古文書を読もう!「水前寺古文書の会」は熊本新老人の会のサークルとして開設、『東海道中膝栗毛』など版本を読んでいます。

これから古文書に挑戦したい方のための読み合わせ会です。また独学希望の方にはメール会員制度もあります。初心者向け教室です。

俳誌「松」 百千鳥號 平成31年3月

2019-03-27 23:39:14 | 

 

主宰五句   村中のぶを

十一月遠杉とみに尖り見ゆ

古墳道わが息白く犬じもの

マスクして身をとざしたる思ひかな

椨(たぶのき)に海の光ぞ初社

暮れなづむ野面の涯や雪の嶺ろ

 

「松の実集」

 年新た   大江妙子

  神妙に手合はす幼聖夜の灯
  「年賀状」紙の貼るりあるポスト口
  門松の竹の切り口みずみずし
  聖堂の花に若水あふれしめ
  かがよひて大波小波春の川

 
      冬景色   住吉緑陰

        納屋うらの曝れし板かべ干大根
        麦の芽やめぐる山なみ屹立し
        ねぐらへと鳥影忙し冬夕焼
        月に照る霜の甍のほのぼのと
        ほど遠き町にひびける寒念仏


      水仙の香   岩本まゆみ

        山茶花や親鸞像の笠小さく
        小春日の立釣舟や遠賀川
        水害のものを引つかけ枯柳
        辻毎に報恩講の案内板
        折れ折れて水仙香を失はず

 
        神風連・桜山神社   西村泰三
        
        高々と宮の日の丸冬木中
        宮に満つ寒禽の声雨上がる
        淑気満つ命日同じ墓並び
        百二十余の墓の列淑気満つ
        淑気満つ墓所の奥なる誠忠碑 

 

雑詠選選後に     村中のぶを

 

勢ひ水砕けまぶしや玉せせり   安部紫流           

  凡そ短歌や俳句ほど古今より深く風土に根づいた詩はないのですが、一句はまた福岡市筥崎八幡宮の正月三日に行はれる、弓矢八幡にふさはしい「玉せせり」の勇壮な祭事を詠んでゐます。径三十センチの雌雄二つの木玉の、雌玉は貝桶に納めら れ雄玉は神官の手によって、海水で身を潔めた褌一貫の若者たちの群れへ投げ渡され、それを競り合ひ奪ひ合ひ、最後に手に取った者がその玉を神前に捧げ、一年の豊作、豊漁を得るといふのです。「勢ひ水」は若者達を嚇し、冷水を掛け合ひ、「砕けまぶしや」はその放つ水の光景と共に若者たちの揉み合ふ裸身のかがやきをも言ひ留めて、玉せせりの活況を善くぞ伝へてゐます。なは筥崎八幡の楼門の大額は亀山上皇宸筆の(敵国降伏)で知られ、灯籠は千利休寄進と謂はれてゐます。私も二度訪れました。

 

しまき雲越後境の嶺々隠す 小鮒美江

「しまき雲」、しまきは(風巻)と書き(し)は風の古語、風の烈しく吹きまくること、と辞書にありますが、例句に角川源義の(海に日の落ちて華やぐしまき雲)などが見えます。掲句はその強風をはらんだ雲が、作者の地の上州に接する、越後の山を覆ふ景を、季語の選択も然る事ながら日常的な遠景らしく、平易に叙してゐるのが実に印象的に思へます。

 

駅長の嚔に列車動き出し   竹下和子

  面白い句です。直ぐ地方の一支線の小駅の風景が浮かんで来ます。それも野景の広がる、短いホームの駅の様で、駅長の嚔からは朝の気配が窺へます。してまたこの様 な一句の発意に、作者の親しい人柄が想像されます。

 

初春や緞帳上り「成駒屋」   川上恵子

 「初春や」、昔からの慣例が太陽暦の今日に残り、初春といへば正月の事で、新年を寿ぐ意味で用ゐられてゐます。 その「鍛帳」が「上り」、いきなり「成駒屋」と、掲句は叙してゐるのですが、それは読者にはその声さへ聞こえて来て、重々しい絢爛たる緞帳が上って現代の成駒屋一門が座してゐるのでせうか、まことに活活しい場面です。 ともあれ、成駒屋、と急迫調で終止した結句はまさに見事です。

 

辻井伸行聴きゆたかなる年の夜   古野治子

 「辻井伸行」といへば世に知られた若いピアニストの方です。生来目のよくない方で、その視線の落とす先の美しい清らかなピアノの音に、誰もが聴き入った事はあると思ひます。もちろん画面の向かうですが、一句の場合は何処の事でせうか。「聴きゆたかなる年の夜」とは、読者には大晦の夜空をも連想されて、いつか作者の情感に浸る思ひです。

 

枯芭蕉縫ひっつ江津の水豊か     村田 徹

  熊本市の東南に位置する江津湖の、湖畔に住まふ作者ですが、一句はその一隅の芭蕉林の詠句でせうか。「枯芭蕉縫ひっつ」はその林の風光を詠じて、「江津の水豊か」は湖水の流れを称へてゐます。そもそも熊本市は阿蘇山の伏流水により潤された水の豊かな町で、江津湖はその精髄ともいふべきところです。そして詠句の誇張的な表現でもなく平明に、ささやかな景色に触れてゐることに何とも心惹かれます。

 

連結を果たし汽車出づ寒北斗      山岸博子

 どの歳時記にも加藤鰍郡の(生きてあれ冬の北斗の柄の下に)の例句が見えますが、「寒北斗」とは、むろん冬北斗の季題の副題ですが、作者は札幌の地の方です。それは自づと東南にきらめく揺光を厳しく見据ゑてゐるのです。して「連結を果たし汽車出づ」、中でも果たしといふ措辞、ここでは連結を終へた、しとげたといふ事ですが、一句の寒北斗の下の夜景の、旅愁めく思ひをこの上なく表出して ゐます。またこの様な詩語の引用はお互ひに心得ておくべきことだと思ひます。

 

屈み入る氷柱囲ひの小海駅     細野佐和子

「小海駅」は信州小淵沢から小諸に通じる小海線の途中の駅で、千曲川沿ひに浅間山が望まれ、振り返れば北八ヶ岳の稜線に、諏訪富士と呼ばれる蓼科山が見える所です。その高山にかこまれた駅に「屈み入る氷柱囲ひ」とは、土地の風雪が自づと詠まれ、氷柱には辺りの山容が映じてゐることも想像されて、改めて右は価千金の叙述だと強く思ひます。それに懐かしい風景です。

 

夫支へ立ち初空に合掌す     荒牧多美子  

 先にも述べた言葉ですが、何の誇張もなく詠句は、「初空」 に託すべく「夫支へ立ち」、その有りの俵の姿で「合掌す」と叙してゐます。それは沌み沌みとした詠情に誘ほれます。

 

除夜の鐘のみに静もる峡住まひ  住吉緑蔭  

「除夜の鐘のみに静もる」とは、除夜の鐘の渡る以外に何の音もないと述べてゐるのですが、「峡住まひ」とあれば更に大晦日の深い闇が偲ばれます。

 

藁積みて萌やし田繕ふ水烟る      白石とも子   

 作者も熊本市の江津の湖畔に住む方、掲句は明らかに水前寺もやしを作る、昨今のもやし床の風景を映像的に、鮮やかに詠じてゐます。それに何の感情移入のないことが実に写生的です。