白坂慎太郎先生の哲学入門
第26回は、ヘーゲル 精神現象学 です。
ここから https://www.youtube.com/watch?v=i4Yrz88xWIM
いよいよ巨人ヘーゲルです。
白坂先生は3回でまとめますが、まとめきる自信がありません。とにかく、やってみましょう!
ヘーゲルは、カントの上に立ち、カントを超えています。
まずは、カントを理解できなくてはいけません。
カントは、イギリスやフランスで殺し合いによる市民革命が起きたのに対して、
ドイツで精神の市民革命を起こします。
それがドイツ観念論の始まりで、基本的に理想主義です。
しかし、理想と現実はギャップがあるのはいつの世でも同じ。
カントが「意志の自律」を主張しても、無秩序状態が続きます。
人々の厭世思想も現れました。
ヘーゲルはその時代に生まれたのです。
ヘーゲルの紹介です。
基本的な立位置は歴史</strong>。
歴史から、哲学を組み立てていきます。
人間の自由を精神の歴史からとらえ直そうとしたのです。
すなわち、精神の自由をどれだけ考えても、その時代の影響は逃れられません。
当然です。
ヘーゲルがそこから出発したのは、学問の方法としては王道です。
当時の状況は、絶対王政の間は、自由ではなかったが平和でした。
しかし、フランス革命で自由を手に入れると、今度は恐怖政治、平和でなくなったのです。
ヘーゲルはこうした現実を歴史からとらえ直そうとしたのです。
彼は、汎神論的な立場から世の中を探究します。
汎神論は、神を世界の全てとみます。
キリスト教やユダヤ教は、神は人間の姿をしています。一神教です。
しかし、日本の神道は、いろいろなものに神を考えます。山の神、海の神、樹木にも注連縄を巻きます。
ヘーゲルはこちらです。
それまでは、物心二元論が中心でした。
ヘーゲルはちがいます。一体と考えます。
神の働き「絶対精神」ととらえます。
日本人が自然法則に神を見たのと同じようなイメージです。
その絶対精神が、ものとなって外に現れたのが自然ととらえました。
自然という現象と、その内にある自然法則は切り離して考えることはできません。分かりますね。
精神は、自己否定して外に出ることで、自ら精神であることをあらわすと考えます。
「自己否定」という訳語がわかりにくくさせていますね。
ここでは、「形を変えて(成長の方向に)姿をあらわす」ぐらいにとらえておきましょう。
万有引力という「自然」は、リンゴを木から落とすことによって、万有引力として姿をあらわしたのです。
もう少し深めましょう。
画家の精神は、絵画という形を変えてあらわしたものによって、他者から「画家の精神」として認められるのです。
これを一般化すると・・・
世界の精神は、世の中という現象に形を変えてあらわれる、その積み重ねが歴史なのです。
これを「自由を実現する」という言葉を使っています。
人間に当てはめると・・・
世界の本質(大宇宙の自然法則・環境)が自由(歴史の自然な流れ)で理性的な精神であることを自覚したのが人間の精神。
したがって、民族精神、時代精神、個人の精神は、置かれた環境が異なるために違ってきて当然なのです。
「精神の本質は、自己を反省的に自覚する意識であり、自由を本質とする。」といっています。
ヘーゲルは物心を一体としてとらえました。
そして、歴史は自由の実現過程としてとらえたのです。
ここでいう「自由」は、「発展の方向に自然の流れで」と置き換えてください。
「自由」でないものは、これまでのやり方にしがみつくとでも考えるとわかりやすいと思います。
納得できます。
第26回は、ヘーゲル 精神現象学 です。
ここから https://www.youtube.com/watch?v=i4Yrz88xWIM
いよいよ巨人ヘーゲルです。
白坂先生は3回でまとめますが、まとめきる自信がありません。とにかく、やってみましょう!
ヘーゲルは、カントの上に立ち、カントを超えています。
まずは、カントを理解できなくてはいけません。
カントは、イギリスやフランスで殺し合いによる市民革命が起きたのに対して、
ドイツで精神の市民革命を起こします。
それがドイツ観念論の始まりで、基本的に理想主義です。
しかし、理想と現実はギャップがあるのはいつの世でも同じ。
カントが「意志の自律」を主張しても、無秩序状態が続きます。
人々の厭世思想も現れました。
ヘーゲルはその時代に生まれたのです。
ヘーゲルの紹介です。
基本的な立位置は歴史</strong>。
歴史から、哲学を組み立てていきます。
人間の自由を精神の歴史からとらえ直そうとしたのです。
すなわち、精神の自由をどれだけ考えても、その時代の影響は逃れられません。
当然です。
ヘーゲルがそこから出発したのは、学問の方法としては王道です。
当時の状況は、絶対王政の間は、自由ではなかったが平和でした。
しかし、フランス革命で自由を手に入れると、今度は恐怖政治、平和でなくなったのです。
ヘーゲルはこうした現実を歴史からとらえ直そうとしたのです。
彼は、汎神論的な立場から世の中を探究します。
汎神論は、神を世界の全てとみます。
キリスト教やユダヤ教は、神は人間の姿をしています。一神教です。
しかし、日本の神道は、いろいろなものに神を考えます。山の神、海の神、樹木にも注連縄を巻きます。
ヘーゲルはこちらです。
それまでは、物心二元論が中心でした。
ヘーゲルはちがいます。一体と考えます。
神の働き「絶対精神」ととらえます。
日本人が自然法則に神を見たのと同じようなイメージです。
その絶対精神が、ものとなって外に現れたのが自然ととらえました。
自然という現象と、その内にある自然法則は切り離して考えることはできません。分かりますね。
精神は、自己否定して外に出ることで、自ら精神であることをあらわすと考えます。
「自己否定」という訳語がわかりにくくさせていますね。
ここでは、「形を変えて(成長の方向に)姿をあらわす」ぐらいにとらえておきましょう。
万有引力という「自然」は、リンゴを木から落とすことによって、万有引力として姿をあらわしたのです。
もう少し深めましょう。
画家の精神は、絵画という形を変えてあらわしたものによって、他者から「画家の精神」として認められるのです。
これを一般化すると・・・
世界の精神は、世の中という現象に形を変えてあらわれる、その積み重ねが歴史なのです。
これを「自由を実現する」という言葉を使っています。
人間に当てはめると・・・
世界の本質(大宇宙の自然法則・環境)が自由(歴史の自然な流れ)で理性的な精神であることを自覚したのが人間の精神。
したがって、民族精神、時代精神、個人の精神は、置かれた環境が異なるために違ってきて当然なのです。
「精神の本質は、自己を反省的に自覚する意識であり、自由を本質とする。」といっています。
ヘーゲルは物心を一体としてとらえました。
そして、歴史は自由の実現過程としてとらえたのです。
ここでいう「自由」は、「発展の方向に自然の流れで」と置き換えてください。
「自由」でないものは、これまでのやり方にしがみつくとでも考えるとわかりやすいと思います。
納得できます。