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<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>


<漢検1級 27-③に向けて その48>
●夏目漱石の「元日」&「思い出すことなど」から・・・。漱石は意外と云うか、ホント、むずかしい。漢字でなく、文章が・・・。
●ハッキリ言って、今回は
書き問題は相当の難度と思われる・・・80%(24点)とれたら大したもの・・・・漢字自体は難しくないが・・・。
●文章題⑳:次の文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、傍線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。(30) 書き2×10 読み1×10
「元日」(夏目漱石)
「元日を御目出たいものと極めたのは、一体何処の誰か知らないが、世間が夫れに雷同しているうちは新聞社が困る丈である。雑録でも短篇でも小説でも乃至は俳句漢詩和歌でも、
(ア)苟も元日の紙上にあらわれる以上は、いくら元日らしい顔をしたって、元日の作でないに極まっている。尤も師走に想像を
(イ)逞しくしてはならぬと申し渡された次第でないから、節季に正月らしい振をして何か書いて置けば、年内に餅を搗いといて、一夜明けるや否や雑煮として頬張る位のものには違いないが、御目出たい実景の乏しい今日、御目出たい想像などは容易に新聞社の頭に宿るものではない。それを無理に御目出たがろうとすると、所謂、太倉の粟
(1)チンチン相依るという頗る目出度くない現象に腐化して仕舞う。
諸君子は已むを得ず年にちなんで、鶏の事を書いたり、犬の事を書いたりするが、これは寧ろ駄洒落を引き延ばした位のもので、要するに元日及び新年の実質とは痛痒相冒す所なき
(2)カンジギョウである。いくら初刷だって、そんな無駄話で十頁も二十頁も埋られた日には、元日の新聞は単に重量に於て各社ともに競争する訳になるんだから、其の出来不出来に対する具眼の審判者は、読者のうちでただ屑屋丈だろうと云われたって仕方がない。・・・」
「思い出す事など」(夏目漱石)
「・・・当初から余に好意を表して、間接に治療上の心配をしてくれた院長はかくのごとくしだいに死に近づきつつある間に、余は不思議にも命の幅の縮まってほとんど絹糸のごとく細くなった上を、ようやく無難に通り越した・・・そうして回復の上病院を出たら礼にでも行こうと思っていた。もし病院で会えたら
(ウ)篤く謝意でも述べようと思っていた。・・・
・・・考えると余が無事に東京まで帰れたのは
(3)テンコウである。こうなるのが当り前のように思うのは、いまだに生きているからの悪度胸に過ぎない。生き延びた自分だけを頭に置かずに、命の綱を踏み外した人の有様も思い浮べて、幸福な自分と照らし合せて見ないと、わがありがたさも分らない、人の気の毒さも分らない・・・
・・・宮本博士が退屈をすると酸がたまると云ったごとく、忙殺されて酸が出過ぎる事も、余は親しく経験している。詮ずるところ、人間は
(4)カンテキの境界に立たなくては不幸だと思うので、その
カンテキをしばらくなりとも貪り得る今の身の嬉しさが、この五十六字に形を変じたのである。
・・・修善寺にいる間は仰向けに寝たままよく俳句を作っては、それを日記の中に記(つ)け込んだ。時々は面倒な
(5)ヒョウソクを合わして漢詩さえ作って見た。そうしてその漢詩も一つ残らず未定稿として日記の中に書きつけた。
・・・けれども余が病中に作り得た俳句と漢詩の価値は、余自身から云うと、全くその出来不出来に関係しないのである。平生はいかに心持ちの好くない時でも、いやしくも
(6)ジンジに堪え得るだけの健康をもっていると自信する以上、またもっていると人から認められる以上、われは常住日夜共に生存競争裏に立つ悪戦の人である。仏語で形容すれば絶えず火宅の苦を受けて、夢の中でさえいらいらしている。時には人から勧められる事もあり、たまには自ら進む事もあって、ふと十七字を並べて見たりまたは起承転結の四句ぐらい組み合せないとも限らないけれどもいつもどこかに間隙があるような心持ちがして、隈も残さず心を引き
(エ)包んで、詩と句の中に放り込む事ができない。それは歓楽を嫉む実生活の鬼の影が風流に纏わるためかも知れず、または句に熱し詩に狂するのあまり、かえって句と詩に翻弄されて、いらいらすまじき風流にいらいらする結果かも知れないが、それではいくら佳句と好詩ができたにしても、
(オ)贏ち得る当人の愉快はただ二三同好の評判だけで、その評判を差し引くと、後に残るものは多量の不安と苦痛に過ぎない事に帰着してしまう。
・・・限りなき星霜を経て固まりかかった地球の皮が熱を得て溶解し、なお膨脹して瓦斯(ガス)に変形すると同時に、他の天体もまたこれに等しき革命を受けて、今日まで分離して運行した軌道と軌道の間が隙間なく充された時、今の秩序ある太陽系は日月星辰の区別を失って、爛たる一大火雲のごとくに
(7)バンセンするだろう。
・・・そのうち穏かな心の隅が、いつか薄く
(カ)暈されて、そこを照らす意識の色が微かになった。すると、ヴェイルに似た靄が軽く全面に向って万遍なく展びて来た。そうして総体の意識がどこもかしこも稀薄になった。それは普通の夢のように濃いものではなかった。尋常の自覚のように混雑したものでもなかった。またその中間に横たわる重い影でもなかった。魂が身体を抜けると云ってはすでに語弊がある。霊が細かい神経の末端にまで行き亘って、泥でできた肉体の内部を、軽く清くすると共に、官能の実覚から杳かに遠からしめた状態であった。余は余の周囲に何事が起りつつあるかを自覚した。同時にその自覚が
(キ)窈窕として地の臭いを帯びぬ一種特別のものであると云う事を知った。床の下に水が廻って、自然と畳が浮き出すように、余の心は己れの宿る身体と共に、蒲団から浮き上がった。より適当に云えば、腰と肩と頭に触れる堅い蒲団がどこかへ行ってしまったのに、心と身体は元の位置に安く漂っていた。発作前に起るドストイェフスキーの歓喜は、瞬刻のために十年もしくは終生の命を賭しても然るべき性質のものとか聞いている。余のそれはさように強烈のものではなかった。むしろ恍惚として幽かな趣を生活面の全部に軽くかつ深く印し去ったのみであった。したがって余にはドストイェフスキーの受けたような憂鬱性の反動が来なかった。余は朝からしばしばこの状態に入った。
(ク)午過ぎにもよくこの
(ケ)蕩漾を味わった。そうして覚めたときはいつでもその楽しい記憶を抱いて幸福の記念としたくらいであった。
それにもかかわらず、回復期に向った余は、病牀の上に寝ながら、しばしばドストイェフスキーの事を考えた。ことに彼が死の宣告から蘇った最後の一幕を眼に浮べた。――寒い空、新しい刑壇、刑壇の上に立つ彼の姿、
(コ)襯衣一枚のまま顫えている彼の姿、――ことごとく鮮やかな想像の鏡に映った。独り彼が死刑を免れたと自覚し得た咄嗟の表情が、どうしても判然(はっきり)映らなかった。しかも余はただこの咄嗟の表情が見たいばかりに、すべての画面を組み立てていたのである。
余は自然の手に罹って死のうとした。現に少しの間死んでいた。後から当時の記憶を呼び起した上、なおところどころの穴へ、妻から聞いた顛末を埋めて、始めて全くでき上る構図をふり返って見ると、いわゆる慄然と云う感じに打たれなければやまなかった。その恐ろしさに比例して、
(8)キュウジンに失った命を
(9)イッキに取り留める嬉しさはまた特別であった。この死この生に伴う恐ろしさと嬉しさが紙の裏表のごとく重なったため、余は連想上常にドストイェフスキーを思い出したのである。
「もし最後の一節を欠いたなら、余はけっして正気ではいられなかったろう」と彼自身が物語っている。気が狂うほどの緊張を幸いに受けずとすんだ余には、彼の恐ろしさ嬉しさの程度を料り得ぬと云う方がむしろ適当かも知れぬ。それであればこそ、画竜点睛とも云うべき肝心の刹那の表情が、どう想像しても漠として眼の前に描き出せないのだろう。運命の
(10)キンショウを感ずる点において、ドストイェフスキーと余とは、ほとんど詩と散文ほどの相違がある。
それにもかかわらず、余はしばしばドストイェフスキーを想像してやまなかった。そうして寒い空と、新しい刑壇と、刑壇の上に立つ彼の姿と、襯衣一枚で顫えている彼の姿とを、根気よく描き去り描き来たってやまなかった。
今はこの想像の鏡もいつとなく曇って来た。同時に、生き返ったわが嬉しさが日に日にわれを遠ざかって行く。あの嬉しさが始終わが傍にあるならば、――ドストイェフスキーは自己の幸福に対して、生涯感謝する事を忘れぬ人であった・・・」
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(1)陳々 (2)閑事業 (3)天幸 (4)閑適 (5)平仄 (6)塵事 (7)盤旋 (8)九仞 (9)一簣 (10)擒縦
(ア)いやしく (イ)たくま (ウ)あつ (エ)くる (オ)か (カ)ぼか (キ)ようちょう (ク)ひる (ケ)とうよう (コ)しゃつ(シャツ)
*「陳々相依る」:おそらく、次の故事成語からと思われる→「陳陳相因る」(史記)=「陳」は“陳穀”、古い米のこと。古い一方で少しも新味がないさまのこと。
*閑事業:急を要せぬ事業。実用に適さない事業。(広辞苑)
*天幸:自然に与えられた幸い。天の恵み。(広辞苑)
*閑適:「間適」とも。しずかに心を安んずること(閑静安適の意)。(広辞苑)
*塵事:世間のわずらわしい事柄。俗事。(広辞苑)
*擒縦:捕えたりゆるしたり、自在にあやつりあつかうこと。(広辞苑)
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