あなたも社楽人!

社楽の会の運営者によるブログです。社会科に関する情報などを発信します。

加納城・加納宿-2-

2025-03-03 07:25:31 | 取材・旅行

加納城・加納宿-2-

2025年3月1日(土)、愛知ウォーキング城巡りクラブ(AWC) 「美濃 加納城址と中山道加納宿巡り」へ行ってきました。 講師は、七種英康先生です。その様子を、6回にわたって紹介しています。今日はその第2回。

今回訪問したところです。

今日は、加納天満宮

説明を読んでみましょう。

わかりやすい説明です。

 

拝殿です。

こちらが本殿。

かかわっている学生の学力向上を祈願しました。

受験生でしょうか・・・・。気持ちはわかります。

天満宮と言えば牛ですね。

1945年(昭和20年)7月9日は岐阜空襲の日です。

天満宮と言えば、もう一つは梅です。

まだ咲いていないようです。

ちなみに、昨日(3月2日)の我が家の梅です。


合祀神と境内社

  • 八幡神社 応神天皇、慶長13年奥平信昌の正室亀姫により勧請 明治42年水野町より天満宮に合祀された
  • 春日神社 天児屋根命(あめのこやねのみこと)、沓井町より合祀された
  • 出雲神社 大国主命(おおくにぬしのみこと)、天保4年 永井肥前守尚佐加納城に勧請 明治42年天満宮に合祀された
  • 神明神社 天照大御神(あまてらすおおみかみ)
  • 市神神社 大市姫命(おおいちひめのみこと)
  • 白太夫神社 渡会晴彦
  • 福寿稲荷神社 宇賀御魂神(うかのみたまのかみ)
  • 御鍬神社 豊受大神(とようけのおおかみ)
  • 津島神社 素佐之男尊(すさのおのみこと)
  • 事代主神社 事代主命(ことしろぬしのみこと)
  • 老松神社 島田忠臣
  • 紅梅神社 五十川能福

津島神社


福寿稲荷神社

 


山車(鞍馬車)収蔵庫です。

収蔵庫の全景です。

説明を見てみましょう。

文字起こししてみましょう。


加納天満宮の山車は、能「鞍馬天狗」に登場する、大天狗、牛若丸、小天狗のからく 形が搭載されていることにち なんで、「鞍馬車(くらましゃ)」と呼ばれています。
総高498.5㎝、屋根を大唐破風造(おおからはふづくり)とした三層構造で、二層目の高欄の長さが正面205.5㎝、側面(奥行)が323.5あります。この高欄は、後方へ向かって曲線でせり上がる珍しい造りをしています。また、上層の天井には、華やかな色彩の鳳凰が描かれているほか、各層には蟹、蝙蝠(こうもり)、雀、鳩や梅、菊、牡丹などの動植物の彫刻が施されています。これらの造りや装飾が、 この山車に変化と美しさをもたらしています。
この山車は、濃尾震災(明治二十四年(1891))で焼失したものを、明治三十五年(1902)ごろに、長野県諏訪の名工、立川流の手によって再建されたといわれ、ほぼ同時期に三体のからくり人形も作られています。


動画を見てみましょう。

加納天満宮 天神まつり 2024年10月26日

2022 加納天満宮 からくり奉納

訪問した翌日が初午祭。

白梅がちらほら咲き始めていました。

 


中山道を歩きます。

西の空には、伊吹山地が見えます。

民家のわきに脇本陣跡の碑がありました。

建物は空襲で焼失したのでしょう。

排水口です。なぜ「井」

わかりますか?

実は、「岐阜」の名をつけたのは信長。(異説あり)

岐阜の前の名前は「井の口(いのくち)」

その「井」なのです。


中山道加納宿西問屋跡

問屋場は宿場間での輸送の中継地。宿場には必ずありました。


中山道加納宿本陣跡・皇女和宮御仮泊所跡

本陣跡の碑です。

本陣(ほんじん)とは、 江戸時代以降の宿場で、大名や旗本、幕府役人、勅使、宮、門跡などの宿泊所として指定された家のことです。
 原則として一般の者を泊めることはできません(実際にはあったようです)。そのため「宿屋の一種」とはいえません(が、それでは経営が成り立ちませんね)。

脇本陣は、本陣の予備 兼 一般宿を兼ねていました。

「ふるさと岐阜の歴史をさぐる」No.19では次のように書かれています。


7.宿泊地・加納宿では…


加納宿本陣跡

 そしてその日の夕方、加納宿の本陣・松波藤右衛門の宿に着きました。現在の本陣跡には、「皇女和宮御仮宿泊所」、「中山道加納宿本陣跡」の石碑が建っています。「遠ざかる 都としれば 旅衣 一夜の宿も たちうかりけれ」という和歌が石碑に刻まれています。
 
 加納宿で宿泊したのは、和宮の行列では本陣に88人、その他の宿舎に1617人にもなりました。そのうえ、前々日には、菊亭中納言など394人、前日には広橋一位など365人が脇本陣などに宿泊しました。さらに、翌日にも坊城中納言など282人が泊りました。 この他に助郷人足など延べ16212人、馬825疋にその他の人足も必要でした。これらの人馬賃銭が12730両余りで、総額は15000両以上の経費がかかりました。

 和宮の本陣での夕食時の献立は一汁四菜で、膾(なます)(鰈(かれい).・みぞれ大根・二はい酢)、汁〈赤みそ・蕪(かぶら)小才〉、香の物(奈良漬瓜・沢庵 大根)平(牡丹海老・生ゆば・百合根)、焼き物(生ぶり付け焼き)、飯というもので50人分用意されました。その他に一汁三菜、一汁二菜の献立が350人分出されました。

 和宮の行列の御輿が通過する際には、庶民は見物をすることを禁止されました。
「男は目にふれる所に出てはいけない。女は戸口から下がって平伏して見送ること」などが命ぜられ、勿論声高で話をすることなどできませんでした。また鳴り物・工事・木割・米搗きなど、騒音は前後七日間に渡って禁止されました。さらに「犬は必ず繋いでおくこと」、「道筋の高い所へ重い物を置いたり、釣棚をつけたりしないこと」、「簾を取り外すこと」、「道筋の便所を取り外すか、囲いをつけること」、「家ごとに夜は行燈を出すこと」など、街道筋への命令をしています。その他に、「葬送を出さないこと」、「寺社に集らないこと」、「目にふれる所での田畑で耕作しないこと」なども命ぜられました。


 皇女和宮の歌碑

 仁孝天皇の皇女、和宮親子内親王は将軍家茂との結婚のため、文久元年(1861)十月二十日京都桂御所を御出発、中山道を通行して江戸に向かわれた。
 同年十月二十六日当地加納宿本陣の松波藤右衛門宅(現在地)に宿泊された。その時、自分の心情を詠まれたという歌が伝えられている。

「遠ざかる 都としれば 旅衣 一夜の宿も たちうかりけれ」

文字起こししてみます。


皇女和宮の歌碑

 仁孝天皇の皇女 和宮親子(ちかこ)内親王は将軍徳川家茂(いえもち)との結婚のため、文久元年(一八六一)十月二十日 京都桂御所を御出発、中山道を通行して江戸に向かわれた。
 同年十月二十六日 当地加納宿本陣の松波藤右衛門宅 (現在地)に宿泊された。その時、自分の心情を詠まれたという歌が伝えられている。

   「遠ざかる 一夜の宿も 都としれば旅衣 立うかりけれ」

 この歌は「宮内庁書陵部所蔵の静寛院宮御詠草」に収められており和宮の直筆である。
 本年は中山道宿駅制度が設置されて四百年記念に当り、幕末の日本の国難を救ったと言われる 公武合体(こうぶがったい)のため、結婚された和宮の遺徳を偲んで、本歌碑を建立する。


和宮は多くの歌碑を残しています。

詳しくは次のサイトをご覧ください。

ここから https://gifurekisi.web.fc2.com/rekisi/no19..htm

動画を紹介します。

皇女和宮降嫁旅をたどる 中山道(京~江戸)

 


中山道 加納宿

この辺りが加納宿の中心だったのでしょう。

広重 の東海道五十三次「加納宿」をみることができます。

こうした施設は、郷土を愛する心を育みますね。


加納宿当分本陣跡石碑

Q この「当分」とはどういう意味でしょう?

当分本陣とは当分の間本陣として定めらていた臨時の本陣、江戸時
代に参勤交代の時、大名が宿泊しました。

 


動画です。

中山道69次53番加納宿のそこそこ史跡を追跡してみた

中山道の加納宿に行って史跡を江戸方から1個ずつ追いかけてみました。 見切れていないところはほぼないような感じで行けました。 ブログも良かったら御覧ください。 https://nakasendo-69th-station.com/53...

00:00 六軒一里塚跡

00:15 百十郎桜

01:17 新加納一里塚跡

01:50 新加納村高札場跡

02:26 今尾家住宅 薬医門

03:08 手力雄神社 二の鳥居と木曽路道標

03:58 切通

04:45 通陣屋跡

05:35 細畑一里塚

06:19 蔵堂道標と追分

06:58 鏡岩の碑 東海道伊勢道の碑

08:16 東番所跡

09:35 問屋熊田家跡 御鮨街道標識

10:07 道標 枡形道

10:21 加納城大手門跡

12:40 当分本陣跡

13:37 本陣跡・皇女和宮御仮泊所跡

14:44 脇本陣森家跡

15:17 小林家脇本陣跡

15:36 西番所趾

16:05 松原一里塚場所不明

17:19  加納城跡

20:22 加納城南大手門跡

20:48 加納藩家中屋敷跡

21:44 織田信長寄進梵鐘


明日第3回に続きます。明日は二文字屋、加納宿まちづくり文化交流センターです。

加納城・加納宿-1- -2- -3- -4- -5- -6-


このブログでの他のシリーズは・・・

ベトナム・ホーチミン みてある記 -1-  タイ・バンコク 見てある記-1-  シェムリアップみてある記 -1-  香港に来ています  台湾レポート-1-  平成25年度北方四島交流訪問事業 -古釜布湾-  職場旅行(1) 京都ぶらり-1- なごや探索 出雲 函館 京都散策  さわやか中欧 見てある記 -1-   美濃 見てある記 -1-  東京散策 みちのく三陸海岸 見てある記-1- 滋賀探訪 新城FWに参加しました-1- 碧南FWへ行ってきました -1- 安城へ行ってきました1 -本證寺- 「勝鬘寺と大久保氏ゆかりの上和田城址」(岡崎市)-1- 北陸探訪 -1- 剱神社 近江FW  長久手FWへ行ってきました -1- 遠州FW -1- 小牧FW -1- 末森城周辺FW-1- 「宮宿」-1- 大野城・大草城-1- 「鳴海宿」-1- 富士周辺五名城と諏訪の旅-1-  犬山城周辺 -1- 近江FWⅡ 安祥城周辺-1- 「有松宿」-1- 堀川七橋めぐり-1- 松平郷周辺FW -1- 桑名城 -1- 「池鯉鮒宿」-1- 名古屋城-1- 「岡崎宿」-1- 東美濃FW -1- 刈谷小牧羽柴軍陣跡 -1-近江FWⅢ-1-三河山中城-1-小口城周辺史跡-1-安芸の秋-1-美濃路・清州宿-1- 中村公園-1- 美濃路・稲葉宿-1- 加納城・加納宿-1-

社楽の会」HP:中国ODAみてある記 韓国研修その2 ブリスベン

 

 


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。