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関ヶ原での生駒氏は?-2-

2012-08-08 06:12:03 | 郷土の歴史
 関ヶ原での讃岐生駒家の動きを見てみましょう。
 
 生駒豊政の養子になり分家した、生駒親重の子が生駒親正です。

 信長、秀吉に仕え、秀吉の晩年には、中村一氏や堀尾吉晴と共に三中老に任じられています。
 堀尾吉晴は、ご存じ、大口町出身です。

 この讃岐生駒家の関ヶ原での動きは、戦国大名を象徴しています。
 

なぜなら、親正(左)は西軍に属し、その子一正(右)は東軍に属したからです。

 なぜ親子で分かれたのでしょうか?考えてみてください。

 おわかりですね。

 東軍、西軍のどちらが勝っても負けても、家門が存続できるからです。

 もちろん、父は豊臣に恩義を感じており、子は家康と共に会津に向けて行動していたため、自然にそうなったのかもしれませんが、この頃は、大義名分より、お家存続の方が重要だったことは事実です。

他にも、阿波の蜂須賀家や志摩の九鬼家、信濃の真田家などが、親子で東西に分かれています。

 結果は東軍の勝ち。

子の一正は武功を挙げ、戦後、父から家督を譲られ、その所領である讃岐国丸亀藩(のち高松藩)18万石も安堵されました。後に、居城を丸亀城から高松城に移しています。

 敗れた父の親正は、家督を譲り、高野山へ入ったのです。

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