2024年2月10日(土)、栄中日文化センター主催、「歩いて巡る愛知の古城と史跡」(2024年1~3月)「水軍の城・大野城と知多の名城・大草城へ行ってきました。
講師は七種英康先生です。その様子を、数回にわたって紹介します。
今回の訪問地です。
今回は③ 蓮台寺
少し斜めですね。失礼!
鎌倉末期に興った時宗の寺として正和3年(1314)開山、一色左京大輔道秀によって創建されたそうです。
一色といえば、足利氏の一門で名門です。吉良一色という地名がありますね。そこから出ています。
室町幕府の「四職」とは、侍所の長官(頭人、所司)に任じられた守護大名の赤松氏、一色氏、京極氏、山名氏を指します。すごいメンバーです。
知多半島は一色一族が守護職として支配しており、時宗の蓮台寺が一色道秀、大興寺を貞和三年(1347年)に一色範氏が、慈光寺を応永元年(1394年)一色満範がそれぞれ建立しています。
ただ、古くは花園天皇 1297年8月14日〈永仁5年7月25日〉- 1348年12月2日〈貞和4年11月11日〉)の勅願所でした。
慶長5年(1600)の九鬼水軍の来襲により多くは消失しました。関ヶ原の戦いの一連? 実は、関ヶ原の戦いが起こると、九鬼嘉隆は西軍に、守隆は東軍につきました。これはどちらが敗れても家名が存続するという、生駒、真田、蜂須賀など、多くの武家が採った策です。嘉隆は、守隆が徳川家康に従って会津征伐に赴いている間に、堀内氏善らと共に守備が手薄になっていた鳥羽城を奪取し、伊勢湾の海上封鎖を行いました。その時に、とばっちりを受けたのではないでしょうか?
現在の本堂は、文政3年(1820)頃に再建されたと推測されているそうです。
境内には江戸幕府二代将軍・徳川秀忠の正室、江の最初の嫁ぎ先である佐治氏の初代大野城主・佐治宗貞のお墓「寿山塚」があります。
大野城の落城で江が逃げ落ちる際に自害を装ったとされる衣掛けの松が残る、とされていますが・・・・
これが在りし日の松で、今は、
枯れてしまいました。
在りし日の松は https://rurubu.jp/andmore/spot/80024180 よりお借りしました。
碑は残っています。
松に衣をかけて、井戸に飛び込んだように見せかけました。
その井戸です。
かなり小さく、常滑焼でできているのでは??
お江が使って以来使っていないので『あかずの門』の名が付きました。
「歯痛地蔵」と説明がありますが…
詳しい方が、「これは地蔵でなく菩薩では」といわれました。
たしかに、観音菩薩に見えます。
出典 「仏像の種類・見方」https://allabout.co.jp/gm/gc/4972/2/
飾り瓦の様子です。とてもよくできていますね。
このようなサイトがあります。
ここから https://note.dai-nagoya.jp/2020/10/21/machiaruki17/
いろいろな動物瓦がありますよ。
2017.04.23 常滑市 小倉地区祭礼 蓮台寺前の動画です。
こうした山車があるところは、かつて栄えたところです。
さすが、常滑です。
明日に続きます。
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