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末森城周辺FW-6-

2024-01-20 07:20:14 | 取材・旅行

2024年1月13日(土)、栄中日文化センター主催、「歩いて巡る愛知の古城と史跡」(2024年1~3月)「尾張 末森城と周辺史跡」へ行ってきました。

その様子を、数回にわたって紹介します。

今回の訪問地です。

今日は、⑤ 日泰寺 です。

空から見てみましょう。

覚王山日泰寺は、特別の寺院です。

超宗派なのです。

なぜか?

タイ王国から仏舎利(釈迦の遺骨)が寄贈されることになり、そのために創建された、いわば政治的な寺院なのです。

「覚王」とは、釈迦の別名で、「日泰」とは日本とタイ王国を表しています。

 

一般に、三重塔や五重塔は、その心柱の下に仏舎利が納められています。

それが、日本中になります。

釈迦の遺骨はそんなにあるの?

もちろんそれは無理でしょう。

 

しかし、日泰寺の仏舎利は、真正であるという考古学的な裏付けがされているのです。

インドで真正とされる仏舎利が発掘され、タイ王国を経由して、その一部が日本へと譲られることになったのです。

Wikipediaより引用します。


起源と歴史

1898年(明治31年) - 仏教開祖釈迦(ゴータマ・シッダルータ)の遺骨、真身舎利が発見される。インドのピプラーワー(英語版)村(仏陀の生まれたカピラヴァストゥの跡という説がある)において、イギリス人ウイリアム・C・ペッペによって水晶製の舎利容器が発掘され、古代文字の解読の結果判明。
1899年(明治32年) - 舎利が、英国からシャム国(現在のタイ王国)へ譲渡される。
1900年(明治33年) - 舎利が、シャム国国王ラマ五世(ラーマ5世)から日本国民へ贈られた。
1904年(明治37年) - 舎利と黄金の釈迦像を奉安するため、覚王山日暹寺(にっせんじ)として創建。
1914年(大正3年) - 伽藍を整備。
1949年(昭和24年) - シャム国のタイ王国への改名に合わせて日泰寺に改名。


実際には、日本仏教界内では安置場所を巡るの激しい争いがあり、当時は日本国内で大きな話題となりました。

本堂です。

五重塔です。

山門です。

境内図です。奉安塔は東上にあります。

本堂から南側を見た様子です。

ちょうど、読経が始まりました。

日泰寺の周囲を歩くと・・・・・

多くの石仏が祀られています。四国八十八か所巡りの代わりになるそうです。

多くの宗派が見られます。

七福神まで・・・・

北側から見た僧堂です。

動画をご覧ください。

 

次回は、最終回 日泰寺-2-です。



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