主 宰 五 句 村中のぶを
金鳳華北の雪嶺日を浴びし
春寒き拈華微笑(ねんげみせう)の遺影かな
(子規の頭おもふよ洋梨見てあれば 占魚)
芳墨の一軸かかげ春の燭
遠嶺雪斑らに春田鋤く日かな
あめつちの明るさのなか辛夷咲く
松の実集
花満る 福田祐子
災を飛ばしてしまへ春疾風
春宵やスマホで交はす宴かな
花満る母と乗り会ふ人力車
風光る海の匂ひの観覧車
風光る亡き子を想ふ葛西沖
庭牡丹 酒井信子
閂の固き牡丹の客案内
春風や待ちし合格通知来る
はくれんに塀越えて来る風眩し
花荊見上げ息つぐ朝の試歩
蝶つまみ損ねてはまた泣く子かな
四旬節 坂梨結子
朝ミサの帰りにしかと初音かな
笹鳴きの庭木蓮の一斉に
帯となり中州まぶしき花菜かな
きらめきて集ひて稚魚や春の川
祭壇に供へ小手毬四旬節
遺 影 故 鎌田正吾
畑仕事終へ庭仕事日脚のぶ
とどまれる雲の光りや野梅咲き
和太鼓の音のこだまや梅まつり
中天を野火のうづまく草千里
診療を待つ間見とれるシクラメン
三月二十九日死去、熊本「松」句会への最後の投句より五句抄出。
雑詠選後に のぶを
春陰や祈りをとかぬ石仏 菊池洋子
句は「春陰」の或る一隅に存す、合掌した「石仏」の姿を、未来永劫に「祈りをとかぬ」と詠じています。つまりその事実からして、詩として、より鮮明に対象の姿が見えて来る表現をとって、季題も季題らしく、ひいては私共の(写生)に対する要諦をよくよく示してゐます。
犬なだめつつ東風の門出る女 安部紫流
「東風」とは春を告げる風、逸り立つ「犬なだめつつ」、その「門出る女」、門はむろん、かどと読むべく、一読してなにか雰囲気のある一句です。結句の出る女、それは普通の門先ではなく、句柄からして高い門扉から現れた女人らしく、それも資産家風の人では-。それにしても印象的な詠出ではあります。
凧揚げに倦みて眺むる城普請 村田 徹
掲句は、作者自身の「凧揚げ」と、同じ空のもと「城普請」とを詠んでゐます。それは単調といへば単調な遊びの凧揚げ、片や城普請と、言はずと様々な機材と覆ひの中での綿密な作業、「倦みて眺むる」は、言葉以上に作者は複雑な思ひでお城を見つめてゐるのでは-。むろん作者は在熊本市。
ポプラの芽札幌の空果てしなく 山岸博子
素読して実に通りのよい晴れ晴れしい景。それも春先のポプラ並木の、区劃された札幌の街筋の空が見えてきます。
水彩画のやうな淡彩の句。
きまぐれ東風まろく毒突く老いもよし 浅野律子
きまぐれは気紛れの事、変はりやすく予測のつかないこと。気まぐれ天気といふ言葉もあります。「気まぐれ東風」とは面白い用語です。「まろく毒突く」もまた意表を衝く語、つまり角をたてずに悪口を言ふこと。「老いもよし」は自画自賛。総じて既成の言葉に捉はれない、自由闊達な一句です。
啓蟄や開け放ちたる農具小屋 鎌田正吾
強東風や片寄る竿の灌ぎもの 酒井信子
掲句に就いてですが、高浜虛子の言葉を擧げます。「俳句は平俗の詩である。」「俳句は春夏秋冬の現象を透しての生活の記録である。」「写生とはそこに作者の心が働いて、その万物の相の中から或る一つの姿をとらへて来る事を言ふのである。
改めて掲句を未読して、虛子の言葉は心を揺すります。
啓蟄や畦に立ちたる夫婦雉子 高橋すすむ
「啓蟄」は三月五日、この頃の作者の住まふ球磨の田野の一景を詠み取つてゐます。「夫婦雉子」とは、作者自身の用語で、雉子は目の周りに赤い肉垂れなどがあつて多彩な色と、雌は褐色一色。この色どりの、餌を探す夫婦雉子の向かうに、読者は長閑な盆地の広ごりが、否応なく見えて来ます。因みに雉も春の季語で、一つの歳時記に「万葉集」家持の歌がしょうかいされてゐます。<春の野にあさる雉の妻恋ひに己があたりを人に知れつつ>。
余生とは嫌な言葉よ春を待つ 藤井和子
甚(いた)く心情を吐露した詠句。誰しもが心の底に抱いてゐることかも、共通した想ひが去来して。しかし作者の面と向かつての此の一句、その強さに読者は大いに救はれます。
夫います心のよるべ恵方とす 池原倫子
亡き夫のいます、心を寄せる方が恵方といふ、如何にも古歌を思はせる詠句です。それに作者の沁み沁みとした心情が伝はつて来ます。
カルストの空に溶け込む雲雀かな 北本盡吾
「カルストの空」とは、作者の住む北九州市の、国定公園でも知られる平尾台の所見でせう。その石灰岩の様々な形容の広がる台地の空に「溶け込む雲雀」とは、その天空の広がりに、雲雀の点々とした飛翔を鮮明に表出してゐます。して溶け込むとの表現は実に作者の手柄といふべく。
手習ひのショパンの調べ春の風 那須久子
「手習ひ」とはなんとも古風な懐かしい語句。そして「ショパンの調べ」とは、その対比がまことに新鮮な詠情で、その「春の風」に乗つて、さしてはピアノのワルツの曲が流れて来る様です。作者にとつて至福のひと時。
夫と行く黙(しじま)も楽し冬木道 細野律子
冬木とは、葉を落しつくした木々の姿、その「冬木道」を「夫と行く黙も楽し」。閑かな林間の日ざしに、冬木の影と二人の影と-。鮮やかに心に残る諷詠です。
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