著作権等を考慮して小画面にしています。(「光尚公譜」北川文書)
一、同十一月御知行折帋拝領筆㓛之覚
一、百石より下者 拾 疋 但京銭壱貫文ニ〆弐拾目
一、百石より五百石迄者 弐拾疋
一、五百石より千五百石迄者 五拾疋
一、千五百石より四千五百石迄者 銀壱枚
一、四千五百石より壱万石迄者 同弐枚
一、壱万石より上者 同三枚
右之通御定なり
寛永十九年十一月廿五日 御奉行中
「筆㓛」とは何か、初めに用語の説明をしておきます。領主は臣下へ領地を与えますが、それを知行と言い、その内容を記した文書を宛行状と称します。
臣下にとって宛行状は命よりも大切な文書です。知行は子々孫々受け継いで行く禄であり、宛行状はそれを担保する文書だからです。
ここではそのことを「知行折紙拝領」と言っています。そういう大切な文書は上質の紙に立派な文字で書いてもらいたいと思うのは人情です。その要請に応えて覚え書きが作成され、石高に応じた手数料が定められました。それを「筆㓛」と称します。
さて、それでは手数料の金額について説明します。先ず「疋」ですが、1疋=10文というのが寛永のころの相場でした。金子○○疋というように呼称しますが、金・銅の交換比率は時代が下るにつれて銅貨が下落し、幕末にはなんと1疋=20文というレートになりました。ですから、古文書に「疋」とあるからと言っていつも1疋=10文ではないので注意が必要です。
百石以下は10疋とあるので、これは100文ということです。ところが但し書きに書いてあることが大変おもしろいのですが、ここを理解しないとこの文書を読めたことになりません。
京銭1貫文に〆20目とあります。京銭は鐚銭(びたせん)と呼ばれる粗悪銭のこと、また20目というのは熊本は銀遣いの経済圏でしたから銀目で換算式を表示したのです。
京 銭 1貫文(1000文)=銀20目 銀1匁=50文
寛永通宝 1貫文(1000文)=銀12.5匁 銀1匁=80文
上式は金1両=銀50匁=銭4,000文の公定レートより
上の式から寛永通宝と京銭の交換比は1対1.6になります。則ち百石以下の手数料は寛永通宝で支払えば100文ですが、これを京銭で支払えば160文いただきます、ということです。2項3項は20疋、50疋ですから同様の計算式から割り出せます。
4項以下は銀目で支払えとあります。銀1枚は重さ43匁の銀塊のこと。これを小判に換算すれば43/50=3分2朱くらいになるようです。(小判1両は銀50匁)
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