歌麿 柱かくしゑ
「五大力のぴらぴら」は上の絵にある簪のことで享和の頃江戸の遊女の間で
流行っていたらしい。駿州三島宿の飯盛女お竹もこれを挿していた。
上部の雲型に三本の鎖を通しその鎖の先に銅板を刳り抜いた五大力の三文
字をぶら下げたものだが、銅板には金又は銀のメッキが施してあり、それがぴ
らぴらと揺れると大変きれいで、遊女たちはその美しさを好んだ。
尤もお竹のような下層の飯盛りには高価過ぎて買えないので水銀をこすりつ
けて製する銀流しというまがい物でごまかしていた。大枚二四文をはたいて
買ったとお竹は言うが、二四文というのはささやかな価格である。
弥次・喜多は親子という触れ込みで道中を続けて来たが、それは飯盛り除けの偽装であった。
親子連れの客に飯盛りを勧める宿はないだろうという推察は的中して路用の節約になっていたのだが、もともと遊び人の二人にいつまで我慢できる訳もなく、
ついに三島宿で飯盛りを買うことになった。弥次の相方はお竹、喜多のはおつめときまった。さてどういう珍騒動がもち上がることやら・・・