イングランド南東部、ケントの小さな(もと)シティ、ロチェスター Rochester のかなり偏った観光案内ふたたび、です。
最初の記事のリンクです☟
小さい街なのに大聖堂まであるロチェスター、有名な観光地カンタベリーのすぐ近く
私たちは午後いっぱい、その名もハイ・ストリート High Street という「目抜き通り」を散策するのがメインのお散歩観光を楽しみました。
道々、たくさんあったチャリティ・ショップのいくつかに入ってみましたが何も買わず、グリーティング・カードの専門店で結婚祝いのカードを買いました。
翌日結婚する夫の姪とその婚約者にあてたお祝いの小切手をはさんで結婚式に持参するためです。
私たちが立ち寄った観光名所は二つあります。
ひとつはロチェスター・ギルドホール・ミュージアム Rochester Guildhall Museum、入場無料の郷土史博物館です。二つめは、ロチェスター大聖堂 Rochester Cathedral。
ミドウェイ河にかかるロチェスター橋 Rochester bridge を渡り、ハイストリートを歩きだしてすぐに「トイレに行きたい」と夫が言い出しました。
まず私が、すぐ左側にあった博物館の立派な外観におっと小さく歓声を上げたのですが、「トイレを使わせてもらおう」そそくさと中に入った夫に続いて私も入館、写真を撮るのを失念しました。
(自分で撮った写真しか載せないと自分できめたルールに)違反しているのは承知ですが...観光案内サイトから写真を勝手に借りました!!
1697年の建造だそうです。
トイレを借りに入っただけの私たちもちょっと見学していくことにしました。他には誰も見学者はいませんでした。
まず、トイレのそばの実物大ブタの貯金箱!
展示物ではなく来館者に善意の寄付を募るための募金箱です。巨大なブタの貯金箱の背中には(大き目の小銭が入る標準サイズの)お金を入れる小さな小さな穴がありました。。
現金の持ち合わせがなく残念です。大きなお腹の空洞にチャリンと小銭を落とし込んでみたかったのですが。いつもクレジットカードのみを携帯して行動しています。
夫を待つ間、ブタと顔を寄せ合ってセルフィーをいくつか撮りました。
観光地にありがちな歴史的遺物を所狭しと並べた素朴な入館無料の郷土史博物館のようでしたが、案内表示に私の注意をひく展示場を見つけました。
「上の階にあるらしいハルク hulk 体験展示がちょっと見たい」という私に夫が付き合ってくれました。
「ハルクってなんだか知ってるのか」と聞く夫に「知ってる!」と胸を張って答えた私は実は去年の春ごろだったかな、BBCによってテレビドラマ化された「大いなる遺産」(また出た!)の再放送をひとりで見たのです。
赤いじゅうたんが敷かれた大階段を上がって見上げた階段ホールの天井の漆喰装飾が見事でした。
「ハルク展示」は階段を上がり切って左の部屋なのですが、すぐ目の前のこのギルドホール・チェンバーにまず入ってみました。
議事室だったようです。
私たちが足を踏み入れたとたん、センサーで感知したシャンデリアの電灯がパッとつき荘厳なバロック音楽の小節がエンドレスで流れ始めました。私たちが立ち去った後に電灯が消え音楽は止まりました。電気代節約式のショボいおもてなしにちょっと苦笑しました。
このチェンバーは結婚式用に貸し出されているようです。登記所挙式については参考までに前回の記事をお読みください、リンクを貼りました☟
ディケンズゆかりの地に泊りがけで行った結婚式の式次第
チェンバーを出て「ハルク体験展示室」に入ってみて驚きました。「無料の郷土史博物館」らしからぬなかなか凝った演出だったのです。
もう一回だけルール違反です。写真を撮らなかったものですから、博物館のウェッブサイトから写真を借りました。
ハルクとは、「監獄船」のことです。
私が撮ったのはこういうバカバカしい「鏡セルフィー」ばかりです。(少し暗く加工しました)
甲板の上と...
警護に当たる兵士の詰め所です。
展示場は巨大な鏡を上手に利用して奥行きがグーンとあるように見える効果を演出していました。
階段を下りると「船底」に降りたような雰囲気の展示場があり、監獄船生活を物語る遺物の展示が見られるようになっていました。
いえ、まあ、けっこうチャチな作りだったのですが、「見せよう!」という意気込みが感動モノでした。
作りものくささが「ディズニーランドみたいね」とほほ笑ましく思えました。
ロチェスターゆかりの、英国文学史に名を残す19世紀の偉大な小説家、チャールズ・ディケンズの代表作のひとつ「大いなる遺産」の冒頭部分の...「大いなる遺産」を読んでいない方、ごめんなさい...
両親と兄弟のお墓の前で物思いにふけっている主人公ピップの前に現れたマグウィッチは、ミドウェイ河に停泊する「ハルク」を脱走してきたのです。
19世紀の中ごろにマグウィッチが脱走してきた「ハルク」は、徒刑囚をオーストラリアに搬送する「囚人護送船」だったようですね。
この展示の「ハルク」はそれより前の19世紀初頭、ナポレオン戦争時に捕獲したフランス軍の捕虜を監禁するための「収監施設」です。
戦争中の捕虜収容施設なので待遇は劣悪、ギュウギュウ詰めで衛生状態も悪く、大半の捕虜はチフスや赤痢などで亡くなったそうです。
この展示の解説には、ご丁寧にもフランス語が併記されていました。他の展示の解説は英語だけなのに。博物館を訪れたフランス人の観光客に、同胞がこの町で虐待された事実を学んで帰ってもらいたいようですね。
数隻あった「ハルク」が停泊していたのは街の中心地からは離れた河口のそばだったようです。
以下は、私たちが滞在したホテルの道を隔てたすぐ前で撮ったミドウェイ河の写真です。
ところで、前回の記事に書いた、夫の姪の結婚式がとりおこなわれた道路に街灯がまったくない(ド)田舎町のクーリング Cooling という町には熱心なディケンズファンなら知らぬ人はいないと言われる有名な「聖地」があります。
私は知りませんでした。花嫁の父(夫の弟)によるスピーチのマクラの「ディケンズご当地ウンチク」で知りました。
「大いなる遺産」の冒頭部分、ピップが脱走してきたマグウィッチから食べ物をせがまれる墓地のある古い教会が、結婚式場のすぐそばにあるのです。タクシーで通った時「Saint James's Church 」の標識を見ました。
といっても...描写がよく似ていて近辺で生まれ育ったたディケンズが実際よく立ち寄ったというだけだそうですが。
架空の物語の場所設定をこじつけるのって無理がありますよね。結局は「観光材料として使える!」ってことでしょうか。
と言っても、お土産物屋やらウンチク表示看板やらの「人を呼び込み一儲け」をたくらむ企ては一切ないそうです。
マグウィッチが日中隠れていた「暗い沼地」は実在します。結婚式場のそばのその教会からはかなり離れているのでやっぱり無理っぽいのですが。
満ち引きのある不思議なミドウェイ河の、水が引いた河原です。
何となく沼地を連想しませんか。
水の引いた泥地の上に廃棄されたような大型のこキタナイ小型船舶がいくつも河の真ん中あたりに見えている光景は異様でした。ホテルの部屋の窓から見えた、輝く水面と逆光で浮かび上がるボロ船と対岸の丘のシルエットがとても美しかったです。
いつも いつも
楽しくて 為になる 話題を有り難う御座います
しかも写真まで
付いてる ので 分かり易いです
誰か、反応してくれないかなって期待していたので、浅井さんのコメント嬉しいです!
博物館のスタッフは深く考えずにフランスの歴史にも関係あるからフランス語でも書いておこうぐらいに思ったのでは?ぐうぜんフランス語がしゃべれる人がいたとかで(英国にはフランス語がしゃべれる人はウジャウジャいますが)。
なんとなーく日本では比較的最近の(?)戦時中の中国朝鮮侵略の件で罪悪感とか正当化したい感情とか一言で言えない後ろめたさ、かすかな優越感とか複雑ですよね?
でも200年もまえのナポレオン戦争に関しては、ただの歴史の1ページってとこじゃないでしょうか。昔の話だし、捕虜の虐待はお互い様のような気がします。イジワルも優越感も吹っ飛んで、「サービス」だと思えます。
愛国的フランス人が気を悪くするとも思えません。
来てもらったフランス人が、帰国後「イギリスでおもしろいもの見たよー」って知り合いに言ったり、インスタグラムに「罰として船底に手かせをはめられておし込められたフランス兵」のマネキンと一緒のセルフィーを投稿したりして有名になればもうちょっと来館者が増えるのにな、っていう狙いがあるのかもしれません。
日本にかかわる文化などの展示があれば頑張って日本語解説をつけるかもしれません。
が、しかし日本軍の連合国軍捕虜収容所などに関しては...微妙なところで「日本人観光客に楽しんでもらう」には全くの逆効果だということは理解しているはずです。
ナポレオン戦争時のハルクとは事情が違いますよね。
これ 面白いですね
俺達は 「捕虜を」救ってやった と
言うのかと 思ったけど
「捕虜が」疫病で 死んで行った と
「フランス語」で強調したいなんて
意地悪と いうか
優越感を 味わいたいのですね