10月13日、社会科仲間と美濃、なかでも濃尾平野の縁をまわってきました。
その様子を報告してきました。
名づけて美濃 見てある記
今回は最終回、その他の史跡です。
初めに紹介するのは、杭瀬川合戦で討たれた野一色頼母(たのも)助義の墓 兜塚です。
まずは衛星写真から。
黄色の丸が兜塚。赤坂宿の西の端に当たります。
矢印が、推定の当時の杭瀬川。
薄緑の丸が、推定の稲刈り場所。
そこをお勝山から野一色頼母が追っていき、川を渡って伏兵にやられた推定位置が赤い×。
推定と書きましたが、「例えばこんな感じ」と読み替えてください。
掘ってみればわかるかもしれません。
ズームしましょう。
黄色い○が兜塚。地形的に、ここが赤坂宿の西の端であることが納得できます。
兜塚に入りましょう。
野一色頼母は、東軍の中村隊の家老でした。
以前紹介しましたが、関ヶ原の戦いの前日、9月14日に杭瀬川の戦いがありました。
その戦いで命を落とし、ここに葬られ、鎧兜も一緒に埋められ、それ以来兜塚と呼ばれるようになったと言われています。
野一色助義(通称は頼母:たのも)は、近江国坂田郡野一色村の出身といわれ、豊臣三中老のひとりである中村一氏に8千石で家老として仕えた人物です。
関ヶ原の戦いの時、一氏は東軍に属しますが、合戦前の7月に亡くなり、代わって一氏の弟である一栄と共に出陣しました。
野一色頼母は豪傑として知られた人物でしたが、その勇猛さがアダとなったのが杭瀬川の戦いです。
杭瀬川合戦は、島 左近が西軍の士気を上げるための奇襲戦でした。
お勝山に陣取る中村隊の目前で、島左近隊はいきなり稲刈りを始めました。
収穫前の稲に手をかけるのは本来マナー違反ですが、もちろん陽動作戦です。
それに激怒した中村隊は罠にはまりました。島隊を攻撃しますが、しばらくして退却し始めた島隊を追撃したことにより、橋を渡ったところであらかじめ待機していた伏兵に遭い、深田にはまって討ち取られてしまいました。
頼母を討ち取ったのは宇喜多氏家臣の浅賀三左衛門でした。
その説明が書かれています。
兜塚の横に廃線跡がありました。
いいですね。
衛星写真を見てみましょう。
黄色の矢印の先に、廃線の跡がはっきりとわかります。
そしてその先は、現在の美濃赤坂線(地図では東海道本線とありますが実は微妙なのです)とつながっていただろうことがわかります。
では北は?
衛星写真を見てみましょう。
金生山化石館の西の麓の方へ延びていたらしいことが想像できます。
かつては、石灰石を旧国鉄で運んでいたことがわかります。
もう少し深掘りしてみましょう。
次の写真をご覧ください。
国鉄ホキ9500形貨車は、砕石輸送用の私有貨車として製作され、日本国有鉄道(国鉄)・日本貨物鉄道(JR貨物)に車籍を有する 35 t 積の貨車(ホッパ車)です。
それを矢橋工業がホキ19500を経て所有したのが。JR貨物ホキ2000形貨車。
上にカバーが付きました。
この矢橋工業は、
この金生山で石灰石を掘っている企業なのです。
製鉄には石灰石は必需品。
東海市の日本製鉄には、この金生山から、矢橋工業の鉄道車輌を使って石灰石を運んでいたのでした。
社会科では、自動車工業の発展で製鉄所についても学習します。
この石灰石採掘所は、貴重な資料ですね。
第7回で美濃赤坂線 荒尾駅を紹介しました。
そもそも、美濃赤坂線とは?
美濃赤坂線は、大垣駅と美濃赤坂駅を結ぶ、東海旅客鉄道(JR東海)東海道本線の支線です。
JR東海の路線図です。
大垣から延びている支線、わかりますよね。
実はその先があるのです。
西濃鉄道市橋線です。
この路線図からは、先ほどの廃線になった線が載っていません。
国鉄・JRから西濃鉄道に役割が変わったのでしょう。
この金生山の石灰石が、実は、トヨタ自動車を支える原料になっていたということが今回の旅でわかりました。
プロデュースしていただいたK校長に感謝しつつ、今回でこのシリーズを終了します。お付き合いいただきありがとうございました。
おまけです。
最後はご褒美の温泉南濃温泉 水晶の湯。やや熱めでした。
露天風呂からの景色は最高です!
ここから http://suisyounoyu.com/
今回のシリーズは・・・
美濃 見てある記 -1-
美濃 見てある記 -2-
美濃 見てある記 -3-
美濃 見てある記 -4-
美濃 見てある記 -5-
美濃 見てある記 -6-
美濃 見てある記 -7-
美濃 見てある記 -8-
美濃 見てある記 -9-
美濃 見てある記 -10-
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