古文書を読もう!「水前寺古文書の会」は熊本新老人の会のサークルとして開設、『東海道中膝栗毛』など版本を読んでいます。

これから古文書に挑戦したい方のための読み合わせ会です。また独学希望の方にはメール会員制度もあります。初心者向け教室です。

「俳誌松」水仙號 2019年1月

2019-01-25 21:12:06 | 

主宰五句  村中のぶを

家古りぬ甃石古りぬ杜鵑草
断崖の罅や濱菊なだれ咲き
古墳林山樝子の實いよよ赫き
山門をくぐり一揖冬紅葉
神の旅沖白波を生みつづけ

松の実集

秋 思  松尾敦子
山なりに沿ふ秋雲や帯なして
ひそと咲く秋野の花に歩をゆるむ
あかあかや秋恵の歌のごとき月
朝の日にさくらもみぢの極まれり
暮れ方の繊月ひくし風は秋

多摩川澄めり 神力しのぶ
東京の北風多摩川を越えて吹き
秋うらら櫓の音犬と聞きたくて
秋愁や犬と聞きたる櫓は昔
調の布晒したる多摩川澄めり

球磨小春  小崎 綠
市房は神なる山や天高し
ばらアーチ過ぎ鴨のみの湖を見る
坊守の鐘の音に揺れ秋桜
我が庭や女郎花咲き桔梗咲く
球磨小春四季咲きの薔薇我が庭に

村 祭  西村泰三
諸肌の胸を晒しに神輿の娘
一升壜立てて一気や
神輿衆
神楽舞ふ笛の若手へ檄飛ばし
掠れ鳴る笛に神楽も終の舞
直会に語り神楽師みな若く

 

  雑詠選後に   のぶを 

夜汽車めく仮設舎の灯や秋涼し 鎌田正吾
 作者は熊本の益城町の方、つまり先の熊本地震の真っ只中の地であった所です。一句はその後の仮設の家々の夜景を詠んでゐるのですが、「夜汽車めく」といふ措辞にいきなり気を引かれます。しかし夜汽車めくとは、うら淋しい風情がありますがここでは結句の 「秋涼し」といふ明るさに依って、作者の復興の明日への思ひが伝はつて来て読者は救はれます。それも作者は一戸一戸に届ける、新聞業務に携はってゐる方で、一般の人とはその心情が違ふと思ひます。改めて作者ならではの情感の籠もった句だと感じ入り ます。なほ蛇足ながら熊本地震の事は『広辞苑』七版にも逸早く掲載されてゐます。 

遠からぬ雨の気配や風は秋    橘 一瓢
 松会員の最高齢の方ですが、実に変はらぬ句境で「遠からぬ雨の気配や」、「風は秋」、と、ふと季節の到来を思ふ資性に羨望さへ感じます。総じて作者には老境といふ切迫感が見られないのには頭が下がります。 

もう一つ月産みさうな満月や   福田祐子
 大写しとなり孕んだ「満月」に向かって「もう一つ月産みさうな」と、若い方の何の衒ひもない表現、勇ましいと思ひます。それに違和感がありません。
一体、俳句の (写生) にとって最も大切な事は当然ながら対象に向かった時、どのやうな表現、言葉がひらめくか、この一点に尽きると考へてゐますが、掲句にして一層納得がいきます。それに俳句は言葉の芸術とも言はれてゐます。 

朝の鵙切口上をはじめけり  安部紫流
 「切口上」とは、手短に言ひますと浄瑠璃やお能などの口調のことですが、辞書には改まった堅苦しい口調、無愛想で突き放したやうな口のきき方とも述べてゐます。その「朝の鵙」の突如とした叫声に、切口上を「はじめけり」との措辞は実にこの鳩の本質を言ひ止めてゐて、さらに作者自身の衿持さへ伝はつて来ます。  

大木の裂けて大きな秋を知り 福島公夫
 前に「倒木」の句があって「大木の裂けて」とは、颱風の後の所見でせう。そして「大きな秋」といふ措辞、まことに凝縮した感慨です。それも暗に颱風の事を指してゐるやうにも思へます。一体に新鮮な詩藻の詠句です。 

秋澄むや相鎚を得て成る刀  菊池洋子
 詞書に薪能(小鍛冶)とあります。作者は都心在住の方、それは鎌倉か都心での舞台でせうか。私は生家の近くに能舞台があったので子供の項より何となくお能に親しんで来ましたが、上京して間もなく東京薪能を観に行きました。
 立秋後の暑い日でしたが、都心の赤坂の山王日枝神社の神苑内の舞台でした。一句の 「秋澄むや」、私は篝火を通した澄み亘った夜気を先づ感じます。そして「相鎚を得て成る刀」とは、烏帽子を被り、袂を端折り、刀身に鎚を持つ師と弟子、シテ、ワキの鍛治場の修羅を簡潔に叙してゐます。それにしてもこの様な難しい光景を一句に挙げることは、第一気概が要ります。 

お囃子に合はせ角乗り秋高し  渡辺美智子
  掲句もまた特異な催しを叙してゐます。作者は都内深川の木場近くに住む方です。私も一度見物しました。
 その「角乗り」ですが、辞書にも見えますが、つまり水上の角材の上に乗って、両足で角材を転ばし操る軽業のことです。それも水に浮かべた角材ですから、水に落ちる御仁が多く、その時はまた見物人から拍手喝采です。「お囃子」は太鼓、笛、鼓、三味線、鉦などですが、季節の「秋高し」の晴れの気もあって、一句はその賑はひをよく伝へてゐます。それも薪能の句と同様に、対象を効果的に詠み取ってゐます。 

冬に入る独り暮しに音あらず  河本育子
 一度ならず二度、三度句を読んで、いつも「独り」の淡淡とした静かな表白が伝はつて来ました。それに「音あらず」と断定した措辞には、ご自分の衿持とする、自立の強い意志が込められてゐます。また「冬に入る」といふ季節への思ひにもそれとなく身の構へが見へます。
 凡そ作者には嘆いたり淋しがったりする徒な感傷はありません。
 
誰も来ず一歩も出でず日短か  藤井和子
 掲句もまた、何の情緒もありません。「誰も来ず」、「一歩も出でず」、この反応する様な叙述、気丈と思ひます。そして「日短か」と、作者にも徒な感傷は皆無です。 

秋爽や肥後三賢女しのびつつ  松尾敦子
  詞書に中村汀女、安永蕗子、石牟礼道子とありますが、納得がゆきます。郷のお城の西に当る島崎町に三賢堂といふお堂があって、それは菊池武時、加藤清正、細川重賢の三人の賢人を記念する建物でした。この三賢堂へ遠足で行
つたのを思ひ出しました。一句はこの流れの三賢女でせうか。それとも作者自身の思ひでせうか。