テレンス・マリック監督作品。
キューブリック以上に寡作な映画作家だ。
ワーナーマイカルつきみ野で観る。
21:35から日付が変わるまで。
ストーリーはシンプルだ。
社会的成功をした建築デザイン設計士が、三人兄弟の二番目の弟の死をきっかけに
少年時代を思い出し家族を思い出し厳格な父親との葛藤を見つめなおすその先に何が待っているのかと、
内面の旅に出るような感じだ。
父親のブラピは、音楽家になりたかった男だが夢かなわず不本意ながら会社員をしている
典型的な高度成長期のお父さんの姿だ。
毎日が苛立ちを醸し出している、あくまで小さい家庭内での絶対君主で生きている。
自分の境遇に苛立ち、この社会に対して怒りと失望を感じている。
3人の子供を授かるが、父権を異常なまでに重んじる父親についていけない子供たち。
子供はそれでもこの規律ロボットのようなモーレツお父さんに愛してもらいたいと思うのだが・・・・
分かっていないお父さんの態度にだんだんと不信感が芽生えてくる。歪んでくる。
母はひたすら静かに見つめる。でもキツイでしょうね。滅入ってしまうね。
正論を吐き、力と威厳で押さえつけてくる人間と身近に暮らしていたら真面目に付き合っている周りの人間はおかしくなります。
俺が一家の家長だぁ!
誰のお蔭で飯が食えると思っているのだぁ~!
家族を経済的に支えているのは、この俺なんだぞ。
・・・なんて少しでも思ったことがあるお父さん方々は必見です。
しかし、一見難解に思えるこの大作は面白い演出でお説教臭くなく私に語りかけてくれるのです。
ああ、正しい間違いじゃないんだなと。
神が導いてくれている壮大な道筋に、必然的にも偶然的でも言い方は構わないが乗っかって行くしかないんだなということ。
そこでどうやって各個人個人が、本当に個人の問題として見つめて枯れるまで感じ通していくしかないのだ。
折り合いをつける。筋を通す。決着をつける。悟る・・・何でもいいのだが、ジブン一人で見つけなけばならないのだ。
父親の教えを守って、見事社会的経済的大成功を収めた長男のショーン・ペンの苦悩の表情。
次男の死に半狂乱になる母親。
ひたすらテレンス・マリックは押し付けがましい説明なしで見せつける。
ナショナルジオグラフィック級のリアル人類創生・地球誕生シーンをバンバン盛り込みながら感じさせるのだ。
破壊と再生。
死と復活。
絶望と希望。
陰と陽。
影と光。
ショーン・ペンは超高層スカイツリーにエレベーターで昇りながら天空を見つめる。また実に悲しげな顔が似合う男。
しかし、最後はスカイツリーから降りてくるのだ。
映画の場面は、その裏に隠された真理のメタファーが現れる。
彼は天国の門の手前まで行き、全てを見つめて答えを出したのかもしれないしそうでないかもしれない。
でも彼はまた現実の社会に戻っていくのだ。帰っていくのだ。
これは「再生」だと感じた。
希望に満ち溢れているわけじゃない。でも、やるんだよ。戻るんだよ。
そんな気持ちできっと娑婆に戻るんじゃないだろうか。
でもそれで良いんだよ、というところで映画は終わる。
聖書が身近でない日本人にはいま一つピンとこない映画かもしれない。
「ヨブ記」を知っていないとストーリーに戸惑うかもしれない。
とは言っても自分だってそんなに詳しいわけじゃない。
父と子の葛藤は、そのまま神と人間のそれと同じだ。
でも父親に対する気持ちや兄弟に対する気持ちは、アメリカ人も日本人も関係ないから
普遍的なテーマなのだ。
普段からくすぶっている解決しない疑問を抱えているジブンにはとても良いヒントを与えてもらった
気がします。観てよかったです。