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我孫子・手賀沼と愛猫レオンの徒然日記。漢検1級チャレンジャーの方の参考となるブログ。2018年7月から“俳句”も開始。

漢検1級 27-③に向けて その65  矜 瞿

2015年12月10日 | 熟語の読み(音・訓) -個別記事- 
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<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>

<漢検1級 27-③に向けて その65>
●小さなドラマ・・・斬奸状・・・
・書き問題の「斬奸(状)」・・・当初、すぐ頭に浮んで、解答欄に記載したのが「讒諫(状)」・・・なぜこんな熟語が浮かんだのか、今でも不思議といえば不思議だけど、この時はフッと浮んできてしまった・・・こういうことってありますよね、特に「語選択」では・・・。
・こうなるとイケマセン、考えれば考えるほど、心の中で、「これでいいんだ」「これで合ってる」「新出の問題なんだ」・・・と自己肯定・自己満足の悪魔の声が囁きだす・・・
・過去、この種の問題で(この悪魔の囁きにやられて)こういうミスを何度かした経験もあり、「これはイカン」「頭を冷やさないと・・・」と、一旦、この問題を回避した・・・(回避したままで放置すると、そのままということにもなりかねない危うさはあるのですが・・・)
・その後、解答欄に全回答を埋めた後、この「ザンカン」に立ち戻り・・・たしか残り5分程度あったと思う・・・
・あらためて、当初の回答「讒諫」をしげしげと見ると、「そしって、いさめる」って変な熟語を作ってんなあ・・・と、「こりゃ、絶対、間違ってる!しかも、こんな難しい単語や熟語を書き問題で出すわけがない・・・」と頭が冷静に働いた・・・
・んで、何気なく、隣の同音異語問題の「ザンカン(慙汗)」をフト見たら、「慙」の上半分の「斬」が目に飛び込んできた!!おっとおおお!「この“斬”、“斬る”・・・カン、奸佞邪知、奸属、奸臣、奸人・・・おっとおおお、「奸(人)」を斬る」・・・これだあああああ・・・・・
・と、正解に気がついたら「試験終了1分前で~す」のコール!!(たしか、コールあったような気が・・・)・・・ちょっとアセアセ、手も震え、消しゴムも震えたけど、なんとか「讒諫」を叮嚀に叮嚀に消して、ここは冷静に冷静にトメハネクズシに注意して「斬」、「奸」、と書いた・・・簡単な字で良かったあ~(^^;)・・・と、ホント、今から考えると、この一分間、自分の中では、小さな小さなドラマが、まさにドラマチックに展開されていたのでありマチタ・・・しかし、これで貴重な2点をゲット、おそらくは暫くは(自分では)塗り替えられない大・新記録が達成された瞬間でちた・・・オシマイ。
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●漢検漢字辞典第2版から・・・
<矜:キョウ、キン、カン、つつし(む)、あわ(れむ)、ほこ(る)、やもお>
・第2版では、すべての音訓が載ってます。
・音による意味分けと掲載熟語も以下のとおり・・・
 「キョウ」:①あわれむ、かなしむ・・・「矜育」「哀矜」「矜恤」 ②つつしむ・・・「矜厳」 ③ほこる・・・「矜恃(持)」
 「キン」 :ほこの柄・・・掲載なし
 「カン」 :やもお ・・・掲載なし
 「コン」 :矜羯羅(コンガラ) 不動明王の脇侍。矜羯羅童子。「金羯羅(コンガラ)」とも書く。 (*「矜」:現行音にはないが、「コン」音)
・各辞典を調べると、一杯、音があり、辞典によっても異なる・・・
 たとえば、大字源・・・①キョウ(漢・呉) ②キン(漢・呉 ③キン・ギン・ケイ・キン・ゴン(呉) ④カン(漢)・ケン(呉)・・・こんなん、覚えきれん。覚える必要もナシ(ーー)
・伝えたいことは2つ・・・
 ①漢字源では「あわれむ」意味の熟語も「キン」音で読んでいるものが多いから漢字源で学習している人は要注意かも
  漢字源では「矜育(キンイク)」「矜恤(キンジュツ)」「矜哀(キンアイ)」など・・・これらは漢検辞典ではすべて「キョウ・・・」読みのみです。
 ②第2版に掲載のない、音に対応する熟語
  「キン」(ほこの柄)・・・「棘矜(キョクキン)」(大字源)「棘棗(キョクソウ)を伐りて矜(キン)となす」(漢字源)
  「カン」(やもお、年老いて妻のない男)・・・矜寡(カンカ)=鰥寡(カンカ)
<瞿:ク、み(る)、おそ(れる)>
・第2版では、すべての音訓あり・・・掲載熟語:「瞿然(クゼン)」「瞿瞿」←読みないが、「クク」だと思われる。
 「瞿然(クゼン)」=驚いてみるさま、おそれるさま、(ほかにも、多様な意味あり
 「瞿瞿(クク?)」=おどろきあわててみる、(ほかにも、多様な意味あり)
・「瞿瞿」に読みが振ってないのは「瞿瞿(キョクキョク)」という読みもあるからかもしれない(^^)
  「瞿瞿(キョクキョク)」=喪に服している時の視線・不安そうなさま(大字源)、心が動揺して物のはっきり見えないさま(大漢和)
  *字通、漢字源には「キョク」音なし。
  ま、この「瞿瞿(キョクキョク)」のほうは、覚えておいても受検には役立たないと思う。

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漢検1級 27-③に向けて その64  文章題訓練㉚

2015年12月10日 | 文章題
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<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>

<漢検1級 27-③に向けて その64>
●徳富蘇峰と森鴎外の2本立てです。ちょっと難度高いかも・・・。漢字自体は決して難しい字ではないんですが・・・。
●80%(24点)以上は取りたいところ・・・・。

●文章題㉚:次の文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、傍線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。(30) 書き2×10 読み1×10
A.「将来の日本」(徳富蘇峰)
「・・・ただ一見せば欧州は腕力の世界なり。少しくこれを観察するときには裏面にはさらに富の世界あるを見、兵と富とは二個の大勢力にして「いわゆる日月双び懸りて、(ア)乾坤を照らす」のありさまなるを見るべし。しかれどもさらに精密にこれを観察せば兵の太陽はその光輝燦爛たるがごとしといえども(1)セキキすでに斜めに西山に入らんとする絶望的のものにして、かの富の太陽は紅輪(イ)杲々としてまさに半天に躍り上らんとする希望的のものなるを見るべし。しかして今さらに一層の思考を凝らすときはこの絶望的の光輝も、(ウ)畢竟するにかの希望的の光輝に反映して(エ)霎時に幻出したるものにして、これをたとえばかの月はもとより光輝なきものなれどもただ太陽の光輝に反映して美妙の光を放つがごときを見るべし。それ月の光は太陽の光なり。もし太陽の光を除き去らば月光とて別に見るべきものはあらざるなり。今日において兵の勢力あるは富の勢力を仮りたればなり。もし富の勢力を除き去らば兵の勢力とて別に見るべきものはあらざるべし。おもうに世の活眼家はこの道理をたやすく承認すべし。
・・・頼襄曰く「余かつて東西を歴遊し、その山河起伏するところを考え、おもえらくわが邦の地脈東北より来たりて、ようやく西すればようやく小なり。これを人身にたとうれば、陸奥、出羽はその首なり。甲斐・信濃はその背なり。関東八州および東海諸国はその胸腹、しかして京畿はその (2)ヨウデンなり。山陽南海より西に至っては股のみ、脛のみ」と。吾人はこの比喩のはたして当を得たるや否やを知らず。しかれども実にわが邦の地形はもっとも不同にして東北より西南に向かって蜒々として一の(3)セイテイ形をなし、山岳うちに秀で、河海外を(オ)繞るがゆえに、その風土もおのずから適度の不同を得、これがために社会生産の発達を刺衝する、一にして足らず。それ形勢の不同よりして上古のギリシアは文明の先鞭者となれり。しからばいずくんぞ今日においてわが邦の前途を疑うものあらんや。しかしてかつわが邦人民はさらに一の記憶しかつ注意せざるべからざることあり。なんぞや曰くわが邦は島国なることこれなり。
・・・およそ政治上においても、経済上においても、媚びを呈し、(4)テンを献じ、百怜千悧、みずから幇間者流をもって任ずるの輩は、深く責むるにも足らず。ただ吾人が朋友味方とも思い、たのもしき人々と親信する、いわゆる自由の弁護者、民権の率先者、天下の志士をもって任じ、慷慨悲歌みずから禁ずるあたわざる正義諸君子の挙動に関しても、はなはだ敬服の情を表するあたわざるものなり。
 そもそもこの諸君子は純乎たる急進自由の率先者なればその政治上の意見・議論・運動・行為は徹上徹下、ただ自由主義と相始終するこそ志士の本色とも、真面目ともいうべきなれども、退いてその私を省みれば、なるほど自由主義は自由主義に相違なかるべしといえどもわが邦一種特別の自由主義にして、いわゆる江南の橘もこれを江北に移せば(カ)枳となるがごとく、アングロサクソンの自由主義もこれをわが邦に移せばおのずからその性質を一変し、むしろこれを日本流もしくは封建的の自由主義といわざるべからざるがごとき異相を呈したり。なんとなればかの諸君子は平生は諤々として単純なる自由民権の主義を論弁するにかかわらず、たちまち隣国に事あれば曰くなんぞすみやかに長白山頭の雲を踏み破って四百余州を蹂躙せざるやと。それ外戦ひとたび開かば、政府の権力いよいよ増大ならざるを得ず。政府の権力いよいよ増大なるときは一己人民の権力いよいよ減少せざるを得ず。武備機関いよいよ膨脹するときには生産機関はいよいよ収縮せざるを得ず、常備軍の威勢飛んで天を圧するときは、人民の権理舞うて地に墜つるのときなりといわざるをえず。しかるにかの諸君子はかかることを思うや思わざるや、人民の利害(5)キュウセキをば児戯のごとくに見なし、ただただ開戦論を主張し、ひとりこれにとどまらず、あわせてこれを実行せんと欲し、あるいは義捐金をなし、あるいは従軍の嘆願をなし、あるいは猛激粗暴なる檄文を投じ、あるいは(6)キゲキ無謀なる挙動をなし、(7)テンとしてみずから怪しまず、かえって志士の本色となすがごときはなんぞや。しかしてまた傍観者のこれを擯斥せざるのみならず、かえって喝采鼓舞するものあるはなんぞや。・・・」

B.「津下四郎左衛門」(森鴎外)
「・・・津下四郎左衛門は私の父である。(私とは誰かと云ふことは下に見えてゐる。)しかし其名は只聞く人の耳に空虚なる固有名詞として響くのみであらう。それも無理は無い。世に何の貢献もせずに死んだ、(キ)艸木と同じく朽ちたと云はれても、私はさうでないと弁ずることが出来ない。
 かうは云ふものの、若し私がここに一言を附け加へたら、人が、「ああ、さうか」とだけは云つてくれるだらう。其その一言はかうである。「津下四郎左衛門は横井平四郎の首を取つた男である。」
 丁度世間の人が私の父を知らぬやうに、世間の人は皆横井平四郎を知つてゐる。熊本の小楠先生を知つてゐる。
 私の立場から見れば、横井氏が栄誉あり(8)ケイショウある家である反対に、津下氏は恥辱あり(9)オウキュウある家であつて、私はそれを歎かずにはゐられない。
 此の禍福とそれに伴ふ晦顕とがどうして生じたか。私はそれを推し窮めて父の冤を雪ぎたいのである。
 徳川幕府の(ク)末造に当つて、天下の言論は尊王と佐幕とに分かれた。苟も気節を重んずるものは皆尊王に趨つた。其時尊王には攘夷が附帯し、佐幕には開国が附帯して唱道せられてゐた。どちらも二つ宛のものを一つ一つに引き離しては考へられなかつたのである。私は引き離しては考へられなかつたと云ふ。是れは群集心理の上から云ふのである。
・・・四郎左衛門は勇戦隊にゐるうちに、義戦隊長藤島政之進の下に参謀のやうな職務を取つてゐた上田立夫と心安くなつた。二人が会合すれば、いつも尊王攘夷の事を談じて慷慨し、所謂万機一新の朝廷の措置に、動もすれば(10)インジュンの形迹が見はれ、外国人が分外の尊敬を受けるのを(ケ)慊らぬことに思つた。それは議定参与の人々の間には、初から開国の下心があつて、それが漸く施政の上に発露して来たからである。
 或る日二人は相談して、藩籍を脱して京都に上ることにした。偕に(コ)輦轂の下に住んで、親しく政府の施設を見ようと云ふのである。二人の心底には、秕政の根本を窮めて、君側の奸を発見したら、直ちにこれを除かうと云ふ企図が、早くも此の時から萌してゐた。
 二人は京都に出た。さて議定参与の中で、誰が洋夷に心を傾けてゐるかと探つて見た。其時二人の目に奸人の巨魁として映じたのは、三月に徴士となつて熊本から入京し、制度局の判事を経て、参与に進んだ横井平四郎であつた。・・・」
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(1)夕暉 (2)腰臀 (3)蜻蜓 (4)諂 (5)休戚 (6)詭激 (7)恬 (8)慶祥 (9)殃咎 (10)因循
(ア)けんこん (イ)こうこう (ウ)ひっきょう (エ)しょうじ (オ)めぐ (カ)からたち (キ)そうもく (ク)ばつぞう (ケ)あきた (コ)れんこく
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