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<この記事は漢検1級とほとんど関係ありません・・・ちょっとは関連していますが・・・>
●ブログ開設当初から作成しておいたカテゴリー「古代史」に書き込みを開始しています。
●私事の単なるメモ帳のようなものですので、興味のない方はスルーしてください。
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☆☆☆今年のテーマ:①漢検1級199点以上 ②好きな古代史の研究深化(古田説の研究) ③(非公開) ☆☆☆
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●いきなりだが、「俀」の字について・・・
<俀> 大漢和:タイ、ツイ よわい 「俀、弱也」、漢字源:タイ(漢)、テ(呉音) 弱弱しい *大字源・字通にはこの字の掲載なし。
●「隋書」:「636年(貞観10年)、魏徴によって本紀5巻、列伝50巻完成。第3代の高宗の656年(顕慶元年)に、志30巻が完成後、編入が行われた。」と言われている。「隋書 列伝第46 東夷」で、「高麗、百済、新羅、靺鞨、琉求国、俀国(倭国)」について記されている。
●なぜ、「“俀”国伝」なのか・・・
・日本では通常、「俀國」は「倭國」の誤りとされる。
*容易な原文改訂。日本の古代史文献学者・歴史学者の宿痾。源は、内藤湖南博士(京大)と白鳥庫吉博士(東大)の邪馬台国論争・・・いずれも自分の都合の良いように原文に誤りありとして自説の場所へ邪馬台国を導いている・・・この、容易な原文改訂を戒め、あくまで「倭人伝」記載のとおりに読んで邪馬“壹”国の場所を突き止めたのが古田武彦さん・・・。
・(その古田さんの説によれば)「隋書“俀”国伝」の「俀」は、倭国側の国書にあった“大倭(タイヰ)”を、中国側が貶めて、同じ音の“俀(タイ)”・・・意味は冒頭のとおり・・・の字を使用したのではないかとの事。原文改訂よりも極めて説得力あり・・・と思う。
・その根拠(弊見)
①「隋書」は次代の唐の時代に完成するも、ほぼ同時代資料。その記載の中で、この“俀”国は、古より朝貢をしてきている、「阿蘇山のある、あの倭国のことだ」との説明あり・・・したがって、「倭国」のこと・「倭」の字を知らない筈はなく、あえて“俀”の字を使っていると見た方が理性的かつ常識的な見方と云えないか。かつ、中華思想の中国らしい“卑字”使用という観点も見逃せない。
②時代背景として、
ア.「タリシヒコ(タリシホコ)」と隋・煬帝との有名なやりとり・・・「日いづる処の天子、書を日没する所の天子に・・・恙なきや」「無礼なり、また以て聞するなかれ」・・・により険悪化。その後(交流を)「遂に絶つ」となった。
イ.北朝の隋が中国を統一したことで、倭国にはこれまでの宗主国の南朝((魏→西晋→東晋)宋、斉、梁、陳)が消滅。自ら、北朝と対峙することとなったと思われる(南朝の後継者を自負したのではないか)。
ウ.隋から唐へ移るも依然として中国は北朝系の国。朝鮮半島情勢も「新羅ー唐」VS「百済ー倭国」となり、ついに、663年“白村江”で激突、倭国は唐・新羅連合軍に大敗を喫して敗れ、その後、倭国自体も滅亡の道をたどることになった。
③“俀”国
この世に2人の天子の存在を絶対に認めない中国の中華思想と(漢民族ではないがそれを濃厚に受け継いでいる)中国・北朝の隋・唐からみて、険悪の一途をたどる「倭国」のことは、敵国として認識されていたはず・・・その「倭国」を得意の漢字(卑字)で貶めて“弱い、弱弱しい”「“俀”国だ」とするのは十分理解できるところ。
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*「倭国」の“天子”多利思北孤(タリヒホコ・タリシヒコ)のこと
*いわゆる推古朝に派遣されたとされている「遣隋使」のこと
*それらとかかわりがあるように伝えられている、もしくは学説とされている聖徳太子のこと
など、本件にかかわる謎は多い。
次回以降、また、まとめていきたい。
👍👍👍 🐒 👍👍👍
<この記事は漢検1級とほとんど関係ありません・・・ちょっとは関連していますが・・・>
●ブログ開設当初から作成しておいたカテゴリー「古代史」に書き込みを開始しています。
●私事の単なるメモ帳のようなものですので、興味のない方はスルーしてください。
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☆☆☆今年のテーマ:①漢検1級199点以上 ②好きな古代史の研究深化(古田説の研究) ③(非公開) ☆☆☆
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●いきなりだが、「俀」の字について・・・
<俀> 大漢和:タイ、ツイ よわい 「俀、弱也」、漢字源:タイ(漢)、テ(呉音) 弱弱しい *大字源・字通にはこの字の掲載なし。
●「隋書」:「636年(貞観10年)、魏徴によって本紀5巻、列伝50巻完成。第3代の高宗の656年(顕慶元年)に、志30巻が完成後、編入が行われた。」と言われている。「隋書 列伝第46 東夷」で、「高麗、百済、新羅、靺鞨、琉求国、俀国(倭国)」について記されている。
●なぜ、「“俀”国伝」なのか・・・
・日本では通常、「俀國」は「倭國」の誤りとされる。
*容易な原文改訂。日本の古代史文献学者・歴史学者の宿痾。源は、内藤湖南博士(京大)と白鳥庫吉博士(東大)の邪馬台国論争・・・いずれも自分の都合の良いように原文に誤りありとして自説の場所へ邪馬台国を導いている・・・この、容易な原文改訂を戒め、あくまで「倭人伝」記載のとおりに読んで邪馬“壹”国の場所を突き止めたのが古田武彦さん・・・。
・(その古田さんの説によれば)「隋書“俀”国伝」の「俀」は、倭国側の国書にあった“大倭(タイヰ)”を、中国側が貶めて、同じ音の“俀(タイ)”・・・意味は冒頭のとおり・・・の字を使用したのではないかとの事。原文改訂よりも極めて説得力あり・・・と思う。
・その根拠(弊見)
①「隋書」は次代の唐の時代に完成するも、ほぼ同時代資料。その記載の中で、この“俀”国は、古より朝貢をしてきている、「阿蘇山のある、あの倭国のことだ」との説明あり・・・したがって、「倭国」のこと・「倭」の字を知らない筈はなく、あえて“俀”の字を使っていると見た方が理性的かつ常識的な見方と云えないか。かつ、中華思想の中国らしい“卑字”使用という観点も見逃せない。
②時代背景として、
ア.「タリシヒコ(タリシホコ)」と隋・煬帝との有名なやりとり・・・「日いづる処の天子、書を日没する所の天子に・・・恙なきや」「無礼なり、また以て聞するなかれ」・・・により険悪化。その後(交流を)「遂に絶つ」となった。
イ.北朝の隋が中国を統一したことで、倭国にはこれまでの宗主国の南朝((魏→西晋→東晋)宋、斉、梁、陳)が消滅。自ら、北朝と対峙することとなったと思われる(南朝の後継者を自負したのではないか)。
ウ.隋から唐へ移るも依然として中国は北朝系の国。朝鮮半島情勢も「新羅ー唐」VS「百済ー倭国」となり、ついに、663年“白村江”で激突、倭国は唐・新羅連合軍に大敗を喫して敗れ、その後、倭国自体も滅亡の道をたどることになった。
③“俀”国
この世に2人の天子の存在を絶対に認めない中国の中華思想と(漢民族ではないがそれを濃厚に受け継いでいる)中国・北朝の隋・唐からみて、険悪の一途をたどる「倭国」のことは、敵国として認識されていたはず・・・その「倭国」を得意の漢字(卑字)で貶めて“弱い、弱弱しい”「“俀”国だ」とするのは十分理解できるところ。
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*「倭国」の“天子”多利思北孤(タリヒホコ・タリシヒコ)のこと
*いわゆる推古朝に派遣されたとされている「遣隋使」のこと
*それらとかかわりがあるように伝えられている、もしくは学説とされている聖徳太子のこと
など、本件にかかわる謎は多い。
次回以降、また、まとめていきたい。
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