古文書を読もう!「水前寺古文書の会」は熊本新老人の会のサークルとして開設、『東海道中膝栗毛』など版本を読んでいます。

これから古文書に挑戦したい方のための読み合わせ会です。また独学希望の方にはメール会員制度もあります。初心者向け教室です。

堀内傳右衛門聞書 P51~P60 熊本県立図書館蔵

2020-03-17 14:11:21 | 堀内傳右衛門

P51

梅花つばきなと紙ニつつミ候て是をしるしに可仕とて立申候其後十郎左衛門ニ
具ニ咄申候へハ 別而悦被申候堀部弥兵衛と十郎左衛門親父存生之時分別而心あり
就夫十郎左衛門を弥兵衛胆煎内匠頭様へ被召出候由の咄も御袋被仕候
事咄共多ク候へ共事長ク候故不見候無□罷下候ハハ可申聞候事
一.最前被召置候御広間二座ニ居被申候得共庭なとも見不申惣体く
らく御座候故ニ御役者間ニ御うつし可被成と被思召上候而坂崎忠左衛門三宅藤
兵衛宮村團之進其外御側衆御小姓頭御聞番皆共も段々次第
のことくニ罷出承申候此間ハ□之儀故此座敷ニ御座候様ニ被申付殊之外
くらく庭も無御座候少庭なとも有之処ニ御座候様ニと被申付候ゆへ
明日より繕なと少々申付候大工づかひなと仕候故おと高くいな事
と思召事も可有之と存御案内申由被申候次ノ座ニ而も右之通ニ
被申候處ニ冨森助右衛門被申候ハ段々結構ニ被仰付候儀共誠以冥加至極

 

P52

とかく可申上様も無御座難有仕合ニ奉存候何も御侍中大勢被付置結構
成儀共就中堀内傳右衛門殿へ別而御なさけらしく被仰聞候而忝次第ニ存候と
あいさつ被申候拙者も右之仕合故跡へ居申承申候其後何も罷立被申候刻宮村
團之進ハ拙者へ被申候ハ我等ハ名まて被申候而別而悦被申聞候故いかにも是
ニ而承申候と申つる惣体上之座ニ而ハ吉田忠左衛門下之座ニ而ハ冨森助右衛門あい
さつなども其儘すすミ出被申候弁舌明らかなる生レ付口聞なとと申様成ル
衆ニ而御座候就夫千石伯耆守様へも右両人使ニ内蔵助被申付たると存候寒
気之刻ニ而候得ハ大キなるこころ弁がら嶋の大ふとんニ而出申火を入申候口ニ
じやらおろし申候惣体何事も御目付衆ヘゴ伺被成候而之儀と承申候たばこ
御酒なとも初一両日ハ出不申候得共是も御出し被成度思召御伺と承申候
こたつも左様とて為候何かと随分御馳走被遊度被思召上候故いろいろに
御心をつくされ候誠以難有事共何も度々皆共ニ難有仕合とて

 

P53

悦被申候ハ尤成る事ニ存候事
一.極月十七日之夜かと覚申候何も御精進日可有之候無御遠慮被仰聞
候得と被申渡候へハ難有仕合とて古宋女様なと御忌日を被申候由ニ御座候
其刻明十八日之朝ハ少旦明被存寄候儀御座候間精進を被仕候明朝之料理ハ
右之通ニ御座候間精進料理ニて出シ可申と被申渡候皆共□定而
ワけ可有御座候扨々難有事と存候ヘハ十七人の衆之心底察入申候其後
廿四日ニ愛宕山へ立越我等も社参仕候心底御察可有事 松の龜右衛門藤崎作右衛門
   代々参候得共堀尾万右衛門方定詰ニ成候而右両人ハ上御屋しきのミニ居申候軍之助も同前
一.坂崎忠左衛門、三宅藤兵、衛宮村團之進、松野龜右衛門、藤崎作右衛門、鎌田軍之助
長瀨助之進、堀尾万右衛門、御小姓頭ハ平野九郎右衛門、横山五太夫、中瀬助五郎
御聞善ハ堀内平八、堀七郎兵衛、向坂平兵衛、義弘加左衛門、八木市太夫、林兵助
村井源之丞、堀内傳右衛門此分代々罷出馳走仕候儀御座候事

 

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P55

一.御番人ハ御小姓組衆此分二座ニ相勤申候尤何も無刀ニ而番仕候
あいさつ馳走ニ罷出候衆も何も無刀ニ而罷出申候何も大小用ニ被参候刻
毎度御番衆ニ向手をつきぢぎの様ニ被仕候而立被申候其刻初之間ハ御
番衆一人立被申右之大小用ニ被参候口迄被参候御番衆中之内心あキ
衆へ拙者申候ハ定而左様可被仰合候へ共毎度毎度御出被成候事ハ不入事之
やうニ存候何の衆殊之外きうくつニ可有御座候得共御番衆ニたいし
毎度御案内之心ニ而ぢぎを被仕候と見へ申と申候得ハ其後ハ被申合
候哉何も立不被申其儘居被申候事
一.手水つかい被申候時毎度毎度坊主衆罷でかけ申候故殊之外迷惑
がり被申候手水桶ニひしやく御そへ被下置候得自身つかい申度と被申候
得ともひしやく出し申事成兼申候得事も芝御屋敷へ伺申事故
其内水桶ニ龍口を仕懸け候而出シ候様ニ成共仕候而可然と申談候事

 

P56

手水を坊主かけ申事ハ御やしき之儀故別而恐多迷惑かり被申候ハ
尤ニ存候少も御ぢぎニ及不申御かけさせ候而不苦候儀と度々拙者も存候も申候事
一.御屋敷へ被参候其夜小袖二ツ宛拝領其後歳暮ニ二ツ宛帯なとも
拝領被仕其時分内蔵助へ持出申申候坊主衆ニ尋被申候ハ此御屋敷ニ而之
太守様御居間ハ何方之ほうニ而候哉と尋被申次之座ニ而も左様尋
被申候而其方ニ向頂戴被仕候を坊主衆拙者へ申聞候扨々尤至極
成る事其実庭ニ而こそ可被下ニ何かわれたる忠臣と末々男女共ニ
感シ申事天道御めぐみと涙をながし申候事
一.坂崎忠左衛門殿ハいか様之御筋かと尋被申候故忠左衛門親清左衛門と申候ハ古
越中守代児小姓ニ而懇比ニ召仕段々取立当越中守代ニも心ニ叶年
寄候而以後家老ニ被申付候其後嫡子ニゆづり隠居仕果申候嫡子ハ病
気ニ有之知行差上申候忠左衛門ハ次男ニて幼少より段々被取立懇比ニ

 

P57

召仕申唯今ハ大形親身代のごとくニ結構ニ召仕申候三宅藤兵衛殿ハと尋被
申候藤兵衛事ハ少わけ有之ものニ而候定而御聞及被成候明智日向守殿は
少古越中とすうき御座候日向守殿内ニ明智左馬助と申候而名高キものの
藤兵衛ハ子孫ニ而御座候故様子宜ク召仕候其外一々尋被申候相応之返答仕候
長瀨助之進ハ三斉代ニ小谷又右衛門と申名高キもの足軽ニ具足をきセ申
武者足軽とて五十人宛仕立右之又右衛門ニ頭申候其末ニ而側ニ懇比ニ召
仕申候堀尾万右衛門ハと尋申候是も堀尾山城守殿の堀尾ニ而幼少より心ニ叶
側ニ懇比ニ召仕申候團之進殿ハと尋申候是も代々召仕もののセがれニて幼
少ニ而心ニ叶段々取立結構ニ召し仕申候と申候得ハ度々是ニ御出被成候扨々
能キ御弁舌きれいなる御おしたてとほめ被申候横山五郎大夫殿ハと
尋被申候五郎大夫儀ハ定而御聞及可被成候右五郎大夫儀ハ天草之城之節板
倉内膳様御討死被成候右五郎大夫祖父横山助之進と申候而物頭仕居

 

P58

申候を内膳様へ付置申候処ニ右一所ニ而正月朔日ニ討死仕候其末ニ而御座候故
懇比ニ召仕唯今小姓頭を申付候右助之進と同前ニ伊藤十之丞と申物頭も
同前ニ討死仕候子孫只今伊藤又右衛門と申候而側ニ召仕候定而段々取立可被
申と存候平野九郎右衛門ハと尋被申候故是も祖父已来代々召し能召仕申候唯今小
姓頭申付候遠江守殿之平野ニ而御座候中瀬助五郎殿ハと尋被申候是ハ
定而御聞及も被成たる事も可有御座候三十年斗以前ニ摂州あくた川
ニ而十三四之時親之かたきを首尾能うち申候少わけも有之幼少之
時分より召仕唯今小姓頭申付候それぞれニ覚申候通不残返答仕候へハ
扨も扨も御大家様と何も感シ被申候事
一.同名五郎兵衛申候ハ拾七人之衆見申度候ハハ御番代ニ段々遣可申富もう候
得ハいや見申度無之とて二三人も被申候由其後何も代り合候而参候故
又見申度候と被申候故いやならぬと申候由咄候故何と心得被申候哉

 

P59

定而武士之めずらしからぬ事と思ひての事と申候高坂検校子甚五
郎を御預之衆御番ニ望候而出シ申故拙者申候ハ扨々尤成ル事ワかき人ハ
何もかも見置たるか能ク候とほめ候得ハ検校被申候ハ扨々今度之衆一巻
承申候ニも古今之忠臣終承不申事共後々ニ大ノ男ニ而ちからも大力などと
昔語之朝比奈五郎時宗弁慶なとの様ニ可申伝候定而小男も可有
御座候いろいろ替りたるおしたて段々可有御座候へ共見かけニハよらぬもの
心底ハ上よりハ見へ不申何も志ハ一同仕候衆感ジ入申から甚五郎ニ御番
望出さセ申候と盲人の被申様扨々尤と拙者も同前ニ存候貴殿なと
心得ニ可成哉と不入事ながら書キ置候事
一.井上吉右衛門申候ハ今度大勢之事ニ御座候得共らぎふとん小袖ニ至迄
何之つかへなく何御大名と申ハ常々各々の役ニ而調置

 

P60

何もかも其儘ニ而つかへぬ様ニ有之を御大名今度とみざわ丁にて
調被申候と見へ申候妙解院様御代長崎物下直之時分どんすの巻
物沢山ニ御調さセ何その御用之為によきふとん百斗坂崎清左衛門殿物数
寄ニ而皆々の替りニ被申付候咄親三盛申聞候と返答仕候得ハこれこれと金
銀すくなき時節とて笑申候惣体おもふ事申さねばならぬ我等ゆへ
皆々にくまれ申事も前々より被申聞承候而い申候へ共堪忍成兼申候諸
役儀勤申衆ハ大小共ニ夜白心かけ御為を存候ハハ成ましき事ニてな□
当座当座の能キ様様ニ斗なかれ依之世の中口惜候貴殿段々御奉 公
可被仕候能々心かけ被申候様ニと存不入事をも書置候事惣体御奉公ニ
身食をおしミ不申常々心得候ハハそれぞれの生レ付とハ乍申心つかぬハ
其通之生レ付こころ付候而もなかれ依之勤ハ武士たるものの口惜事ニ候
何事その時ハ各別と皆々申事ニ候平生なかれ依之ものハ何事ぞの

 

 


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