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週刊 日本の100人 第84号 藤原道長

2019-10-03 04:59:45 | 歴史関連情報
週刊日本の100人 藤原 道長

シリーズ第84号は藤原道長です。



 藤原氏全盛期といえば、藤原道長の頃です。
 運を味方につけ、ライバルを失脚させ、娘を天皇の后にし栄華を築きました。

 ご存じ、道長は、平安中期の公卿で、藤原氏全盛期の人です。
 摂政兼家の五男で、母は摂津守藤原中正の女時姫。
 986年(寛和2)一条天皇が即位し、父兼家が摂政となると、翌年から一気に昇進し、991年(正暦2)には権大納言に任ぜられました。
 995年(長徳1)疫病が流行し、兄の関白道隆・道兼が相ついで病死したため、その後継をめぐって、8歳年下の道隆の三男伊周と激しく争いました。このあたりは『大鏡』に詳しく描かれています。
 道長の姉で、天皇の生母である東三条院詮子の強力な後援によりこの争いに勝ち、内覧の宣旨をたまわり、右大臣に昇り、翌年左大臣に進みました。伊周は、色恋沙汰で自滅してしまいます。
 三条天皇の5年間は苦労しましたが、その後は、娘の子が天皇になっていきました。
 有名な歌がこれ。

 此の世をば我が世とぞ思ふ 望月のかけたる事も無しと思へば(威子が中宮になったときの歌)

 1018年のことです。
 意外にも、道長の摂政の時期は短く、関白にはなっていません。 

 その後は出家し、極楽浄土を願いながら亡くなりました。

■特集
 藤原道長
  男は妻からなり、いとやむごとなきあたりに参りぬべきなめり

■ライフ&タイム
 摂関期の隆盛を極めた貴公子の61年
  北家のルーキー朝廷デビュー/宮中工作に着手
  目指すは貴族政治の頂点/朝廷内の葛藤に立ち向かう
  出家の日々と来世への旅立ち

■ヒューマンエピソード
 運と度胸を兼ね備えた血気盛んな野心家

■クローズアップ
 宮廷文学の最高峰 『源氏物語』誕生の舞台裏

■人物スクランブル
 藤原道長 人物相関図
  藤原行成/安倍晴明/清少納言/藤原実資

■後世への遺産
 葵祭、王朝文学……絢爛たる平安文化の余韻

■評伝アラカルト
 藤原道長考
  丸谷才一/赤木志津子/中村真一郎
  藤本義一/鳥越 碧/永井路子

■ビジュアル人物事典
 堀部安兵衛/本阿弥光悦/本田宗一郎/本多忠勝
 本多正純/本多正信/前島 密/前田慶次

■日本の100人ミュージアム

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