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週刊 日本の100人 第83号 津田梅子

2019-10-02 04:53:10 | 歴史関連情報
週刊日本の100人 津田梅子

シリーズ第83号は津田梅子です。



 私が小学生の頃、津田梅子が国語の教科書に載っていました。洋装した5人の少女のなかでも、最年少が梅子。出発当時はまだ「梅」で、満にして6歳です。
 勉強家の父親でしたが、女子が続いて落胆し命名を放棄。母が、枕元の盆栽の梅を見て「梅」と名づけたのです。
 
 津田梅子は、1864〜1929(元治元年〜昭和4年)江戸牛込生れの、教育で女性の地位向上を目指した教育家です。

 明治政府が、欧米使節団とともに派遣した最初の女子留学生です。
 82年に帰国しますが、11年間で日本語を忘れ、日本の生活・文化への適応に苦労しました。

 伊藤博文の推薦で、85年から華族女学校で教鞭をとります。博文は、使節団の副団長だったからです。
 しかし、男尊女卑の日本に新しい女子教育の必要性を感じて89年再渡米。
 ブリンマー大学の選科生となり、意欲的に学びます。

 92年帰国すると、自ら寄付金を集めて1900年女子英学塾(現、津田塾大学)を東京麹町に設立しました。
 殺人事件が起きた幽霊屋敷を安く買い取ってできたと聞いたことがあります。

 「人材は育てるもの」ということを、梅子の人生を辿って、学ぶことができました。


■特集
津田梅子
日本の真の発展は女性の地位の向上がなくてはあり得ません

■ライフ&タイム
 日本女性を目覚めさせた先進的教育者の65年
  まだ見ぬ国への旅立ち/立派なレディーに成長
  慣れない祖国での悪戦苦闘/指導者としてのスキル習得
  念願の女子英学塾設立

■ヒューマンエピソード
 高邁な理想に突き進む誇り高きモラリスト

■クローズアップ
 母国のために尽くしたい! 梅子が目指した教育

■人物スクランブル
 津田梅子 人物相関図
  ヘレン・ケラー/伊藤博文/下田歌子/森 有礼

■後世への遺産
 奨学金制度、津田塾……梅子から実ったもの

■評伝アラカルト
 津田梅子考
  山川菊栄/ペリンチーフ/吉川利一
  村上信彦/林真理子/安井てつ

■ビジュアル人物事典
 細川護久/細川幽斎/細川韶邦/細川頼之
 堀田正睦/穂積陳重/穂積八束/堀 辰雄

■日本の100人ミュージアム

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