日本で随所に見られる中国カルチャーの影響
チャイナネットに特集されていました。
http://japanese.china.org.cn/jp/txt/2011-11/09/content_23865148.htmからの引用です。
1999年、フェイ・ウォンの「Eyes On Me」が日本の洋楽チャートで21週連続首位の快挙を成し遂げると同時に、日本ゴールドディスク大賞洋楽部門で大賞を獲得した。
現在、アジア各国では文化産業が発展中だが、その中で最も成功している国家は日本だろう。映像、アニメ、ゲームなどを代表とする日本の文化産業は、今やこの国の主要産業のひとつとなっている。他方で、アジア諸国は日本市場に注目している。競争が激しく購買力も高い日本市場で名実ともに成功を収めることが、自国の文化産業の対外的実力を考える際の指針となっている。そのため、韓国やシンガポールといった文化産業が勃興しつつある国家では、「日本上陸」が一つの発展目標なのである。では、中国カルチャーは今、日本でどうなっているのだろうか?
日々豊富になっているPRの手段
古来、中国文化はアジアの中心だった。日本を含む周辺諸国の文化は中国文化の強い影響を受けてきた。日本に行けば、そこかしこで中国古代文化の影響を見ることができる。たとえば漢字、服飾、建築様式、飲食などだ。しかしこれら中国文化の要素は、早い時代から日本文化に溶け込み、大多数の日本人はそれが中国から来たものと意識していない。
もし飲食もカルチャーに含まれるとするならば、日本の各所で見られる「中国料理」「中華料理」の看板は、中国カルチャーが多くの人々をひきつけている証拠と言えるだろう。中国料理は、日本で最も簡単に見つけられる中国カルチャーだ。これらは日本人の口に合うように改良されており、主人の多くは日本人である。
中国のウーロン茶は、ミネラルウォーターと同様に多く見られる飲料であり、日本ではすっかり定着している。また華僑が創業した「中国通訊社」の営業部長、姜徳春氏によると、この10~20年間で中国の火鍋も日本で人気になったという。これも中国カルチャーの影響が日本に及んでいると見なせるだろう。
中国カルチャーのPR手段は日々豊富になっている。東京中国文化センターの活動主任、石軍氏によれば、2009年12月から2011年10月まで、東京中国文化センターのイベントは121回に及び、入場人数は25,500人に上るという。イベントの内訳は、展覧会が19回、講座が14回、フォーラムが4回、映画が45回、中国語教室が週1回、書道教室が週1回、健康教室が週1回、春節イベントが2回である。これらの活動を通じて、中国文化商品の普及に取り組んでいる。
海外華人によるメディアと出版社も、中国カルチャーの普及に少なからず貢献している。段躍中氏が代表を務める「日本僑報社」は1996年に創業。1998年に書籍出版業務を開始し、2011年5月には210種類の書籍を出版。総印刷部数は数百万冊で、その大部分が中国文化に関するものである。日本僑報社が主催する「日曜中国語教室」も、数多くの熱心な中国語学習者を集めている。
中国の伝統文化を「追っかけ」
日本に行くと、彼らの中国伝統文化に対する深い愛情をひしひしと感じる。京劇を例にとれば、若者からそっぽを向かれ始めている中国国内に対し、日本では京劇の上演に多くの人がつめ掛けて熱狂している。酔狂とも思えるほどだ。趙永偉氏や張紹成氏といった京劇俳優も、日本でとても人気がある。2005年1月15日、趙永偉氏は招きに応じて、日本の素人京劇役者と共に山梨県北杜市長坂町で伝統京劇「長坂坡・漢津口」を演じた。このときの北杜市は大雪に見舞われ、非常に寒かった。それにもかかわらず、長坂社会会館は満席となった。地元の京劇ファンのみならず、東京からわざわざやってきた人もいた。チケットを手に入れられなかった観客は、開演前に入口でキャンセル待ちの行列を作り、上演が終わるまで立ち去ろうとしなかった。一目でも役者の顔を見てみたいのと、演劇が見られないことの悔しさからである。
日本人は京劇を愛好するだけでなく、その文化についても熱心に勉強している。京劇俳優の魯大鳴氏は、1987年に来日してから現在まで、京劇芸術の普及に努めてきた。彼は明治大学で京劇芸術と中国語を教えているが、同時に日本の高校や大学で京劇講座を開いている。昨年3月6日、魯大鳴氏は中国駐日本大使館教育処の主催で京劇講座を開催し、多くの京劇愛好者を魅了した。スペースの都合で定員60人だったところを、約100人がつめ掛けた。大阪や仙台からはるばるやってきた人もいた。そこには70過ぎの老人もいれば、9歳の子供もいた。
武術、太極拳、気功、書道、水墨画などの中国伝統文化が、日本において長期間、広い範囲で影響を与えている。最近では胡弓の知名度も高くなっている。NHKで毎週日曜日7時半に放映されている動物番組のテーマ曲は、胡弓の演奏である。また「論語」や「孫子の兵法」は、日本のビジネスパーソンに良く知られており、しばしば座右の銘となっている。
中国現代カルチャーも大活躍
この十年で、数多くの中国発の文化商品が日本で好評を博するようになった。大反響を呼んだものも少なくない。2003年8月、張芸謀監督による「HERO」が日本で上映され、興行収入40.5億円(約3.2億元)の成績だった。この金額は中国の興行収入2.5億元を上回っている。2008年、ジョン・ウ―監督の「レッドクリフ PartⅠ」が日本で上映され、中国映画が再度注目された。「レッドクリフ」はPartⅠとPartⅡを合わせて101.2億円(約7.3億元)の興行成績を収め、これも中国の5.3億元を抜いた。
映画のみならず、音楽シーンでも中国は日本市場で優秀な商業的成績を収めている。1999年、フェイ・ウォンのCD「Eyes On Me」が日本の洋楽チャートで21週連続首位の快挙を成し遂げ、日本ゴールドディスク大賞では洋楽部門大賞を獲得した。2003年には中国古典音楽グループの「女子十二学坊」が日本で大流行し、アルバムを166万枚売り上げた。日本では老若男女の誰もが知る中国人アイドルである。
市場的な存在感はこれから
このように、日本に向けて輸出される中国の書籍、映画、ドラマ、漫画、ネットゲームなどの文化商品や、日本で活躍する中国人アーチストが増加している。それらは一定の成果を収めているのだが、中国における日本カルチャーの大きな影響力と比較すれば、その影響力は依然として小さいと言わざるを得ない。むしろ、日本で中国カルチャーに注目する人は少数派と言ってもいいだろう。たとえば、多くの文芸団体が日本で公演するとき、観客の多くが在日華人であり、日本人への影響は限られているのだ。
中国の有名なタレントについて何名かの日本の若者に尋ねると、ジャッキー・チェンなどの俳優の名前が挙がっても、新しいスターの名前が挙がることはなかった。20年ほどの間、常に同じ有名人だけにとどまっているようである。
また、この10年で日本に輸出された文化商品の中で、わずかに「HERO」と「レッドクリフ」などの数本の映画だけしか、真の意味で名実ともに収穫を得ていない。しかも、欧米や日本の文化商品と比較すれば、それらの成績もソコソコでしかないのだ。
たとえば、「HERO」の前後に日本で上映されたハリウッド映画「ハリー・ポッター」の第一部と第二部の興行収入は、それぞれ175億円と135億円だった。「レッドクリフPartⅠ」と同じ年に上映されたアニメ映画「崖の上のポニョ」は155億元である。中国の映画作品は、欧米や日本のそれと比較すれば、市場的に見てかなりの差が付いていることが分かる。
チャイナネットに特集されていました。
http://japanese.china.org.cn/jp/txt/2011-11/09/content_23865148.htmからの引用です。
1999年、フェイ・ウォンの「Eyes On Me」が日本の洋楽チャートで21週連続首位の快挙を成し遂げると同時に、日本ゴールドディスク大賞洋楽部門で大賞を獲得した。
現在、アジア各国では文化産業が発展中だが、その中で最も成功している国家は日本だろう。映像、アニメ、ゲームなどを代表とする日本の文化産業は、今やこの国の主要産業のひとつとなっている。他方で、アジア諸国は日本市場に注目している。競争が激しく購買力も高い日本市場で名実ともに成功を収めることが、自国の文化産業の対外的実力を考える際の指針となっている。そのため、韓国やシンガポールといった文化産業が勃興しつつある国家では、「日本上陸」が一つの発展目標なのである。では、中国カルチャーは今、日本でどうなっているのだろうか?
日々豊富になっているPRの手段
古来、中国文化はアジアの中心だった。日本を含む周辺諸国の文化は中国文化の強い影響を受けてきた。日本に行けば、そこかしこで中国古代文化の影響を見ることができる。たとえば漢字、服飾、建築様式、飲食などだ。しかしこれら中国文化の要素は、早い時代から日本文化に溶け込み、大多数の日本人はそれが中国から来たものと意識していない。
もし飲食もカルチャーに含まれるとするならば、日本の各所で見られる「中国料理」「中華料理」の看板は、中国カルチャーが多くの人々をひきつけている証拠と言えるだろう。中国料理は、日本で最も簡単に見つけられる中国カルチャーだ。これらは日本人の口に合うように改良されており、主人の多くは日本人である。
中国のウーロン茶は、ミネラルウォーターと同様に多く見られる飲料であり、日本ではすっかり定着している。また華僑が創業した「中国通訊社」の営業部長、姜徳春氏によると、この10~20年間で中国の火鍋も日本で人気になったという。これも中国カルチャーの影響が日本に及んでいると見なせるだろう。
中国カルチャーのPR手段は日々豊富になっている。東京中国文化センターの活動主任、石軍氏によれば、2009年12月から2011年10月まで、東京中国文化センターのイベントは121回に及び、入場人数は25,500人に上るという。イベントの内訳は、展覧会が19回、講座が14回、フォーラムが4回、映画が45回、中国語教室が週1回、書道教室が週1回、健康教室が週1回、春節イベントが2回である。これらの活動を通じて、中国文化商品の普及に取り組んでいる。
海外華人によるメディアと出版社も、中国カルチャーの普及に少なからず貢献している。段躍中氏が代表を務める「日本僑報社」は1996年に創業。1998年に書籍出版業務を開始し、2011年5月には210種類の書籍を出版。総印刷部数は数百万冊で、その大部分が中国文化に関するものである。日本僑報社が主催する「日曜中国語教室」も、数多くの熱心な中国語学習者を集めている。
中国の伝統文化を「追っかけ」
日本に行くと、彼らの中国伝統文化に対する深い愛情をひしひしと感じる。京劇を例にとれば、若者からそっぽを向かれ始めている中国国内に対し、日本では京劇の上演に多くの人がつめ掛けて熱狂している。酔狂とも思えるほどだ。趙永偉氏や張紹成氏といった京劇俳優も、日本でとても人気がある。2005年1月15日、趙永偉氏は招きに応じて、日本の素人京劇役者と共に山梨県北杜市長坂町で伝統京劇「長坂坡・漢津口」を演じた。このときの北杜市は大雪に見舞われ、非常に寒かった。それにもかかわらず、長坂社会会館は満席となった。地元の京劇ファンのみならず、東京からわざわざやってきた人もいた。チケットを手に入れられなかった観客は、開演前に入口でキャンセル待ちの行列を作り、上演が終わるまで立ち去ろうとしなかった。一目でも役者の顔を見てみたいのと、演劇が見られないことの悔しさからである。
日本人は京劇を愛好するだけでなく、その文化についても熱心に勉強している。京劇俳優の魯大鳴氏は、1987年に来日してから現在まで、京劇芸術の普及に努めてきた。彼は明治大学で京劇芸術と中国語を教えているが、同時に日本の高校や大学で京劇講座を開いている。昨年3月6日、魯大鳴氏は中国駐日本大使館教育処の主催で京劇講座を開催し、多くの京劇愛好者を魅了した。スペースの都合で定員60人だったところを、約100人がつめ掛けた。大阪や仙台からはるばるやってきた人もいた。そこには70過ぎの老人もいれば、9歳の子供もいた。
武術、太極拳、気功、書道、水墨画などの中国伝統文化が、日本において長期間、広い範囲で影響を与えている。最近では胡弓の知名度も高くなっている。NHKで毎週日曜日7時半に放映されている動物番組のテーマ曲は、胡弓の演奏である。また「論語」や「孫子の兵法」は、日本のビジネスパーソンに良く知られており、しばしば座右の銘となっている。
中国現代カルチャーも大活躍
この十年で、数多くの中国発の文化商品が日本で好評を博するようになった。大反響を呼んだものも少なくない。2003年8月、張芸謀監督による「HERO」が日本で上映され、興行収入40.5億円(約3.2億元)の成績だった。この金額は中国の興行収入2.5億元を上回っている。2008年、ジョン・ウ―監督の「レッドクリフ PartⅠ」が日本で上映され、中国映画が再度注目された。「レッドクリフ」はPartⅠとPartⅡを合わせて101.2億円(約7.3億元)の興行成績を収め、これも中国の5.3億元を抜いた。
映画のみならず、音楽シーンでも中国は日本市場で優秀な商業的成績を収めている。1999年、フェイ・ウォンのCD「Eyes On Me」が日本の洋楽チャートで21週連続首位の快挙を成し遂げ、日本ゴールドディスク大賞では洋楽部門大賞を獲得した。2003年には中国古典音楽グループの「女子十二学坊」が日本で大流行し、アルバムを166万枚売り上げた。日本では老若男女の誰もが知る中国人アイドルである。
市場的な存在感はこれから
このように、日本に向けて輸出される中国の書籍、映画、ドラマ、漫画、ネットゲームなどの文化商品や、日本で活躍する中国人アーチストが増加している。それらは一定の成果を収めているのだが、中国における日本カルチャーの大きな影響力と比較すれば、その影響力は依然として小さいと言わざるを得ない。むしろ、日本で中国カルチャーに注目する人は少数派と言ってもいいだろう。たとえば、多くの文芸団体が日本で公演するとき、観客の多くが在日華人であり、日本人への影響は限られているのだ。
中国の有名なタレントについて何名かの日本の若者に尋ねると、ジャッキー・チェンなどの俳優の名前が挙がっても、新しいスターの名前が挙がることはなかった。20年ほどの間、常に同じ有名人だけにとどまっているようである。
また、この10年で日本に輸出された文化商品の中で、わずかに「HERO」と「レッドクリフ」などの数本の映画だけしか、真の意味で名実ともに収穫を得ていない。しかも、欧米や日本の文化商品と比較すれば、それらの成績もソコソコでしかないのだ。
たとえば、「HERO」の前後に日本で上映されたハリウッド映画「ハリー・ポッター」の第一部と第二部の興行収入は、それぞれ175億円と135億円だった。「レッドクリフPartⅠ」と同じ年に上映されたアニメ映画「崖の上のポニョ」は155億元である。中国の映画作品は、欧米や日本のそれと比較すれば、市場的に見てかなりの差が付いていることが分かる。