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六師外道【インド哲学】【沙門の思想】

2021-09-22 06:10:54 | 哲学の窓

哲学チャンネルより 六師外道【インド哲学】【沙門の思想】を紹介します。

ここから https://www.youtube.com/watch?v=Eusrb8UCpdM

 

 
 
インド哲学の始まり【ヴェーダ〜ウパニシャッド】【インド哲学解説】 https://youtu.be/ZFhM3bnWI00
 
ウパニシャッド哲学【インド哲学解説】 https://youtu.be/JChzdoXiyoQ
 
ヴァイシェーシカ学派【インド哲学解説】 https://youtu.be/i_GX0qVq6rc
 
ニヤーヤ学派【インド哲学解説】 https://youtu.be/r572XrejVq0
 
サーンキヤ学派【インド哲学解説】 https://youtu.be/61TwcvOe660 ヨーガ学派【インド哲学解説】 https://youtu.be/MW8fHuUq-Xs ヴェーダーンタ学派【インド哲学解説】 https://youtu.be/AzDLJILjTMQ ジャイナ教【インド哲学解説】【六師外道】 https://youtu.be/YyhdGUOKBMA 原始仏教【インド哲学解説】 https://youtu.be/0NKsFFNIbMI
 
動画の書き起こし版です。
古代インドにおいては、バラモン教の影響が絶大でした。 主たる産業が農耕だった間は特にそうで、 自然をコントロールできると考えられていたバラモン教、 そしてその司祭階級であるバラモンはカーストの最上位として 強力な力を持っていたのです。 しかし、国家が発達し、商業や軍事力が目覚しく発展をすると カースト次点のクシャトリヤ(王族)やヴァイシャ(商業民)が 力を持つようになります。 相対的にバラモンの力は弱まり、その思想に反する思想が盛り上がりを見せます。 その際に現れた反バラモン的な自由思想家たちを沙門と総称します。 この運動の中から仏教やジャイナ教が生まれ、 当然釈迦も沙門の一人に数えられます。 沙門の中でも初期の代表的な思想家たちを【六師外道】と呼びます。 紀元前6世紀ごろのインドにあったコーサラ国の王であるプラセーナジットは 六師外道を年長者、釈迦を年少者と呼びました。 このことから、六師外道の自由な思想をきっかけにして 仏教の誕生につながっていったと考えることもできるでしょう。 六師外道の一人【プラーナ・カッサパ】は 行為の善悪否定論を唱えます。 行為には善悪などなく、善悪がないのだから それが何かの因果関係をもたらすことはない。 このように因果応報を批判することで 因果応報に支えられているカースト制度を否定しました。 【マッカリ・ゴーサーラ】は宿命論を主張します。 彼は【アージーヴィカ教】という修行も解脱も否定した宗教の始祖です。 インドに現存する最古の文字資料であるアショーカ王碑文には 仏教、ジャイナ教、バラモン教と並んでアージーヴィカの名前が記されています。 彼は、万物は細部に至るまで宇宙を支配する宿命によって定められていると考えます。 輪廻も宿命的に決まっていて、8400000劫(カルパ)もの長い間 誰しもが輪廻し続ける運命であると言いました。 劫(カルパ)の長さについては国により諸説ありますが、 ヒンドゥー教においてはおおよそ43億年だとされます。 仏教の書物では一辺2000kmの岩を100年に1度布でなで、 岩がすり減って完全になくなっても劫に満たないとされています。 つまり、それだけの長い間輪廻を繰り返すことはすでに決まっており、 行為にその宿命を変えるだけの力はないと言うんですね。 まさに業の否定です。 【アジタ・ケーサカンバリン】は唯物論者です。 彼は西洋で言うエピクロス教団のような快楽主義的な集団を作りました。 これを【ローカーヤタ】または【順世派】と呼びます。 彼は四要素説を唱え、人は地・火・水・風の要素で構成されている物質で 死ねばその四要素に還るだけだと考えました。 だから、生きているうちに楽しんだ方が良い。 「生きているうちはギー(バターを溶かしたもの)を飲むべきだ。 なぜなら死んだら何も残らないからだ」 という言葉も残しています。 一方で人生が苦しみだということは認めており、 それを『魚を貰えば骨がついてくるでしょ』と表現しています。 このような反宗教的な考え方は、危険思想として攻撃対象になりました。 とはいえ、紀元前3世紀ごろにはサーンキヤ・ヨーガと並んで 主要な思想だったとされています。 【パクダ・カッチャーナ】は七要素説を唱えます。 世界は地・火・水・風・楽・苦・生命で構成されていると考え これらの各要素は何かを作るものでも作られるものでもなく 普遍不動で互いに影響することもないとしました。 つまり、この世界は七要素だけが存在しているのであり その他の存在はあり得ないとしたのです。 だから、例えば誰かの首を剣で落としたとしても それは命が奪われたわけではなく、 ただ七要素の間に隙間ができただけだと考えます。 非常に実在論的な思想だと言えるでしょう。 【サンジャヤ】は不可知論を唱えます。 不可知論とは真理をあるがままに認識し説明するのは不可能であるとする思想です。 形而上学的な問題には回答することを放棄し、判断停止(エポケー)します。 仏教に伝わる『沙門果経』には彼の言葉が紹介されています。 「もしもあなたが「あの世はあるか」と問うた場合、 わたしが「あの世はある」と考えたならば、 「あの世はある」とあなたに答えるでしょう。 しかしながら、わたしはそうしない。 わたしはその通りだとも考えないし、それとは異なるとも考えないし、 そうでないとも考えないし、そうでないのではないとも考えない。」 この思想は仏教に大きく影響を与えます。 仏教には【無記】という表現があります。 これは釈迦が形而上学的な問いに対して回答を避けたことを表す言葉ですが まさにその思想の先駆けと言えるでしょう。 事実、釈迦の弟子であった【シャーリプトラ(舎利弗)】や 【モッガッラーナ(目連)】は元々サンジャヤの弟子であったとされています。 それぞれバリエーションに富んだ思想展開をしていますが それらは全て、ヴェーダの権威に対する議論から始まりました。 この運動はのちに大きく発展し、仏教へと結びついていくのです。 次回は六師外道の最後の一人 ジャイナ教の開祖である【ニガンタ・ナータプッタ(マハーヴィーラ)】 について解説します。

 


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