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6月13日の社説は・・・

2021-06-13 05:30:55 | 社説を読む
 
 
・ 司法改革20年 未完の歩み つなぐ使命
 
・ G7サミット 多国間協調の再生を主導せよ
・ インドのコロナ 新たな感染爆発を防ぐ教訓に
 
・ 骨太方針と感染症対策 コロナの教訓が見えない
・ 法人税率でG7合意 不毛な減税競争終える時
 
・ 渡航用ワクチン証明書の発行へ準備急げ
・ 中小企業もサイバー防衛を
 
・ アルツハイマー病 新治療薬の審査を迅速に
・ パワハラ防止 企業は社会的責任果たせ
 
・ 流れる水は腐らない 週のはじめに考える
 
※ 
 
読売です。

 価値観を共有する先進民主主義国が結束し、サミットを再生させなければならない。多国間協調の有効性を示したい。

 先進7か国首脳会議(G7サミット)が英南西部コーンウォールで始まった。対面での開催は2年ぶりだ。

 G7サミットは近年、トランプ前米大統領の「米国第一主義」に振り回され、機能不全に陥っていた。だが、今年就任したバイデン大統領は、国際協調や同盟関係を重視し、「世界の民主主義国を結集させる」と強調している。

 米国が積極的に役割を果たし、日米欧の協力体制が復活した、と印象付けることが肝要である。

 最大の焦点は、中国やロシアなど専制主義国家による国際秩序への挑戦に対し、具体的な対処の道筋を示せるかどうかだ。

 首脳宣言では、力による現状変更は許さないという強いメッセージを発することが重要である。

 

中日です。

ぜひ、保存しておきたい、名作社説です。データとして引用します。


伊勢湾を望む知多丘陵の貯水池、佐布里(そうり)池(愛知県知多市)の湖畔に小さなほこらがあります。知多市の農家、久野庄太郎さん(一九〇〇〜九七年)が五十六人の霊を慰めるために寄進した愛知用水観音堂です。
 大きな山も河もない知多半島は長く水不足に悩んでいました。久野さんは米作りから養豚や養鶏、のり養殖に手を広げ、一九四六年、天皇陛下に県の農業事情を進講するほどの篤農家でした。翌四七年、大干ばつが襲います。久野さんは戦争で男手をなくした家を回り、自分の田でとれた米を配り、水くみも手伝ったそうです。

二人三脚がスタート

 木曽川の水を運ぼう−。そう思い定めた時、戦前は南満州鉄道の技術者だった浜島辰雄さん(一九一六〜二〇一三年)と運命的に出会ったのです。二人は現地調査を重ねて水路の概要図を作り、地元や役場、政治家を訪ね歩きます。地縁や人脈を生かし、四八年末には吉田茂首相(当時)に直談判。浜島さんの著書によると、当初五分の約束は四十分に及び、吉田首相は最後に大きな声で「食糧増産、失業対策。よいではないか」と励ましたといいます。
 国は戦後初の大型公共事業に位置付け、五五年、愛知用水公団を設立。世界銀行の融資を受けることも決まり、世銀の主導で米国から卓越した技術者と最新設備が送り込まれます。国内から気鋭の技術者も集結しました。
 大願成就は、浜島さんとの二人三脚スタートから十三年が過ぎた今から六十年前の六一年九月。岐阜県八百津町の取水口から知多半島の先端まで百十二キロをついに水が流れ、以後、この地域の飛躍的な発展に貢献します。その年、二人には中日文化賞が贈られました。
 しかし、久野さんの心は晴れやかではありません。工事中の事故で五十六人が犠牲になっていたのです。「自分が殺したようなもの。いっそ人柱として埋めてくれないか」。その苦悩を知った勝沼精蔵名古屋大元総長は、少し違った「命の貢献」を提案します。慢性的に献体が不足している医学界への協力を求めたのです。
 久野さんは六二年、解剖学実習などに遺体を提供する団体、不老会を発足させます。自らが第一号となった会員数はわずか三年後には千人を超えました。献体者は二〇二〇年度末現在で一万九百五十一人に達し、医学界に欠かせない存在であり続けています。

最先端医療にも貢献

 「ダビンチ」や「ヒノトリ」で知られる手術支援ロボットをいち早く導入した藤田医科大(愛知県豊明市)は今年五月、三十キロ離れた病院間を光専用回線で結んだ遠隔手術の実証実験に成功しました。体への負担が小さく、繊細な執刀に適したロボット手術の可能性は一層広がりました。須田康一教授によると、従来の手術より、がん患者の生存率が高いとの結果も出始めています。今後の将来性は「ロボットを使いこなす技術を習得する訓練が鍵」と話し、不老会への敬意と感謝を口にします。
 「流れる水は腐らない」と言われます。流水のごとく、常に歩みを止めなかった久野さんの生涯のようです。伝来の土地や家屋を手放しました。木曽川上流で反対の声が高まった時には一軒一軒に頭を下げて回ったといいます。それでも「後々の人が喜んで使ってくれればそれでいい」と進んで功績を語ることはありませんでした。
 知多丘陵の小さなほこらに納められた観音像は、久野さんが持ち帰った工事現場の土で、できています。開通後、久野さんは別に造らせた観音像を手土産に、米国の世銀本部へ行ったそうです。「今まで世界中にいっぱいお金を貸してきたけど、わざわざお礼に来たのは初めてだ」と海の向こうの人たちを驚かせたといいます。
 たった二人から始まった愛知用水の運動は地域を盛り上げ、国や世銀まで巻き込みました。世界最新の技術に触れた技術者たちはその後、国内外で社会資本の整備に大活躍します。不老会の活動も全国に広がりました。公共の新しいあり方が問われる今こそ、「民」の熱量を核にして「官」が動く参加型プロジェクトとして再評価されるべきだと思います。   https://www.chunichi.co.jp/article/271769?rct=editorial

 愛知用水は社会科で教えます。

しかし、その後の不老会の話は知りませんでした。

語り継いでいきたい話です。


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