テーマは分かれるか。
朝日新聞
・ キーン氏逝く 愛情と苦言を残して
・ 政権と沖縄 これが民主主義の国か
読売新聞
・ 沖縄県民投票 着実な負担軽減へ混乱回避を
・ キーンさん死去 日本文学の精髄を広く伝えた
毎日新聞
・ 期限先送りの米中交渉 不毛な応酬の早期終結を
・ ドナルド・キーンさん死去 日本に注いだ無限の愛情
日本経済新聞(昨日のものです)
・ 米中が折り合って貿易戦争に終止符を
・ 学業重視の選考を広げよう
産経新聞
・ 米朝首脳再会談 政治ショーなら要らない
・ 豚コレラ 縦割りの弊害廃し根絶を
中日新聞
・ 米朝ハノイ会談 粘り強い非核化交渉を
・ キーンさん逝く 「日本とは」問い続け
※ 予想は大外れ。キーン氏を4社が取り上げました。
中日です。
「二十四日に九十六歳で亡くなったドナルド・キーンさん。日本文学研究者と呼ばれたが、文学を通じて「日本とは何か、日本人とはどういう人々か」と、より深い問いを考え続けた生涯だった。
「徒然草」や「おくの細道」など古典から、谷崎潤一郎や川端康成など同時代の作家まで、多くの作品を英訳したキーンさん。
伝統的な日記文学が題材の「百代の過客」をはじめ、日本人の精神のありかたを探る研究書や評伝も数多く手がけた。母校の米コロンビア大で教授として後進たちも多く育て、日本の文学と文化を世界へと伝えた「恩人」だ。」
読売です。
「「源氏物語」や「徒然草」、「奥の細道」など、日本の古典文学の精髄に触れ、世界に広く紹介した業績は特筆される。
戦後を代表する作家の谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫、安部公房らと親交を深め、その作品の翻訳などに努めた。日本人作家のノーベル文学賞受賞を各方面に働きかけたことも評価されよう。
こうした活動を通じて、独特の輝きを放つ日本文学の存在が知られるようになった。外国文学の亜流ではなく、独自の文化として育まれ、洗練された表現を用いているとの認識である。」
毎日です。
「キーンさんが戦後、草分けとなる日本研究の道を選び、日本文学を世界とつなげる懸け橋となったのは、そんな出合いがあったからだろう。日本が国際社会へ復帰するため、相互理解を深める手助けになった功績は計り知れない。
また、高見順、伊藤整ら著名な作家の戦中日記を「時代の一級資料」として論じる09年出版の著書「日本人の戦争」も戦争体験なくしては生まれなかっただろう。過酷な戦場の体験から、近年の日本国憲法改正への動きに警鐘を鳴らしていた。
古今の文学を通して日本人を考察する傍ら、劇場に通い、狂言を習った。能狂言や文楽、歌舞伎といった伝統芸能への造詣も深かった。
それだけに、日本社会の中で伝統芸能の存在感が薄れていく現状を憂えていた。
12年に当時の橋下徹・大阪市長が文楽協会への補助金凍結の方針を示した際には、憂慮を表明した。日本の教育で古典文学が軽視されているとの指摘も無視できない。
アニメや漫画といったポップカルチャーだけでなく、日本が海外に誇れる文化はまだまだある。キーンさんが残した思いを、しっかり受け止めたい。」
朝日です。
「「何より人間に興味がある」
晩年の20年余り、人物評伝に力を入れた理由を、キーンさんはそう述べた。明治天皇、渡辺崋山、正岡子規、石川啄木ら、変化の時代を柔軟に生き抜く姿に、日本人の強さを見た。
東日本大震災を機に、かねての思いを実行して国籍を取得した。これを、はやりの日本礼賛の文脈で語るのは間違いだ。対談で「日本人になったからには日本の悪口もどしどし言うつもりです」と語っている。
実際、キーンさんは、バブル崩壊後の日本社会のありように辛口だった。内向き志向、他者への配慮を欠いたふるまい。憲法9条が改定の動きにさらされている現状も批判した。
本に親しんできた日本人が、テレビやゲームに興じ、古典と向き合う時間をなくしてしまっている風潮も惜しんだ。
そういう「ファストフード」から得られる喜びには限りがあると指摘し、人間性の探求に駆り立てる文学が再び必要とされるかもしれないと書いた。近年は、現代の私たちに通ずる孤独や、自信と不安が背中合わせの矛盾を描いているとして、啄木の作品を勧めていた。
豊かな文化の中に可能性がある――。キーンさんの言葉を、静かにかみしめたい。」
朝日新聞
・ キーン氏逝く 愛情と苦言を残して
・ 政権と沖縄 これが民主主義の国か
読売新聞
・ 沖縄県民投票 着実な負担軽減へ混乱回避を
・ キーンさん死去 日本文学の精髄を広く伝えた
毎日新聞
・ 期限先送りの米中交渉 不毛な応酬の早期終結を
・ ドナルド・キーンさん死去 日本に注いだ無限の愛情
日本経済新聞(昨日のものです)
・ 米中が折り合って貿易戦争に終止符を
・ 学業重視の選考を広げよう
産経新聞
・ 米朝首脳再会談 政治ショーなら要らない
・ 豚コレラ 縦割りの弊害廃し根絶を
中日新聞
・ 米朝ハノイ会談 粘り強い非核化交渉を
・ キーンさん逝く 「日本とは」問い続け
※ 予想は大外れ。キーン氏を4社が取り上げました。
中日です。
「二十四日に九十六歳で亡くなったドナルド・キーンさん。日本文学研究者と呼ばれたが、文学を通じて「日本とは何か、日本人とはどういう人々か」と、より深い問いを考え続けた生涯だった。
「徒然草」や「おくの細道」など古典から、谷崎潤一郎や川端康成など同時代の作家まで、多くの作品を英訳したキーンさん。
伝統的な日記文学が題材の「百代の過客」をはじめ、日本人の精神のありかたを探る研究書や評伝も数多く手がけた。母校の米コロンビア大で教授として後進たちも多く育て、日本の文学と文化を世界へと伝えた「恩人」だ。」
読売です。
「「源氏物語」や「徒然草」、「奥の細道」など、日本の古典文学の精髄に触れ、世界に広く紹介した業績は特筆される。
戦後を代表する作家の谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫、安部公房らと親交を深め、その作品の翻訳などに努めた。日本人作家のノーベル文学賞受賞を各方面に働きかけたことも評価されよう。
こうした活動を通じて、独特の輝きを放つ日本文学の存在が知られるようになった。外国文学の亜流ではなく、独自の文化として育まれ、洗練された表現を用いているとの認識である。」
毎日です。
「キーンさんが戦後、草分けとなる日本研究の道を選び、日本文学を世界とつなげる懸け橋となったのは、そんな出合いがあったからだろう。日本が国際社会へ復帰するため、相互理解を深める手助けになった功績は計り知れない。
また、高見順、伊藤整ら著名な作家の戦中日記を「時代の一級資料」として論じる09年出版の著書「日本人の戦争」も戦争体験なくしては生まれなかっただろう。過酷な戦場の体験から、近年の日本国憲法改正への動きに警鐘を鳴らしていた。
古今の文学を通して日本人を考察する傍ら、劇場に通い、狂言を習った。能狂言や文楽、歌舞伎といった伝統芸能への造詣も深かった。
それだけに、日本社会の中で伝統芸能の存在感が薄れていく現状を憂えていた。
12年に当時の橋下徹・大阪市長が文楽協会への補助金凍結の方針を示した際には、憂慮を表明した。日本の教育で古典文学が軽視されているとの指摘も無視できない。
アニメや漫画といったポップカルチャーだけでなく、日本が海外に誇れる文化はまだまだある。キーンさんが残した思いを、しっかり受け止めたい。」
朝日です。
「「何より人間に興味がある」
晩年の20年余り、人物評伝に力を入れた理由を、キーンさんはそう述べた。明治天皇、渡辺崋山、正岡子規、石川啄木ら、変化の時代を柔軟に生き抜く姿に、日本人の強さを見た。
東日本大震災を機に、かねての思いを実行して国籍を取得した。これを、はやりの日本礼賛の文脈で語るのは間違いだ。対談で「日本人になったからには日本の悪口もどしどし言うつもりです」と語っている。
実際、キーンさんは、バブル崩壊後の日本社会のありように辛口だった。内向き志向、他者への配慮を欠いたふるまい。憲法9条が改定の動きにさらされている現状も批判した。
本に親しんできた日本人が、テレビやゲームに興じ、古典と向き合う時間をなくしてしまっている風潮も惜しんだ。
そういう「ファストフード」から得られる喜びには限りがあると指摘し、人間性の探求に駆り立てる文学が再び必要とされるかもしれないと書いた。近年は、現代の私たちに通ずる孤独や、自信と不安が背中合わせの矛盾を描いているとして、啄木の作品を勧めていた。
豊かな文化の中に可能性がある――。キーンさんの言葉を、静かにかみしめたい。」