今日もテーマは分かれそうです。
朝日新聞
・ 核ごみ説明会 議論深める場へ見直せ
・ 被告の高齢化 認知症の増加に備えを
読売新聞
・ 自民合区解消案 参院の役割も同時に議論せよ(2017年11月26日)
・ 寺院の拝観料 負担を共有して文化財保護に(2017年11月26日)
毎日新聞
・ 危機の社会保障 迫る超高齢化 長期展望を欠く政治の罪
・ 野党の国会質問を大幅削減 慣行を踏みにじる行為だ
日本経済新聞
・ 「アンドロイド」の成功に学ぶ
・ 補助金のバラマキで生産性は上がらぬ
産経新聞
・ 日欧EPA対策 競争力高める改革を促せ
・ 米国の慰安婦像 歴史戦の構図に目向けよ
中日新聞
・ あいまいな日本の私たち 週のはじめに考える
※ 分かれましたね。
毎日です。
「議院内閣制において、行政府と一体になって立法作業に取り組む与党と、国会審議を通じて行政府をチェックする野党の役割はおのずから異なる。与党議員も国会で質問しなければ責任を果たせないかのような首相の主張は、国会の長年の慣行を踏みにじって良い理由にはならない。」
朝日も「国会は行政のチェック機関」だから、野党の時間を減らすことに反対していました。
左派系新聞の立場は理解できます。
しかし、国会はあくまでも「立法機関」なのです。
日本国憲法 第41条
国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。
与党の質問は、そのほとんどが立法に関するものです。
しかし、以前調べたときには、野党の質問は、立法には無関係のものがかなり含まれていました。
今でも同じようなものです。いや、今はその時以上でしょう。
揚げ足取りしかできない野党なら、質問時間は減らしてもやむを得ないでしょう。
本来の役割にも戻りましょう。
産経です。
「米サンフランシスコ市のリー市長が、中国系などの民間団体によって市内に設置された慰安婦像の寄贈を受け入れた。
史実をねじ曲げて日本を非難する慰安婦像を公共物にした。反日宣伝に加担するに等しい行為は容認できない。直ちに撤回してほしい。」
全くその通り。
黙っていてはいけません。
中日は、社説ではなくコラムです。
「「不寛容社会」と言いますが、確かに当今、何かと明確化、厳格さを求める空気が強まっている気がします。でも、曖昧って悪いことばかりでしょうか?
曖昧とは、辞書によれば、はっきりしないこと、まぎらわしく、確かでないこと。良い方向のニュアンスはないですね。
見出しは、無論、大江健三郎さんの「あいまいな日本の私」を借りたものですが、あのノーベル文学賞受賞記念講演も、アジアでありつつアジアに背を向けたわが国近代を自省する「あいまい」であり、やはり多く、負の意味でとらえられるようです。」
この後どんな展開になるのでしょう?
ぜひお読みください。
朝日新聞
・ 核ごみ説明会 議論深める場へ見直せ
・ 被告の高齢化 認知症の増加に備えを
読売新聞
・ 自民合区解消案 参院の役割も同時に議論せよ(2017年11月26日)
・ 寺院の拝観料 負担を共有して文化財保護に(2017年11月26日)
毎日新聞
・ 危機の社会保障 迫る超高齢化 長期展望を欠く政治の罪
・ 野党の国会質問を大幅削減 慣行を踏みにじる行為だ
日本経済新聞
・ 「アンドロイド」の成功に学ぶ
・ 補助金のバラマキで生産性は上がらぬ
産経新聞
・ 日欧EPA対策 競争力高める改革を促せ
・ 米国の慰安婦像 歴史戦の構図に目向けよ
中日新聞
・ あいまいな日本の私たち 週のはじめに考える
※ 分かれましたね。
毎日です。
「議院内閣制において、行政府と一体になって立法作業に取り組む与党と、国会審議を通じて行政府をチェックする野党の役割はおのずから異なる。与党議員も国会で質問しなければ責任を果たせないかのような首相の主張は、国会の長年の慣行を踏みにじって良い理由にはならない。」
朝日も「国会は行政のチェック機関」だから、野党の時間を減らすことに反対していました。
左派系新聞の立場は理解できます。
しかし、国会はあくまでも「立法機関」なのです。
日本国憲法 第41条
国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。
与党の質問は、そのほとんどが立法に関するものです。
しかし、以前調べたときには、野党の質問は、立法には無関係のものがかなり含まれていました。
今でも同じようなものです。いや、今はその時以上でしょう。
揚げ足取りしかできない野党なら、質問時間は減らしてもやむを得ないでしょう。
本来の役割にも戻りましょう。
産経です。
「米サンフランシスコ市のリー市長が、中国系などの民間団体によって市内に設置された慰安婦像の寄贈を受け入れた。
史実をねじ曲げて日本を非難する慰安婦像を公共物にした。反日宣伝に加担するに等しい行為は容認できない。直ちに撤回してほしい。」
全くその通り。
黙っていてはいけません。
中日は、社説ではなくコラムです。
「「不寛容社会」と言いますが、確かに当今、何かと明確化、厳格さを求める空気が強まっている気がします。でも、曖昧って悪いことばかりでしょうか?
曖昧とは、辞書によれば、はっきりしないこと、まぎらわしく、確かでないこと。良い方向のニュアンスはないですね。
見出しは、無論、大江健三郎さんの「あいまいな日本の私」を借りたものですが、あのノーベル文学賞受賞記念講演も、アジアでありつつアジアに背を向けたわが国近代を自省する「あいまい」であり、やはり多く、負の意味でとらえられるようです。」
この後どんな展開になるのでしょう?
ぜひお読みください。