享保四年十月廿七日
一、南郷布田手永下田村氏神雨宮大明神え風霜留めの立願結び置き候に付願解きとして御国の人形廻しを雇い右社内において一日軽く願解き仕り度由 御惣庄屋布田九左衛門書付 御郡奉行衆より相達せられ候に付 例書相添え 御家老中へ相達し願いの如く仰せ付けられ候事
この神社は「下野の巻狩り」を取り仕切っていた社として名高い。巻狩りと言えば源頼朝が富士の裾野で行ったのが有名であるが、それを実施するに当たって頼朝は古代から巻狩りを行っている阿蘇大宮司家へ梶原景時を派遣してその作法等を学ばせた。阿蘇家側の応対者はこの神社の宮司であったので、梶原はここで手ほどきを受けたことであろう。
それは鎌倉時代のことで江戸時代になると巻狩りなどは行われなくなり、ここも五穀豊穣を祈願する普通の神社になって、秋祭りには上記のような催事が行われた。