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哲学入門24 カント 道徳法則

2019-02-11 05:23:09 | 哲学の窓
白坂慎太郎先生の哲学入門

第24回は、カント 道徳法則 です。
 ここから https://www.youtube.com/watch?v=2s81I1lMVYM




イギリスやフランスで殺し合いによる市民革命が起こった後に、
ドイツでは、精神界における市民革命が起こりました。
一人がカント、一人がヘーゲルです。

カントは、コペルニクス的転回として、「対象が認識に従う」としました。

経験論は目で見た観察結果を重視、合理論は理性からの推測を重視しました。

カントは、そもそも、元になっている認識そのものがあやしいとしました。
あやしいものを使って観察しても認識しても限界があるのです。
確かにそうですね。
私たち人間は、見えるもの、聞こえるもの、分かる匂い等、実際のごく一部です。

従って、カントは物自体は認識の対象とはならないとしました。

また、人間の理性は、経験によるもの以外は知り得ません。

そこで、


頭の中で考えるよりも、実践によって探究しようと考えました。

神や霊魂は、自発的意思決定のもので、真理とは切り離すべきであるとしました。

その通りです。
そう考えれば、いろいろな宗教が成り立ちます。
スッキリします。
ましてや、宗教によって対立するなど、ばからしいとも思えてきます。


また、科学と道徳は二律背反(矛盾)するとしました。

道徳:自由意思を尊重する

科学:因果必然性を解明しようとする


自由であるなら必然性は成り立たないし、必然性があるのなら自由はあり得ない。確かにそうだ。矛盾します。

カントは、現象レベルでは自由があるが、物自体では必然性を追究できるとしました。

すなわち、


例えば・・・
個人レベルでは自由が大きい。
しかし、抽象度を上げれば上げるほど、自由度が下がります。

例えば、個人レベルでは寿命はバラバラです。10代でなくなる人もいれば、100歳まで生きる人もいます。
しかし、「日本人男性」、「日本人女性」となると、80何歳と、かなり限定されます。
偶然性が減り、必然性が高まるわけです。

(※ 科学は、必然性、原因と結果を追究しますが、現代の科学では、どこまで行っても偶然性が入り込むことが分かっています。
カントは300年前の人なので、現代科学とはズレがあるのは仕方がありません。)

カントは2つの自由があるとしました。

外的な自由:外からの束縛を受けない
内的な自由:自分の意志を自発的に決定できる


ただ、欲求に従って行動することは、本能に従い自発性がないので、むしろ自由ではないとしました。

人は、本来自然界に属するので、快を求め、苦を避け、その意味では自由ではありません。

しかし、例えば「偽証せよ」と言われた場合、するにしても、しないにしても、良心の呵責に悩まされます。
それは、そうしないことができる自由があるということを自覚できるからです。

そこで


自由を「道徳法則にしたがおう」とする意思とし、内面化しました。

そこで


自由を自立へと内面化したのです。

カントは、外的自由は束縛等があり不可能だが、内的自由は自律すればよいので可能であるとしました。
これはよく分かります。

カントは、実践理性、特に道徳的に実践しながら真理を追究しました。

次回にその名言を取り上げます。

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