2024年1月13日(土)、栄中日文化センター主催、「歩いて巡る愛知の古城と史跡」(2024年1~3月)「尾張 末森城と周辺史跡」へ行ってきました。
その様子を、数回にわたって紹介します。
今回の訪問地です。
今日は、⑤ 日泰寺 です。
空から見てみましょう。
覚王山日泰寺は、特別の寺院です。
超宗派なのです。
なぜか?
タイ王国から仏舎利(釈迦の遺骨)が寄贈されることになり、そのために創建された、いわば政治的な寺院なのです。
「覚王」とは、釈迦の別名で、「日泰」とは日本とタイ王国を表しています。
一般に、三重塔や五重塔は、その心柱の下に仏舎利が納められています。
それが、日本中になります。
釈迦の遺骨はそんなにあるの?
もちろんそれは無理でしょう。
しかし、日泰寺の仏舎利は、真正であるという考古学的な裏付けがされているのです。
インドで真正とされる仏舎利が発掘され、タイ王国を経由して、その一部が日本へと譲られることになったのです。
Wikipediaより引用します。
起源と歴史
1898年(明治31年) - 仏教開祖釈迦(ゴータマ・シッダルータ)の遺骨、真身舎利が発見される。インドのピプラーワー(英語版)村(仏陀の生まれたカピラヴァストゥの跡という説がある)において、イギリス人ウイリアム・C・ペッペによって水晶製の舎利容器が発掘され、古代文字の解読の結果判明。
1899年(明治32年) - 舎利が、英国からシャム国(現在のタイ王国)へ譲渡される。
1900年(明治33年) - 舎利が、シャム国国王ラマ五世(ラーマ5世)から日本国民へ贈られた。
1904年(明治37年) - 舎利と黄金の釈迦像を奉安するため、覚王山日暹寺(にっせんじ)として創建。
1914年(大正3年) - 伽藍を整備。
1949年(昭和24年) - シャム国のタイ王国への改名に合わせて日泰寺に改名。
実際には、日本仏教界内では安置場所を巡るの激しい争いがあり、当時は日本国内で大きな話題となりました。
本堂です。
五重塔です。
山門です。
境内図です。奉安塔は東上にあります。
本堂から南側を見た様子です。
ちょうど、読経が始まりました。
日泰寺の周囲を歩くと・・・・・
多くの石仏が祀られています。四国八十八か所巡りの代わりになるそうです。
多くの宗派が見られます。
七福神まで・・・・
北側から見た僧堂です。
動画をご覧ください。
次回は、最終回 日泰寺-2-です。
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