加納城・加納宿-4-
2025年3月1日(土)、愛知ウォーキング城巡りクラブ(AWC) 「美濃 加納城址と中山道加納宿巡り」へ行ってきました。 講師は、七種英康先生です。その様子を、6回にわたって紹介しています。今日はその第4回。
今回訪問したところです。
加納城Ⅰ
上の全体図に加えて、次の地図
さらには、次の17世紀後半頃の加納城の図を見ながら解説します。
なお、下の図は北が下になっています。ひっくり返して、上の図と比べてください。
加納城大手門跡です。
毎年訪問する岐阜大学附属小中学校はここから南下します。
信号機の表示にも表れています。
南下して、加納小学校の中にお邪魔しました。
加納城三の丸跡の碑が建っています。
これまで何度も見たはずなのに、意識してみたのは初めてかも?
「見える」と「見る」は全然違うのです。
その横には、旧赤門が一部保存されています。
いよいよ加納城に入ります。次の図も使いながら紹介します。
堀を渡る2本の橋のイラストを貼りました。
A から見た石垣です。Aは昔の堀の中です。
B には石垣の一部が残っています。チャートが使われています。固いのが特徴です。
岐阜城から運ばれたものです。
金華山ってこんな山
https://gifu-nature.net/post-46
「金華山は、2億3000万年前には南半球の海底にあったのです。それが、何億年・何百万年かけてプレート運動によって現在の位置に移動し、隆起し、侵食され現在の金華山の形になったのです。 金華山を形成するこのチャート層は非常に固く・・・・」
Cには、加納城御三階櫓跡に、岐阜地方気象台が建っています。
石垣はチャート。刻印ができません。
新荒田川。奥に金華山・岐阜城が見えます。
説明がありました。
気象台の北側を、西に向かって見ているところです。
おまけ
D から見ています。
舟入で、荒田川とつながり、運搬に使っていました。
ここ大手口に極楽橋が架かっていました。
城にとって、最も重要な場所です。枡形で、2つの門によって守られていました。
再びAに戻りました。
本来無いはずの、北入口から本丸に入ります。
入り口横に説明がありました。
文字起こししてみましょう。
加納城は、徳川家康が慶長5 (1600) 年の関ヶ原合戦の直後、築城を命じた城です。 北から南へ5つの曲輪 (三の丸、 曲輪、 二の丸、本丸、
大曲輪) があり、 それらは堀と川に囲まれ、 「水に浮かぶ城」 という景観でした。 また、 石垣などは関ヶ原合戦で落城した岐阜城から運んだ
と伝えられています。
初代城主は徳川家康の長女 「亀姫」 の婿、 奥平信昌で10万石が与えられ、それ以降代々の城主は譜代大名が勤めました。 明治維新の後、
建物はすべて取り壊されてしまい、 堀も埋められ、今では、本丸の石垣と土塁、二の丸や三の丸の北側石垣や、三の丸北東部分に当時を偲ぶ
ことができます。
今あなたが立っているところは本丸の北門にあたります。 本来の本丸の出入口である大手口は東側凸字形に出っ張った部分にありました。 これ
は 「外桝形」という、 徳川氏が初期に作った城の特徴といわれる形です。
昭和58(1983)年に本丸が国の史跡に指定されてから、 発掘調査が行われ、江戸時代の加納城の地面の下に戦国時代の加納城の土塁が埋もれているのが確認されました。 また、 本丸の堀の底には 「堀障子」と呼ばれる畝状の仕切りがあったことも分かりました。 さらに二の丸では、当時使用されていた陶磁器が多数出土しました。
城下町は加納城の北から西にかけて造られました。 町の北部を 「中山道」が東西に通り、 寛永11 (1634) 年には 「加納宿」 が設置され、城下町
と宿場町が一つになりました。 岐阜と名古屋を結ぶ 「尾張街道」 (岐阜街道、御鮨街道) が町の東で中山道と交差する交通の要衝でもありました。
町の北西部と南西部に寺社が集中して置かれ、城の北と西側一帯、北の町外れにも武家屋敷がありました。
美濃傘と呼ばれる 「和傘」 の生産は、宝暦年代 (1760 年頃)、 当時の藩主永井氏が財政の助けとするため奨励し、武士と町民の分業作業として発展しました。 明治以後も加納の伝統産業として受け継がれてきています。
本丸に入りました。高い土塁に囲まれています。
天守台です。天守台はどうも建てられていないようです。
外枡形、大手口の方向に向かいます。
この辺りに橋がかかっていました。
そこから北を見ると、大手門まで一直線です。
岐阜城もしっかりと見えました。
加納城は、全国で13ある家康の天下普請の城の一つです。
膳所城(近江国、滋賀県):1601年
二条城(山城国、京都府):1601年~1606年
福井城(越前国、福井県):1601年~1607年
加納城(美濃国、岐阜県):1602年~1603年
彦根城(近江国、滋賀県):1603年~1606年
江戸城(武蔵国、東京都):1603年~1614年(慶長期天下普請)
駿府城(駿河国、静岡県):1607年~1608年
篠山城(丹波国、兵庫県):1609年
名古屋城(尾張国、愛知県):1609年~1612年
丹波亀山城(丹波国、京都府):1609年~16010年
伊賀上野城(伊賀国、三重県):1611年~1615年
高田城(越後国、新潟県):1613年~1614年
大坂城(摂津国、大阪府):1620年~1629年
このうち、100名城・続100名城になっていないのは、膳所城と加納城、丹波亀山城だけです。
続々100名城に入れてほしいものです。
動画です。
【岐阜関ケ原古戦場記念館】関ケ原古戦場史跡紹介16 加納城跡
明日第5回に続きます。明日は加納城Ⅱです。
加納城・加納宿-1- -2- -3- -4- -5- -6-
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