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『幕末の尾張藩』

2010-04-15 06:06:56 | 歴史関連情報
私の大先輩、櫻井芳昭先生著書『幕末の尾張藩』(中日出版社)を紹介します。

目次を紹介します。

第1章 待望の自前殿様
第2章 黒船来航と尾張藩
第3章 和宮降嫁と尾張藩
第4章 長州征伐の総督就任
第5章 天狗党西上と尾張藩
第6章 日光御神忌と中山道継ぎ立て
第7章 尾張藩の調達金と領民
第8章 菊と葵の狭間での苦闘



☆ 御三家の尾張藩が倒幕側についたのはなぜか。

櫻井先生は、尾張藩の役割をさらに積極的に評価しています。黒子役に徹して朝廷と幕府の間を調整し、戦乱を最小限にしたのは尾張藩の成果。
一定の評価をして良いのではないかということです。

☆ 和宮降嫁と尾張藩
和宮降嫁は、東海道を通らずに中山道を選択しました。
そのコースで尾張領内は6泊7日しました。
その宿は6カ所。
その間の接待と沿道警備を尾張藩が命じられました。

しかし、その数は半端ではあっりません。
京方が1万人、出迎える江戸方が1万5千人。
6つの宿で計15万人分の夜具や食器類を尾張全域から集めなければなりません。
実際に岩倉では、大地村(当時102戸)から、布団・枕36組、腕80人前、膳24人前などを、木曽まで持って行き、さらに受け取りに行くよう命じられている。

たとえば、岩倉村では500名ほど動員されました。
一軒に一人の割です。どの村も大騒ぎでした。

☆ 長州征伐
長州征伐の総督には、尾張14代藩主の慶勝が就きました。
その人足には、岩倉村にも74人が割り当てられました。
このほかにも、黒船対策にも尾張藩が当たっています。

この書では、こうした歴史の裏側にある一般民衆の生活を、資料を基に紹介しています。

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