伊藤忠兵衛記念館に行ってきました
伊藤忠商事、 丸紅の創始者・初代伊藤忠兵衛の100回忌を記念して初代忠兵衛が暮らし、 二代忠兵衛が生まれたここ豊郷本家を整備、伊藤忠兵衛記念館と命名して、一般公開することになりました。
初代及び二代忠兵衛の愛用の品をはじめ、様々な資料を展示して繊維卸から 「総合商社」への道を拓いたその足跡を紹介しています。
この旧邸は、 初代忠兵衛が生活していた頃そのままの形で残されその佇まいからは、 “近江商人” 忠兵衛の活況ある当時の暮らしぶりやそれを支えてきた、 初代の妻・八重夫人の活躍を偲ぶことができます。
また、ここで生まれた二代忠兵衛は母である八重夫人の教育もあり国際的なビジネスを展開し、 現在の 「総合商社」の基盤を築いています。
近江商人のスピリットを先進的な感覚を合わせて世界という舞台にのせた初代伊藤忠兵衛と二代忠兵衛、 そして八重夫人のルーツにふれながらその偉大な業績を替え、 末永く後世に語り継いでいきたいと思います。 -HPより-
丸紅精神 昭和8年(1933) 10月
丸紅株式会社所蔵
大正10年(1921)3月、 株式会社伊藤忠商店と伊藤長兵衛商店が合併して株式会社丸紅商店が発足した。 社長には9代伊藤長兵衛が就任したが、実質的な経営は初代伊藤忠兵衛の甥でもあった専務の古川鉄治郎が担当した。 創立10周年に際し、同社では『丸紅商店之沿革』 が編さんされ、その序文(昭和6年3月)で古川は、「当社は幾多の難関に遭遇したが、 伝統に輝く丸紅精神は毫も屈する事なく奮闘又猛進、 而も時代を忘れず大局を誤らず、 年と共に発展の一路を辿って、 今や業礎弥堅く社運益隆昌を見るに至った」 と記している。 その2年後に標語として「丸紅精神」が制定された。
「この「丸紅精神」 は、 昭和8年9月14日付けで社内に通達されたが、 同時に店員に対する指導用として「丸紅精神演繹」 が作成され、 これをもとに 「十分補説」 するよう指示されている。 「丸紅精神」が5箇条であることは、初代忠兵衛のいわゆる「遺訓五則」に倣ったのかも知れない。
なお、現在は丸紅精神が冊子形態で残されているが、 一つ書き部分が本来の5箇条であり、それぞれの箇条で文字下げになっている文章が「演繹」にあたるものであった。 -展示説明より-
伊藤忠兵衛の本家のすぐ近くの「くれない園」は、丸紅関係者で結成した酬徳会が初代の功績を偲んで昭和10年に築造したものです。園内には彼の肖像をはめ込んだ碑が建っています。
「くれない園」竣工式典
伊藤 長兵衛は、初代伊藤忠兵衛の実家です。
六代目伊藤 長兵衛(いとう ちょうべえ、1833年 - 1894年)が、初代伊藤忠兵衛の兄です。
【滋賀県関係】
豊郷小学校旧校舎群
五個荘近江商人屋敷 藤井彦四郎邸/東近江市観光Web
観音寺城 /お城めぐりFAN
西教寺禅明坊 光秀館
『井戸村家文書』の刊行
甲賀忍者、尾張藩仕え奮闘記 滋賀の旧家に古文書/中日新聞
伊藤忠兵衛記念館
カムカムエヴリバディの聖地、大城神社
天寧寺(五百羅漢)
龍潭寺(りょうたんじ)
蓮華寺
番場宿(ばんばしゅく)
豊郷小学校旧校舎群へ行ってきました!
伊藤忠兵衛記念館に行ってきました
このブログでの他のシリーズは・・・
ベトナム・ホーチミン みてある記 -1- タイ・バンコク 見てある記-1- シェムリアップみてある記 -1- 香港に来ています 台湾レポート-1- 平成25年度北方四島交流訪問事業 -古釜布湾- さわやか中欧 見てある記 -1- 美濃 見てある記 -1- みちのく三陸海岸 見てある記-1- 滋賀探訪 新城FWに参加しました-1- 碧南FWへ行ってきました -1- 安城へ行ってきました1 -本證寺- 「勝鬘寺と大久保氏ゆかりの上和田城址」(岡崎市)-1- 北陸探訪 -1- 剱神社 近江FW 長久手FWへ行ってきました -1- 遠州FW -1- 小牧FW -1- 末森城周辺FW-1- 「宮宿」-1- 大野城・大草城-1- 「鳴海宿」-1- 富士周辺五名城と諏訪の旅-1- 犬山城周辺 -1- 近江FWⅡ 安祥城周辺-1-
「社楽の会」HP:中国ODAみてある記 韓国研修・その2 ブリスベン