早飛脚
上の挿絵は二本差しの早飛脚(大名飛脚)です。刀は走りに邪魔だろうにこの絵ではむしろ誇らしげに差しています。身分制度の一端を現わしていておもしろい。
弥次郎兵衛と喜多八は三島宿で護摩の灰に路用を盗られてしまい一文無しの道中を余儀なくされて、腹を空かしてふらふら歩いていると向こうから早飛脚が威勢よく駆けて来る。一九の筆力のあるところを再録してみます。
飛脚・・エイさっさ、エイさっさ、エイさっさ
喜多八・・なんだ野郎の韋駄天さまア見るように、やみと駆けてきやア
がる
弥次・・アゝうらやましい、あんなに駆けるいきおいだから、さだめてお
飯もふんだんに食ったろう
喜多八・・エゝおめへも乞食じみたことをいうもんだ
飛脚・・・エイさっさ、エイさっさ
喜多八・・ソレあぶねへ こっちへよんな
飛脚・・・エイさっさ、エイさっさ
ト、とおりすがいに御状箱のかどで弥次郎小びんさきへがったりとあた
る。
弥次・・・アイタゝゝゝゝ
飛脚(いさいかまわず)・・ エイこりやアサッサ エイこりやアサッサ
弥次・・・アゝ いたい いたいなんの因果でこんな目にあうか、おら
ア死にたくなった
喜多八・・エゝばかアいゝなせへ ソレ馬がきたア 以下略
享和2年(1802)吉原宿役人某手控え写し
1.吉原宿江戸へ34里(原宿へ道法3里蒲原へ3里)
御状箱送り順刻
1.無時御状箱京都ヨリ吉原迄30時、江戸ヨリ吉原迄9時、総刻 京
都ヨリ江戸迄42刻程
1.日州様一文字、江戸ヨリ名古屋迄24時程
1.紀州様江戸ヨリ若山迄凡50時程
1.雲州様三ツ判急御用
熊本藩の場合
江戸在府の光尚公より国元の藩主忠利公へ発送された書状は11日間で 着いている。
「寛永十七年八月九日 忠利公之御書七月廿七日之書状八月八日早々相届候(光尚公譜) 」とある。
月をまたいでいるので「長の月(30日)」とすれば11日、「短の月(29日)」ならばさらに1日短くなる。
江戸、熊本間の距離は1,200Kmくらい。これを11日間で届けているのだから、仮に飛脚11人でリレーするとすれば1人の受け持区間は110Kmになる。
この距離は時速9Kmで12時間走ればよいという計算になるが、現今マラソンランナーは時速19Kmくらいで走っているので、まあ妥当なところでしょうか。