夜中に相模原の古本屋で偶然見つけて買った。アカデミー女優シャーリー・マクレーンの体験本。6~7年前に落ち込みモードが続いている中、ふらふら夜出歩いて見つけた。もう古くって接着が弱く読み進めているうちにページが破れたりはがれたりした。テープで張り付けたりとリホームしながら読み進めていった。
女優としての私生活を赤裸々に描き出していたり、超常現象のことなどかなりドラマチックな内容だ。
この本の賛否両論のところである、超常現象の体験描写について私は否定しない立場だ。
不思議な体験をすることや超常現象を目の当たりにすることを否定しても始まらないし、本人が個人的に体験したことなのだからどうこう言うことはないし、大事なことは普通は経験できないことを実体験として受けて心境の何が変わりどう成長していったかを私という一読者に伝えてくれたかが重要。
本当のこと、嘘っぱちのこと、そこにこだわないということだ。
体験描写を生々しくリアリティーに溢れ面白く読めたらそれでヨシなのだ。
精神の成長。魂の成長。自分という人間の成長は普通だれでも望むことだと思う。
大きな樹の幹よりも枝だ。
枝の先に果実が実っているいるのだから、勇気と冒険心を持たなければ手に入らないのだ。
読み通してみて感じたことは、著者がとても身近に感じたことだ。寄り添ってくれているような感じだ。
訳者も優秀だから著者の意図を損なわずに日本語に置き換えている。
ところで人は孤独だ。これは本当のことだ。でも決して一人ぼっちじゃない。
この本から得たものも多い。考え方一つでいつもの日々が違うことも分かった。
新しい出会いもあった。
話はそれるが、伊集院静が謙遜して小説や本が人生を変えることは無いと言ってたがそんなことない。
一冊の本は人生を変えることがある。
劇的に変わるのか、ジワジワ変わっていくのか変わり方は分からない人によってだ。
でも変わることは間違いない。
考え方が変われば、行動が変わるし、そうなったら色々な結果が変わるし、生き方が変わってくるのだから人生もジョジョに変わってくるのだろう。
blogを書いたり日記を書いたりと文章にしてわざわざ表現する時というのは得てしてその書いている内容のことが本人にとって不足しがちなのだ。
記憶も長い月日が経てば薄れていき、感動も減っていく。
何かあの時の気持ちを取り戻したい現れになって今こうやって書いているのだろうと思う。
女優としての私生活を赤裸々に描き出していたり、超常現象のことなどかなりドラマチックな内容だ。
この本の賛否両論のところである、超常現象の体験描写について私は否定しない立場だ。
不思議な体験をすることや超常現象を目の当たりにすることを否定しても始まらないし、本人が個人的に体験したことなのだからどうこう言うことはないし、大事なことは普通は経験できないことを実体験として受けて心境の何が変わりどう成長していったかを私という一読者に伝えてくれたかが重要。
本当のこと、嘘っぱちのこと、そこにこだわないということだ。
体験描写を生々しくリアリティーに溢れ面白く読めたらそれでヨシなのだ。
精神の成長。魂の成長。自分という人間の成長は普通だれでも望むことだと思う。
大きな樹の幹よりも枝だ。
枝の先に果実が実っているいるのだから、勇気と冒険心を持たなければ手に入らないのだ。
読み通してみて感じたことは、著者がとても身近に感じたことだ。寄り添ってくれているような感じだ。
訳者も優秀だから著者の意図を損なわずに日本語に置き換えている。
ところで人は孤独だ。これは本当のことだ。でも決して一人ぼっちじゃない。
この本から得たものも多い。考え方一つでいつもの日々が違うことも分かった。
新しい出会いもあった。
話はそれるが、伊集院静が謙遜して小説や本が人生を変えることは無いと言ってたがそんなことない。
一冊の本は人生を変えることがある。
劇的に変わるのか、ジワジワ変わっていくのか変わり方は分からない人によってだ。
でも変わることは間違いない。
考え方が変われば、行動が変わるし、そうなったら色々な結果が変わるし、生き方が変わってくるのだから人生もジョジョに変わってくるのだろう。
blogを書いたり日記を書いたりと文章にしてわざわざ表現する時というのは得てしてその書いている内容のことが本人にとって不足しがちなのだ。
記憶も長い月日が経てば薄れていき、感動も減っていく。
何かあの時の気持ちを取り戻したい現れになって今こうやって書いているのだろうと思う。