美濃路・稲葉宿-2-
2025年2月9日(日)、愛知ウォーキング城巡りクラブ(AWC) 「美濃路・稲葉宿」へ行ってきました。 講師は、七種英康先生です。その様子を、7回にわたって紹介しています。
今回訪問したところです。
今回は、総見院-2-です。
信長の菩提寺です。
信長に詳しい人ならピンと来るのが、京都の総見院。
https://kyotoshunju.com/temple/daitokuji-sokenin/
京都市北区紫野大徳寺町にある臨済宗大徳寺派の寺院。大本山大徳寺の塔頭です。
本尊は織田信長坐像。織田信長の菩提寺です。
普段は見れませんが、春と秋に特別公開されます。
【総見院】大徳寺塔頭 織田信長公坐像 信長の墓◉Souken-in temple
そして阿弥陀寺。
信長公2つの墓所の謎を追って 総見院、阿弥陀寺と祇園を探訪
信長の墓所を調べたサイトがあります。
全国にある織田信長の墓所
織田信長の墓所一覧
本能寺 | 京都市中京区 | 信長所蔵の太刀が納められている |
---|---|---|
阿弥陀寺 | 京都市上京区 | 清玉上人が集めたとされる遺骨があると伝わる |
大徳寺総見院 | 京都市北区 | 秀吉が造立。木造を焼いた灰が納められている。帰蝶(濃姫)やお鍋の方の墓もある |
大雲院 | 京都市東山区 | 信忠の菩提寺。信長、信孝の墓石がある |
妙心寺玉鳳院 | 京都市右京区 | 信長乳母養徳院の菩提寺や、滝川一益の墓もある |
建仁寺本坊 | 京都市東山区 | 供養塔がある |
今宮神社 | 京都市北区 | 旧阿弥陀寺にあった祠を移す |
建勲神社 | 京都市北区 | 信長を祭神として東京の織田子爵家邸内に建てられたが、明治13年に遷座 |
聖隣寺 | 京都府亀岡市 | 信長の子で、秀吉の養子となった秀勝が建立 |
高野山金剛峯寺 | 和歌山県高野町 | 明智光秀・豊臣秀吉などの墓もある |
西光寺 | 滋賀県近江八幡市 | 元は安土城下に所在したが、豊臣秀次が近江八幡城を築城した際に移築 |
(安土城内)総見寺 | 滋賀県蒲生郡安土町 | 信長の一周忌に秀吉によってつくられた廟所 |
南宋寺 | 大阪府堺市 | 徳川家康・千利休の墓もある |
崇福寺 | 岐阜県長良町 | お鍋の方が信長・信忠の遺品を埋めたとされる |
総見寺 | 名古屋市中区 | 清洲会議によって尾張を所領とした織田信雄が父を弔う為に建立、江戸期に名古屋に移転 |
総見院 | 愛知県清洲町 | 供養塔がある |
長興時 | 愛知県豊田市 | 一周忌に描かれた信長の肖像画と位牌がある |
織田剱神社 | 福井県織田町 | 織田家が神官を勤めた神社 |
泰厳寺 | 熊本県八代市 | 細川忠興が丹後の宮津に建立し江戸期に移転 |
瑞龍寺 | 富山県高岡市 | 前田家の菩提寺で前田利家と並んで信長・信忠父子の供養塔がある |
本門寺 | 静岡県芝川町 | 本能寺の変の際に信長の首が密かに持ち出され、この寺の柊の木の下に埋められたという伝説がある |
実に21か所あります。
清須市の総見院に戻りましょう。
本堂に入りました。ユーモアたっぷりのお話を伺いました。
信長の供養塔です。
「當寺大檀那信長公大居士○○」
本堂に戻りましょう。
私の実家も臨済宗妙心寺派。
動画です。このシリーズは他にもいろいろあります。
お経を読もう、臨済宗妙心寺派勤行聖典(経本)のご紹介
木造聖観音像菩薩立像【県指定文化財】
像高126cm、桧材による一木造りである。伝来・作者とも不詳ではあるが、平成22年の調査により、11世紀前半(平安時代中期)の作品であると推察されている
説明・画像とも出典 http://soukenin.jp/2_jihou/
唐絹織紫衣 【県指定文化財】
元和四年(1618)閩山和尚が妙心寺住職に命ぜられ、その祝いとして亀姫より黒漆葵紋金蒔絵衣桁と共に贈られたものである。
蓮糸織で重さを感じないほどの軽量であり、当時の最高級の織物であったといわれる。
説明・画像とも出典 http://soukenin.jp/2_jihou/
「私たちの宗門」
読みにくいですね。できる限り起こしてみます。
私たちの宗門
一、宗派 臨済宗妙心寺派(禅宗)
一、宗旨及教義 お釈迦さまの正法を相承れた初祖達磨大師、宗祖臨済禅師、さらに開山無相大師に及ぶ一流の禅を宗旨及び教義とします。
一、本山及寺院 正法山妙心寺 (京都花園) 大本山とし、建武四年(一三三七) 花園法皇の額によって創建され、開山無相大師の法流は四派に分かれて、全国三千五百カ寺に広がっています。
一、本 尊 釈迦牟尼世尊をひとしく大恩教主と仰いで尊崇し、当寺は創建の因縁により をおまつりしています。
一、経典等 お釈迦さまの正法をそのまま心に頂く宗旨ですから、特に経典は一定しませんが、主に般若心経、大悲呪、観音経、開甘露門、坐禅和讃、宗門安心章等を?みします。
一、宗 風 宗門僧俗ともに禅の安心を求める同信同行であり、?相大師の「請うその本を務めよ」の御?造と、開基花園法皇の「報恩謝徳」の聖旨を体して仏法興隆を実践する教団であります。
一、信 条 自心仏であることを固く信じて坐禅にはげみ、本当の自分にめざめ、どんな苦難にもくじけず常に脚下照顧めてくらしを正し、生かされている自分を感謝しつつ世のため、人のためにつくします。
一、檀信徒 檀信徒は花園会員として和やかにを合せ、社会
一、宗務機関
他は読めません。
織田信長公遺品 「焼け兜」
織田信長の次男・信(のぶ)雄(かつ)が本能寺の変の直後、焼け跡を捜索させて探し当てた兜である。装飾品はすべて焼け落ち、突盔(とっぱい)型の鉢と脇立の角本、黒漆が僅かに残るのみである。
信雄はこれを信長公所用の兜と確証し手許に留めるも、清須城を追われる際に岐阜城主の織田秀信に贈ったという。その後天明五年(1785)丹波国柏原城主、織田家の家老生駒主水方綱・津田内蔵助頼利、両名の署名押印のある由緒箱書きを添え、「信長公御召御甲」として菩提寺である總見院に献納されたものである。
説明 http://soukenin.jp/2_jihou/
下の説明です。
箱には由緒が書かれています。
河村名古屋市長時代に、科学的な検査をしたところ、当時のものであることが証明されました。
復元したものです。
ただ、細かな装飾には諸説あるそうです。
その他の所蔵品です。
境内です。
外に出ました。
動画です。
激レア!信長の○○発見‼︎#織田信長#本能寺の変#戦国時代
【総見院・清洲城】焼け落ちた信長の兜&一番カッコイイ信長像登場!【愛知県史跡巡り6】
13:20 から総見院が出てきます。
明日第3回に続きます。明日は 清州代官所 ほかです。
美濃路・稲葉宿-1- -2- -3-
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