャルタイムズが1998年に酷評した通り「日本のマスコミはパパラッチと同じレベル」だからでしょうか。
 現在日中中間線でもめている東シナ海のガス田は、この「劉華精」のドクトリンの第一次分割線上にあります。2010年まで達成すべき中間目標です。そして最終目標はアリューシャンから香港までを「中国の内海」とすることで、タイムスケジュールは2020年までとされています。このようなことを知らないのは日本人だけで他の国の軍関係者は、周知の事実です。アメリカ軍の組織改編もこのことを考慮しての改編です。
 沖縄の先島諸島には1995年以降3000m級滑走路1、2500m級滑走路2、2000m級滑走路2、800m級滑走路5などと台湾沖に注意を向けています。またこれら先島諸島の航空管制権はアメリカ空軍が半分有してています。
 しかし、マスコミが報道する内容は、このような緊迫した状況は国民の耳には入れようとしていないようです。  
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統帥権の干犯

2007-06-22 22:30:41 | 社会常識と教育
 旧軍部(主に陸軍)の幹部が口にした言葉に「統帥権の干犯」なるものがあります。この言葉を最初に口にされた方が前回のblogに書きました知人のご祖父さんだそうです。知人は「なぜ自分の祖父がそんなことを言った」のか調べて見たそうです。時期同じくして私も偶然この問題を調べておりました。話し合って見ますと大体同じような内容でした。
 もともとこの言葉は1920年ごろの満蒙国境を警備していた関東軍の幹部からの発言でした。当時の日本は信じられないことに1945年の終戦まで陸軍と海軍との予算金額は全く同じでした。そのような中、ワシントン軍縮条約、ロンドン軍縮条約と陸海軍双方とも予算を削減されていました。大正時代の軍幹部の日記に「陸軍省に軍人が軍服で通勤しないとは嘆かわしい」との今では信じられない記載があります。戦後生まれの我々には驚愕の文章でした。そのような時代ですから軍縮ができたのでしょう。加藤友三郎総理がロンドン軍縮条約を締結させました。加藤総理は海軍出身でしたので可能だったのでしょう。
 しかし、満蒙国境は違いました。ソ連が軍備を増強していました。急激な増強に当時の関東軍(日本)は脅威を感じます。そして関東軍参謀本部はシュミュレーション(図演)を何度も行ないます。しかしどうしても勝てません。いや負けてしまいます。そこで、本国(日本)へ軍備の増強を訴えるのですが、ロンドン軍縮で海軍が予算を削減したのに陸軍だけの増強は認められないとの返事が返ってきます。
 そこで陸軍は数個連隊で1個師団の編成から1個連隊を削減します。その連隊で
新たに1個師団を編成し、満蒙国境に配備しようとします。しかし政府は削減だけを受け入れ増派は行いませんでした。そこでこの有名なフレーズが出てくるのです。「国防に関する限り統帥権は独立している」と、それがいつの間にか「統帥権の干犯」になり使い方も適当になっていきました。孟子の「君子厨房に近づかず」がいつの間にか「男子厨房に立たず」と変わるように曲学亜生の徒により意味を捻じ曲げられました。
 これらの曲学亜生の徒により、後にノモンハンの事件(帝国陸軍がボロ負け)でその敗戦を隠さねばならず、なぜ負けたのかの研究さえ行なわれませんでした。
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富田メモから

2007-06-22 09:40:54 | 社会常識と教育
申し訳ありません。昨日は帰宅が0時を超えてしまいましたので、blogが書けませんでした。

 富田メモの中での昭和天皇の発言は衝撃的なものがありました。私はこの富田侍従長と仲の良かった方(警察庁時代の先輩後輩の関係にある)と親しくさせていただいています。
富田メモの内容(概略)は新聞発表の数年前に聞きおよんでいました。そこで、「松岡や白川までもが」と言う昭和天皇の発言は、靖国神社に戦死者でもまして軍人でもない方が合祀されていることへの疑問から出た発言とばかり考えていました。原理主義の昭和天皇らしい考えと思っていました。しかし、別の理由があるのではとある時思うことがありました。
それはイスラエルの大使が昭和天皇に着任の挨拶にきたときの昭和天皇の発言です。
「われわれ日本人はあなた方への恩義を忘れることはありません」と言うものです。当のイスラエル大使も何のことか分からず大使館へ戻り調べます。すると自分がクーン・ローブ商会に関係する者であること、明治天皇を尊敬する昭和天皇は日露戦争時に戦費を用立てたクーン・ローブ商会に対して「恩義を忘れない」という意味だと気づき、100年近く前の「恩義を忘れない」と言うことに感激したそうです。
 そこで、「松岡や白川までもが」と言う発言もただ原理主義的な感情からでた発言とは思えなくなり、調べたところ、「満州ユダヤ協和国」通称「フグ計画」に行当りました。
これは満州にユダヤ人の共和国を作ろうとした計画です。1939年満蒙国境に25000人のユダヤ人亡命が求めたことに端を発します。樋口季一郎少将(後中将)がこのユダヤ人を救出します。ドイツからの外交ルートを通じたクレームを当時の日本は毅然と撥ね付けます。
当時の満州や中国大陸の日本人租界はユダヤ人に対し世界で稀な門戸を開いていました。この後陸軍の安江大佐や海軍の犬飼大佐らが満州にユダヤ共和国を作ろうと動きます。
当時日本はABCD包囲網の中、石油をはじめとした戦略物質の輸入が出来なくなっていました。「油のための戦争か」と太平洋戦争を嘆いた軍幹部も多数いたぐらいです。その中このユダヤ人人脈を利用し日本は、数億円のクレジットと数年分の原油とをアメリカとの契約で内定を得ます。もちろんアメリカにも同じユダヤ財団のサッスーン商会を中心とした反対勢力もありました。しかし、これらの反対勢力を抑え数億円のクレジットと数年分の原油とをアメリカとの契約で内定を得ます。近衛首相をはじめ当時の内閣はこれに協力てきでした。当然、昭和天皇の耳にも入っていたと推測できます。
 これが日独伊三国軍事同盟締結で一夜にして崩壊してしまいました。英国留学の経験があり親英派の昭和天皇にすれば驚愕したことでしょう。昭和天皇は英国留学により立憲君主制の元首はどう行動すら学びますから、ジレンマに陥ったことでしょう。
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