虚子、年尾、汀子句碑の建っている傍らに膝まづくように迦南句碑はありました。虚子、年尾の句碑が白御影の堂々たる石柱であるのに比べ、このへり下りようはいかにも迦南らしく思われました。しかし春光寺の句碑は迦南句碑が第一号で、虚子其の他はその後に建てられたものだそうです。
春光寺の迦南句碑
此処とてもまた仮の宿日向ぼこ 迦 南
迦南は昭和16年に朝鮮竜山鉄道を定年退職して鹿児島市へ転居しますが、一所に定住できず鹿児島市から霧島市へ、さらに多良木町へと移転を繰り返し、昭和24年三角町へ移り死去までの5年間をそこに過ごしました。この句は鹿児島時代に詠まれたもので、流浪する老年を象徴するような句です。
この句はよくよく味わってみると、しみじみとした迦南の感懐にこころ打たれます。
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