古文書を読もう!「水前寺古文書の会」は熊本新老人の会のサークルとして開設、『東海道中膝栗毛』など版本を読んでいます。

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昭和20年1月の日記

2017-03-03 09:23:54 | 日記

 以下の文章は岡野允俊さんの日記です。岡野さんは「健軍三菱物語」の編集  

で知られる方です。岡野さん17歳の日記です。往時を知る1級資料ではない 

でしょうか。

 

昭和20年1月1日
決戦の年の始めを軍隊で迎へた。総員起こしと同時に1種軍装に着替へ朝比叡山麓に登る。雪が降ってゐた。手はちぎれる程冷たい。ご来光を仰ぎ戦勝を祈る。これが朝礼であった。
 あさみどり 澄み渡りたる 大空の
 ひろきを己が心ともがな
御製奉唱を終へ、すがすがしい気持ちで下山す。雑煮で新年を祝ふ。一人6個あてのダンゴのやうな餅であった。08:00軍艦旗掲揚、隊内神社に参拝す。10:00祝賀食、銀飯、大根、人参の煮付け、鯉汁、数の子、肉の煮しめ、タコの酢もの、ラッキョウ、ビスケット、みかん6個、婆婆ではとてもこんな食事は出来まい。
夕食後軍歌演習あり。

1月2日
初めての自由外出許可。09:00隊出発。坂本のクラブに寄る。佐藤医院といふところで中々感じのよいところであった。入隊以来初めてタタミに座りこむ。3ヶ月ぶりに大津の町に出る。町の人々と比べると我ながら逞しくなったやうな気がする。海仁会、映画館へ行く。映画「土俵祭り」を見る。15:30帰隊す。帰隊時刻に遅れたら禁固刑ださうだ。海軍では時間に遅れたら艦が出港してしまふからださうだ。金銭出納を報告する。

1月4日
課業始まる。3日間休んだので、また張り切って今年のスタートを切らう。

1月7日
半舷外出、早足で大津市内に向かふ。海仁会で昼食を済ませ大津市内を歩く。大津駅で代用うどんを食べ、その後映画「進め独立旗」を見る。電車で帰隊す。
電車賃10銭、映画18銭、うどん35銭、色鉛筆60銭、合計1円32銭也。

1月8日
積雪1尺余。朝掃除は雪かき作業。体操のときこの寒さの中、裸になれといふ。腿が針をさすやうに痛い。練兵場を廻って近江神宮まで駆け足。通信査定あり、100点なり。班長より特別にハガキ1枚を貰ひ早速家に出す。

1月9日
昨夜8班の練習生が自殺した。通夜に出る。軍艦旗に包まれた棺。その上に組まれた軍刀、軍帽。両親も放心したやうに同席してゐた。昨夜「巡検おはり」の号令を聞いて、隊内を走る江若鉄道の列車に飛び込んだといふ。

1月11日
敵リンガエン湾に上陸を開始せり。食卓番なり。朝みそ汁、人参、菜。昼、スイトン、福神辛責、夕、大根、イカの煮もの。陸戦、分隊戦闘訓練。さして苦痛なし。

1月12日
雪、小包受け取る。熊本からであった。発光信号訓練。辺りが真っ暗なので記録用紙の外に書き込み点を落す。喉痛し。終日頭痛あり。通信査定100点なり。3班97、87で分隊3位なり。

1月13日
夕べひどい地震があった。(註、三河大地震なり)隊内哨戒第二配備となる。運用の時間に結索法を習ふ。午後大掃除。

1月14日
外出許可、映画「雷撃隊出動」見る。午後警戒警報が発令されたので急いで帰隊する。

1月15日
満17歳になる。風速大。体操、新唐崎まで駆け足。のど痛し。分隊点検あり。

1月16日
寒稽古、縄跳びをやる。冷たい風が肌をさす。この寒さの中、まさか裸にされるとは思はなかった。手の冷たいことこの上なし。朝礼時気分が悪かったので診察を受ける。結果休業となる。

1月19日
診察の結果「全治」となる。通信査定100点なり。3班第2位なり。班長機嫌よし。飛行機雲多数現る。

1月21日
寒稽古、日吉神社まで駆け足。きつし。外出許可、クラブへ行く。暫く休んで大津に出る。使用金高、絵葉書45銭、切手15銭、下敷き21銭、計81銭なり。

1月23日
寒稽古、新唐崎まで駆け足、午前中形態適正検査あり。通信の時間に第一配備になる。遠雷の如き音が継続的に聞こえた。大阪の空襲がこんなところまで聞こえる筈もないが。昼、大根の煮詰め、たつくり、じゃこ、夕、かぶらの煮込み、タコ。

1月24日
昨日に続き形態適性検査あり。午後体位検査。身長155、4糎、体重46、胸囲77、肺活量など測定。

1月26日
寒稽古、縄跳び、手冷たし、清水練習生入室となる。 手旗信号、旗流信号、通信の試験あり。

1月27日
寒稽古止め。午後大掃除、短艇作業要因として行く。楽だった。班長機嫌よし。
昼、魚肉、玉子、味噌汁、夕、魚、肉、漬物。


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