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古民家に使われてきた伝統的な木組みは、自然のサイクルに沿った環境にやさしい家づくりです。
木の性質を一本一本見抜きながら組み合わせることで、強い構造を実現できます。
「根曲がり材」や「アテ材」は近代的な製品ラインに乗らず、山で捨てられてきたり、製材所でゴミとされていますが、そういった「クセ」のある材料でも上手く使えば強いものになります。
伝統的な方法を取り入れることで、現代の住宅も強い建物に仕上げることが可能です。
また、金物に頼らないので、耐久性のある構造でもあります。(金物の場合はサビによって耐用年数が決まります)
昔ながらの構造にヒントを得ながら、どうすれば強い建物になるのか、長持ちをするのか・・そういった工夫を絶えず考えていくことで、丈夫な建物を日々進化させていく・・・そんな家づくりをしています。
足固めの応用
浮かせたまま組み立てる(建て方時)
差し鴨居による補強
春日町O邸の1階車庫部分の補強事例
小根柄長ホゾ差しシャチ栓止の応用
本町K邸のプレカットでの長ホゾ差しボルト止め事例
伝統構法の特徴へ・・
木の性質を一本一本見抜きながら組み合わせることで、強い構造を実現できます。
「根曲がり材」や「アテ材」は近代的な製品ラインに乗らず、山で捨てられてきたり、製材所でゴミとされていますが、そういった「クセ」のある材料でも上手く使えば強いものになります。
伝統的な方法を取り入れることで、現代の住宅も強い建物に仕上げることが可能です。
また、金物に頼らないので、耐久性のある構造でもあります。(金物の場合はサビによって耐用年数が決まります)
昔ながらの構造にヒントを得ながら、どうすれば強い建物になるのか、長持ちをするのか・・そういった工夫を絶えず考えていくことで、丈夫な建物を日々進化させていく・・・そんな家づくりをしています。
足固めの応用
浮かせたまま組み立てる(建て方時)
差し鴨居による補強
春日町O邸の1階車庫部分の補強事例
小根柄長ホゾ差しシャチ栓止の応用
本町K邸のプレカットでの長ホゾ差しボルト止め事例
伝統構法の特徴へ・・
先日、建築士に正式に建て直しのお願いをしまして2週間たち、きょう少しお話をしてきました。
今、増田一眞『建築構法の変革』を読んでまして・・・聞けば構造関係の専門の方なんだとか。
その建築士の見解では、たしかに現代建築の問題点は建築基準法をはじめとして山積状態なんですね。ただ、そのなかで大工さんの現状も踏まえた上で、どこまでなにができるかではないか?と。
なるほど、と感じました。
描く絵がなければ話になりませんが、餅は描かれただけではいけないわけで・・・一種の折衷なんだろうなと・・・
建築の世界に限らず、さなざまな場所で起きている(であろう)さまざまな矛盾を、現実にどう取り扱っていくのか・・・なんか重い課題だとあらためて感じました。
増田先生は全国の大工と一緒に伝統構法を残そうと動かれています。
殆どの建築士が自分が設計した物を大工に指示する現状の中で、「大工を支援してより強いものを作ろう」というスタンスです。大工技術の奥の深さを知っているからこそ、そこに持ち前の構造計算を如何に活かすかというところです。
伝統や経験の中には、現代の数字で表せないものが潜んでいます。
基準法などは所詮5、60年くらいの浅い知識でしかなく、そこに長期的な予想を盛り込もうというのに無理があります。古来からの建物は200年も300年も大地震に耐えている。
数字万能主義の世の中で、数字で表して管理しようという所に問題があります。
技術は数字で表せないものが沢山あります。
それを証明するのは大地震であったり大雪や大風であったりする。
人間の経験や直感、豊かさを頼りにすることが世の中の動きと相反する。
数字、効率、儲け
色々な面で、それが問題点となって浮き彫りになっていると思います。
マネジメントの父といわれるドラッガーの書も良く読んでみれば、会社は儲けではないと説いていますが・・何処で間違っているのだろう?
ほんとにおっしゃるとおり!ですね、まったく共感します。
>効率・儲け・・・われわれサラリ-マンも“気楽な稼業”でなくなってから久しいですが(TT)。
明治の頃からだそうですねぇ、建築の世界にほとんど無批判的にヨ-ロッパの思想がはいりだしてきたのは・・・戦後もその流れが“非科学的”に続いているとか・・・
流通の世界も似たようなものですよ。結局、規模(の巨大化)を追求するほど、画一化~効率とか合理化を求めるようになるとともに、ほとんど必然的に数値化が避けられなくなる。
医学の世界でも、患者を診るより数値=デ-タ至上主義に陥りやすいとか。数字ばかり見ている(医者も患者も)光景そのものが一種異様じゃないかとの指摘もあるにはあるそうですが。
いやゆるアタマデッカチ(ということばも最近ほとんど聞かなくなりましたが)ばかり・・・学校秀才の限界にさしかかっているように思います・・・政治家の世界を見るにつけても。
“アタマ”を否定するわけじゃありませんが、全体的というか、全身で・・・汗水流して・・・感じ、体得することを軽んじる風潮が頂点にきているように思います、わたしも。
明治以降お手本とするはずだった欧米諸国の建築物は、築100年以上の物がざらにあります。
何世代に渡って住宅が使われるので、住宅ローンの問題は殆ど無い。だから、収入がそこそこでも裕福な暮らしが出来るのです。
日本の場合は、住宅ローンが終了すると共に建て替えして、またローンを抱えるという、一生ローンを背負っていかなければならないので、何時までたっても裕福になれない。
良いものを長く使う・・そういった持続可能な経済形態まで戻せるかどうか・・
完済=建替え時期などという図式そのものが詐欺的じゃないかと。
伝統構法にめぐりあい、その世界を垣間見るにつけ、そのへんの構造と言いますかカラクリがわかったように感じます。
ほんとうの豊かさに程遠い日本の寒すぎる現状そのものに気付くためにも、この工法をひろめていく必要・・・ほとんど義務(?)・・・があるように思います。
知ってしまった以上、できる事は、知っていることを広めることに尽きます。
伝統文化は日本の文化そのもので、日本の国の良さを見直し、残すことなのでしょう。結果的に日本が生き残る道でもあります。
グローバルスタンダードに対する「ローカルスタンダード」です。
自然は常に、一つの個が優先になるのではなく、多種多様が共存しあう社会です。
これに反しないことが、持続可能と位置づけています。
言うはたやすいのですが、実際は険しい道のりです。
>多種多様が共存しあう社会
の実現を目指したハズ(?)の戦後の成果(途中?)=現状を見れば、バンザイ!の対象が変わっただけかのような・・・
>言うはたやすい・・・が、実際は険しい道のり
ですね、きっと・・・
でも、このたびの震災以降、世界的な原発への視線の変化が起きていますけど、これ結局、世界観とか人生観~哲学etc.までの超巨大なうねりになっている・・・今後さらに増幅しつつ・・・状況のなかで、案外軽く(※語弊が大きすぎますけど)乗り越えてしまう可能性!のほうが大きいようにも思います、門外漢として^^
環境面では2010年がターニングポイントだったそうです。少し遅れてはいるのでしょうが、脱原発、脱石油、自然共生型エネルギーえの移行は世界的な動きになっているようです。
日本だけが、取り残されていたのね・・
TVが普及し始めた時、「日本人がバカになる」と言った人もいたそうですが、事実、マスコミに先導され、マスコミは大企業の意のままに操られているわけで・・
力のある所が勝つ構造になっている。
マスコミに踊らされず、自分の考えを持つ世の中になってほしいものです。
配線や照明、etc.・・・某ショ-ル-ムへも出向いてキッチンの見積り依頼とか・・・さらに別へ異動後、玄関ドア(開き扉)の見積り依頼とか・・・疲れましたけど、新鮮!で楽しかったです^^
数千(数万?)ポイントを扱う仕事って、たとえば車の製造とかしかイメ-ジなかったものですからねぇ。その広さと深み・・・一種のオ-ダ-メイド・・・に直面して、いわゆる“庭師”(/※司馬遼太郎)の世界か?みたいな^^
100年を超えるオ-ダ-のなにかを自費で賄う前提でのものの考え方(~行動)そのものって、なかなか出くわさないですよね、実際。
時間感覚---個人のそれと、もっと広い(深い)ナニモノか(ex.世間or社会or文化)のそれとの決定的な違いを、強烈に感じた一日だったような気がします。
同じ国の国民、ていう捉え方が主流・中心ですが、実はまったく違う!コ-ドを持ちつつ、触れ合うこともなく通り過ぎることのいかに多いことか!(多すぎる!)と・・・
個(プライベ-ト)も公(パブリック)も横断的に、共通の祖先を置き去りにしてきてしまっている!!!ことへの気付き!に、いかにして立ち返るか!・・・ですね。
着々と家造りも進行しているようですね。
設備器具が主体の打ち合わせのようですが、構造や工法にもこだわってください。
特に、地場産材が的確に使われているかどうかですね。「地産地消」は地元の山の整備や循環経済の構築に役立ちます。
自分の家に、何処の材料が入るのか・・それを川上側から追ってくるのも面白いですよ。