連葉子選
日脚伸ぷ仕事しまひの庭焚火 野元八重子 人吉
一月も半ばを過ぎると、一日に畳の目が一つづつ伸びると言はれるほ
ど日照時間が伸びて来ます。落葉をはじめ、枯れ草や木の枝など、冬
の間は放置されてゐた庭の片づけをして、仕事が終った安堵感と共に
日脚が伸びたことを実感してゐるのです。焚火をしても消防署から注意
を受けるやうなことのない広い庭が想像出来ます。 なほ、焚火が冬の
季語であるところから、季重なりを気にされる向きがあるかも知れませ
んが、「日脚伸ぶ」が中心季語であることは明らかで、心配は無用で
す。
師の逝きてよりの二十年梅の寺 勝 奇山 三浦
梅の寺とは、言はずと知れた花の寺として有名な鎌倉の瑞泉寺。
この寺に葬られることを生前より望んでゐた、先師・上村占魚の没後二
十年とは驚きです。忌日は、二月二十九日ですから、梅の寺の季語は
動きません。
そして、親交のあった吉野秀雄をはじめ、放浪歌人の山崎万代などの
墓があることも忘れる訳にはいきません。
かつての旬友、相州例会の勝奇山さんのことも当然。
室の花断りもなく睡魔来て 向江八重子 東京
春に咲く花を温室で栽培し、寒中でも鑑賞出来るやうにしたのが室の
花。昨今ではシクラメンが代表的な花として知られるとか。
そんな、室の花を前にして、作者はしばしば、ひたすら睡魔に襲はれて
ゐるものと思はれます。そして、そのことが、己の高齢と予測以上に
関ってゐることを大いに気にされでゐるのでせう。
しかしながら、季語の室の花が的確で、視点に新しさを確認することが
出来ます。
道具屋の言はずも負けて古都小春 後藤紀子 東京
古都小春とあるところから、処は鎌倉。
そして、古道具類を商ふ店での作者の遣りとりが詠はれてゐます。
即ち、壷か茶碗か、商品自体は分りませんが、作者はそれを見なが
ら、店主に値引きの交渉をするつもりでゐたところ、案に相違して先方
から「負けてあげるよ」なる言葉が発せられたといふ訳です。いかにも
古都の、小春らしい日和が詠はれることとなりました。
春暁の蛇口に今日のはじまりぬ 村中珠恵 ひたちなか
傍題を含めて、春暁は春の早朝を意味し、「曙」よりは早い時間のやう
です。 それらのことはともかく、水道の蛇口からほとばしり出る水に、
今日一目の始まりを確認させられてゐるのです。冬とは異なる水の躍
動感が、どちらかと言へば聴覚に訴へてゐるのが特徴で、主婦ならで
はの感覚の詠句ではないでせうか。
猫の恋波のしつかな日の漁港 山岸 博子 札幌
「あらすぢも仔細もあらぬ猫の恋 きえ子」とも詠はれた猫の恋。
この時期、句会の課題としても試みるのですが、類想旬も多く、一筋縄
ではでは行かない季語と思ほれます。 ところで掲句の猫の恋は、「波
のしづかな日の漁港」を舞台に詠ほれてゐます。既に糶は果てたであ
らう、広い漁港の静けさの中に、時折、恋猫の声だけが響くことがある
といふ訳です。
漁港の選択により、新味が生れました。
ぽんぽん船残せる音の霞みゆく 福本まゆら 島原
ぽんぽん船とは、かつてよく見られたぽんぽん蒸気漁船のことでせう
か。内燃機関からの軽い爆発音は、何とも心地よい音の記憶が私にも
あります。さて、掲句で詠はれでゐるのは、そんな音が水脈のやうに船
尾に残され、やがては霞んで行くといふのです。 久々に、楽しい俳句
に出合ふことが出来ました。
風生の桜餅とて買ひにけり 宮崎 羊子
「風生の」とは、富安風生のことで、その風生に有名な「街の雨鶯餅が
もう出たか」 (「松籟」) の句が背景にあることは皆さん承知の通りで
す。 皆さん承知の通りと言ひましたが、知らなかった方は勉強が不足
してゐたことを認識ください。 いづれにしても、前掲の句と同様に楽し
い俳句です。
菜の花のお浸しに酌む純米酒 祝乃 験 球磨
句意は明らかで、菜の花のお浸しに合ふ酒を酌んでゐるのです。純米
酒とは、七〇パーセント以下に精米した白米と米麹で醸造した清酒の
ことで、吟醸酒などとは異なります。しかしながら、その酒のレベルが菜
の花のお浸しとよくマッチしてゐるといふ訳です。 外気温などとも関連
があるところから、お爛をしたのかどうかは不明ですが、私なら「ぬる
爛」 にします。それこそ蛇足ながら。
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