2025年2月9日(日)、愛知ウォーキング城巡りクラブ(AWC) 「美濃路・稲葉宿」へ行ってきました。 講師は、七種英康先生です。その様子を、7回にわたって紹介しています。今日はその6回目
今回訪問したところです。
今回は稲葉宿Ⅰです。
国府宮神社一の鳥居から稲葉宿本陣跡を通り、西へ抜けるまでのルートを概観してみましょう。
ここで気になるのは、稲沢市の中心はどこ?という疑問です。FeloAIに質問してみました。
稲沢市の中心といえば、主にJR稲沢駅と国府宮駅周辺が挙げられます。これらのエリアは、商業活動や交通の要所として重要な役割を果たしています。
1. JR稲沢駅周辺
JR稲沢駅は、名古屋市へのアクセスが良好で、特に通勤や通学に利用される重要な駅です。駅周辺には、ショッピングセンターや飲食店が多く立ち並び、地域の商業の中心地となっています。近年、駅前の再開発が進められ、新たな商業施設も増加しています。
2. 国府宮駅周辺
国府宮駅もまた、名古屋市へのアクセスが便利で、特急列車も停車します。このエリアは、国府宮神社が近くにあり、観光客や地元住民が訪れる場所として賑わっています。国府宮駅周辺には、飲食店や小売店が多く、地域の文化やイベントも盛んです。
これらの駅周辺は、稲沢市の商業、文化、交通の中心として機能しており、地域の発展に寄与しています。特に、JR稲沢駅は市の中心的な役割を果たしており、商業施設や公共サービスが集まるエリアとして重要です。
国府宮周辺は、かつて、尾張の国府が置かれた場所です。
また、2つの駅を繋ぐ「イチョウ通り」が賑わっていることは分かるのですが、稲沢市役所は市街地の西の外れ。
建物の密度は、稲葉宿本陣跡を中心としたあたりが多く、環状道路もあります。
この疑問を心にとめながら、はだか祭前日の美濃路を歩いてみます。
灯籠は倒れないようにガードされています。
何と、文化一三年(1816年)の文字が見えます。
途中の民家には・・・・
美濃路が描かれています。
曙橋です。かつては、美濃路にかかる橋でした。
大江川(大江用水)です。私の家の近く、宮田用水の宮田西閘門から分水しています。
大江川の開削に力を注いだ 「大江匡衡」については前回紹介しました。
遊歩道がつけられています。
江戸時代末期(緑は江戸時代に整備・開削された河川・用水)の様子。
二之枝川中流部と新般若用水から接続する用水路が大江川に加わります。
周辺の案内図があります。いいですね。
美濃路を北上します。
看板が見えました。
小沢一里塚跡を示す看板です。
ここから細くなり、いかにも街道になります。
商店街らしい光景が表れました。
そこに、美濃路稲葉宿本陣跡があるのです。
しっかり整備されていますが、中の資料館は平日のみの開館でした。
掲示物を紹介します。
拡大してみましょう。
一部を拡大してみます。
説明です。
文字起こししてみましょう。
美濃路とは
美濃路は、 中山道の垂井宿 (岐阜県垂井町)から東海道の宮宿(名古屋市)を結ぶ全長14里24町15間 (約57.5km) の街道です。
中山道の垂井宿からはじまり、途中には、大垣宿 (岐阜県大垣市)、 墨俣宿 (岐阜県大垣市)、 起宿 (一宮市)、 萩原宿(一宮市)、 稲葉宿 (稲沢市)、清須宿(清須市)、
名古屋宿 (名古屋市) の七宿があり、 東海道の宮宿に合流します。 また現在の岐阜県羽島市には、 間の宿も置かれました。
慶長5年(1600) 関ヶ原の合戦のとき、福島正則が先鋒として進撃し勝利後に徳川家康が凱旋したとき、この道を通って帰ったことから「お悦び街道・吉例
街道」とも呼ばれます。 五街道と同じく、 江戸幕府直轄の街道で、道中奉行の支配下に置かれ、道幅 松並木一里塚宿場・助郷も五街道なみとなっています。
東海道の鈴鹿峠越えや海路の「七里の渡し」 に比べ、 遠回りになりますが、 安全性が高く、 天候に左右されず、予定どおりの通行が可能であったため、 女性にも
重宝され、 多くの旅人が利用しました。
徳川家康・秀忠・家光らの将軍をはじめ、 参勤交代の大名や朝鮮通信使、琉球王使、 お茶壷道中など、 さらには将軍に献上された象もこの街道を通ったなど、一般民
衆の旅の利用はもとより多くの人たちがこの道を往来しました。
稲葉宿
稲葉宿は、家数336軒、 人口 1,572人、旅籠屋8軒、本陣・脇本陣各1軒、 問屋場3か所がありました [天保14年(1843)〕。 本陣である小沢村の原所次右衛門
の家は、門構・玄関付で建坪133坪(約439㎡)、 脇本陣である稲葉村東町の吉田又吉の家は、門構・玄関付で建坪 70坪 (約231㎡) でした。 稲葉村西町の西問屋
場は原家と伊東家が交代でつとめ、 稲葉村東町の中問屋場を伊東家、 小沢村の東問屋場を原家があずかり、 1問屋場2日交代でつとめたといいます。 宿場の長さは、
8町21間 (約911m) でした。
西の方へ向かいます。
「稲沢本町」のバス停がありました。本町とは、その町の中心です(でした)。
今回は、「稲沢の中心はどこ?」がテーマでした。
結論。この稲葉宿周辺が、かつては、確実に中心市街地だったことは間違いありません。
美濃路稲葉宿本陣跡ひろば 2024.11 (愛知県稲沢市)
明日第7回に続きます。明日は、最終回稲葉宿Ⅱです。
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